コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

マスクでわかる顔の不思議

マスクをしている女性はみんな美人に見えるのは何故か。それはずっと去年から気になっていた。マスクがなければそんなに気にはならなかった。どきりとする美人ばかりなのは、マスクをするということが何か原因にありそうだ。


いろいろと考えたら、いまは化粧法がよくなり、みんなそれなりに綺麗にはなってきたが、特に、化粧でどうにでもなるのが、眉毛と目だろう。それはいくらでもごまかしがきく。眉毛なんか剃って描けばいい。どうにでもなる。目元もアイラインやアイシャドーなどでぱっちり目にも強調できる。つけまつげなんかいまはあるのか。二重の美容整形も電車広告を見たら安くできそうだ。


鼻と口はそうはゆかない。整形手術をすれば変われるのだろうが。わたしも鼻は母親似で高くなく、鼻穴も大きい。見ている人から、怖い、吸い込まれそうになるとまでは言われないが、若いときはゴリラというあだ名ももらっていた。親父は鼻は高くいい形をしていたのが、子供で唯一妹だけが遺伝した。鼻の恨みを話したら、いまでもおふくろは嫌な顔をする。


そのどうにもならない鼻とタラコ唇などの唇をマスクで隠すから、目と眉で勝負はできる。いまはどうか、お見合いの席もマスクはしているのだろうか。それで決めて結婚したら、マスクを取った素顔を初めて見て、これは詐欺だと騒ぐのだろうか。


それと、マスクの下はどんな顔なのかと、想像力を働かせる。想像が一番、人を美しくさせる。きっとすごい美人なのだろうなと、あれこれとマスクをとった顔を思うことがより相手を美しく錯覚させる。夜目遠目傘の内だ。


マスクがなくても最近はみんな綺麗になってきた。わたしが若いときとは全然違う。たまにテレビで昔のアイドルの映像と現在のおばさんになった彼女たちと比較してみたら、おばさんになった元アイドルのほうがずっと綺麗に見える。それは化粧法も変わり、髪型から美容法、形成術も進んで、洗練されてきて、着る服のファッションなんかもあるのだろう。若いときのほうが可愛いはずなのに、どうもイモくさいと思うのはわたしだけだろうか。成熟してきたら、若いときよりいいと思う人が多い。


わたしの田舎では昔は頬が赤い娘はいくらでもいた。りんごの産地なので、りんごのように赤い。わざわざ頬紅を塗らなくても、毛細血管が浮き出ていたのは寒さもあるのだろうか。いまどき、そういう女の子は田舎でも見ることがない。住環境も変わり、寒い生活ではなくなり、真冬の厳寒もいまは快適に過ごせる。わたしの子供のときは、自分の部屋はストーブがあっても寒かった。エアコンなんかなかったし、石油ストーブではなかった。居間ではコークスをくべていた。窓も一枚で、いまのような雪国のペアガラスで外気を遮蔽するサッシではなかった。木枠で建付けが悪いと隙間から雪が入り込む。窓ガラスには朝に花模様の氷が結晶した。学校も寒かった。一番奥の席だから、オーバーを着こんで授業していた。手には先を切った手袋をして、鉛筆を持っていた。外に出たら耳が冷たくならないように毛のついた耳あてをしていた。いまはそういう子供らは田舎でも見ない。


ファッション情報もネットなどでいまはどんな田舎でもあたりまえに普及して、原宿で流行ったものはすぐに田舎でもネット通販で買える。田舎っぺと悪口で言われる娘はいまは見当たらない。都心でルーズソックスが流行ったときは、どんな田舎の女子生徒もそれを穿いていた。流行が全国均一化されて、早くなると、着ている服もみな同じ。素朴な昔の女の子はどこかにいないかなと、いまはそっちのほうが貴重な存在になる。


それをわざと売りにしているお笑い芸人もいる。最近は年なのか、そういう純朴な感じの人にいいなあと目がゆく。周囲が美人ばかりではつまらない。画一的で、みんな同じように見える。マスクをしていたら余計そうで、知り合いの娘によく似ていると、じろじろと見たりして相手が怪訝そうな顔をする。その娘も30歳少しなのだが、結構いまどきの子なので、どこにでもある顔になり、似ている人ばかりが通るので間違えるのだ。その知り合いも、先日は駅のホームでばったりと逢って、ああ、久しぶりと声を掛けたら、変な顔をされた。人違いだった。マスクで目と眉だけでは間違いも発生する。全国的にいまはそういうことは起こりうる。


だけど、面白いのは。顔の全部を出しても目だけ隠せば誰だか判らなくなることだ。目は人の顔で一番ものを言う。個人を特定させないために目だけに線を引く。顔というのは実に不思議なパーツでできている。

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