2021年3月のブログ記事
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句集を出す段になり、もう書くこともないと、郷里の施設にいる百歳の老母は、書いたノート二冊をわたしに送らせて、それで大役を果たしたと思っていた。それまでは、書くことが生き甲斐で、コロナで面会もできず、閉じ込められていた部屋にいて、退屈で死にそうであったのが、本にしてあげるというので、俄然やる気が出... 続きをみる
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確か、このブログでも書いたが、去年の秋に、それまで毎日接触確認を楽しみにしていたココアが突然、変な総務省の画面になり、いままでと違う画面に戸惑う。いろいろとやってみたが、どこからも接触確認ができないのだ。それで、どうなっているのだと、メールで受け付けるところがあったので、総務省に、突然変わっていま... 続きをみる
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どうも、昔はそうでなかったのに、年とともに花見が好きになる。花の時期になると、それ梅だ、桜だ、薔薇だと、そういう公園に出かけるようになる。前は花なんかどうでもよかったのに。 前に暮らしていた千鳥ヶ淵の近くにいたときは、歩いてすぐが桜の名所の千鳥ヶ淵なので、散歩がてら見に行った。また、近くに靖国... 続きをみる
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いつもいつもすみませんと、謝るのが配達の人たちにだ。二度も三度も不在票を新聞入れに入れてある。そんなことはうちだけではないだろう。日中はいないほうが多いのは、働いているからだ。それなのに、解っていても宅配便と郵便物は、再配達と二度手間三度手間で効率が悪すぎる。どうにかならんものか。ずっと昔からそ... 続きをみる
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青森では棟方志功が出たことで、子供たちから版画を募集していて、棟方志功賞を設定している。それは最近も発表されたので、ずっと続いているのだろう。 うちの息子が小学生の低学年のときに、学校でみんなの版画を出したときに、その賞をいただいた。自分の息子がなんでも賞をいただけるのは親としては嬉しい。わたし... 続きをみる
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コロナ移住と言われてから、都心から引っ越して、郊外や隣県に移り住む人が増えたとか。マチイナカという言葉も出てきて、通勤可能な自然の多い都会に近い田舎で暮らす。その住みたい街のランキングがネットによく出ている。裏では不動産屋が動いているかもしれないが、都心のマンションの売れ行きが鈍り、郊外が売れてい... 続きをみる
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うちの死んだ親父は倹約家ではないが、なんでも捨てないでとっておく人だった。包装紙や紐、菓子箱、パンフレットなど、座っている居間の椅子周りに堆く積まれて、どうにかしたいと、おふくろも思っていた。勝手に捨てたら激怒する。だから、身内と相談して、死んだら捨てようねと話していた。親父が死んだとき、ゴミ袋... 続きをみる
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メガネをかけている人は、マスクが邪魔ということは、毎日のことで、イライラしていると思う。どっちも耳にかけるので、メガネとマスクが喧嘩する。メガネはマスクに言う。「おれはずっと何十年もここにいるのだ。おまえなんか去年から突然やってきて、なまいきなんだよ」と、メガネは先住権を盾に取り、マスクを蹴落と... 続きをみる
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十九の夏だから、昭和45年のことだ。わたしは何を思ったか、突然、東京から三島まで電車で来ると、私鉄に乗り換えて修善寺駅の終点まで最終で来ていた。夜は11時を過ぎていた。そこから下田まで、伊豆の踊子の歩いた旧道を夜を徹して歩いた。あれ以来だから、半世紀前のことで、当然、駅前に立ったときは記憶にない... 続きをみる
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沼津駅に着いたら夕暮れ。その駅前から今夜泊まるスーパー銭湯の無料シャトルバスが出る。時間までまだ1時間はあるので、今度こそちゃんとした晩飯をと、駅前周辺を探したが、飲食店がない。居酒屋よりない。マックはあるが、まさか晩飯にハンバーガーもない。仕方なく、居酒屋に入る。飯がないので、生ビールにいろい... 続きをみる
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緊急事態宣言は延長された。本当は今日から出かけてもいいとなっていたのが、またこのアクティブじじいは旅行に行くのが後ろめたい。目覚ましを4時50分にかけておいたが、その一分前に自然と目覚めた。体内時計の不思議。千葉から総武線と中央線乗り換えて新宿に出、バスタから7時過ぎ発の静岡行の高速バスに乗る。... 続きをみる
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しばらく退会していたJR東日本の大人の休日倶楽部を思い出した。50歳過ぎたときから、ずっとミドル会員でいたが、そのとは、旅費は5%引きぐらいであったか。男性が65歳過ぎたら、ジパングの会員になれて、長距離の運賃が30%引きになる。それをすっかりと忘れていた。カードを作るに、仕事をしていなければ有... 続きをみる
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学生時代に、鎌倉には毎週のように通った。横浜国立大学の雪の下寮に住む幼馴染を訪ねて通ったのだが、片思いで、ストーカーのように、窓の下に立っているだけでも安心していられた、自分でも気持ちの悪いやつだったと、いまなら思う。 それで愛は屋鳥に及ぶというやつで、彼女の住んでいる鎌倉も愛するようになる。... 続きをみる
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鴨長明さんは、京の都が地震や火事、疫病などの天変地異がひどくなり、荒れ果ててきたので、郊外の山科の山の中へと引っ越した。大八車に当時はきっと画期的な、プレハブ小屋の資材を積んで、都から逃れて住もうと、人のあまりいない静かなところへと、移住する。そして、自然の中で、ウイルスもないし、火災もない、強... 続きをみる
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緊急事態宣言が解除される3月8日から3日間の有給休暇をとっていた。格安航空のLCCで成田空港から大分までの往復が1万円もしないので、とっていた。それで、二泊三日の温泉旅行へ行こうと、別にGo Toトラベルが再開するかということでもなく、別府と湯布院には前から行ってみたいと、ホテルもそれぞれ予約し... 続きをみる
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ネットで老後の生き方7選とか、定年後の生活スタイルを提唱をしている女性の書いたものを読んだ。それによれば、ただ、家にいるのではなく、趣味もいいが、散歩をしたり温泉に行ったり、ジムに通ったり、俳句の吟行をしたり、旅行もいいし、買い物に食事もいい、図書館に通うもいいと、まるで、わたしのことを書いてい... 続きをみる
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