路上排泄

キムヒロ

 観光客のオーバーツーリズムがいまは各地の観光地の公害のようになっている。そのひとつに路上排泄問題があるとネットにたびたび出ている。それは湘南の鎌倉高校駅周辺でもあるとか。毎日のようにスラムダンクのマンガの聖地で、外国人観光客でいっぱいだ。周辺には何もないから、息子と話して、日本は商売がヘタだよな、これほど人が集まるところなら、アニメグッズを売る売店があってもいいし、カフェやレストランがあっても繁盛するのではないのか。前に総理大臣が、クールジャパンで、ゲームやアニメの殿堂を都心に造ると言って批判され、その計画はなくなったが、どうしてあのときに造らなかったのか。造れば、それは連日ディズニーランドのように流行るだろう。

 その聖地もトイレがないので、住宅の庭に入り込んで、青空トイレで排便の跡があるのだとか。住民は困っている。きっと京都でもどこでもそれはあるのだろう。青森のねぶた祭でも、期間中は前は300万人も観光客が入り込む。人口26万の地方都市にそれだけどっと押し寄せると、当然トイレ問題が出てくる。ビルや商店ではそういうトイレを貸してくれと次々に来るので、シャッターを下ろす。うちの古本屋でもそうだった。ねぶた祭の運行ルートに近い県庁の筋向いに店があったが、トイレを貸してくださいと入ってくるが、古本なんか売れるはずがない。トイレだけのために入る。それはコンビニもで、前にニュースになったが、何も買わないで利用する客のために店主が怒って、トイレだけのご利用はお断りと掲示した。当然のことだが、トイレの紙と水道代、掃除も考えたら、そのために開放するほど店側は余裕なんかない。また綺麗に使ってくれたらいいが、汚くよごして後始末も大変なときがある。

 ねぶた祭のときは、そうして被害が出ないように夜に始まると、ビルは入れないように閉めて商店も無関係な商売ではシャッターを下ろす。問題はビルの隙間に入り込んで、排便をする輩が絶えないことだ。翌朝は臭いが漂う。駐車場もそうすれば誰でも勝手に入り込むから、嫁が前に勤めていたクリニックの駐車場がねぶたの運行の前にあったので、そこに事務員をしていた嫁が、見張り役で立つのが仕事になる。ロープを張って入れないようにしても、それを潜り抜けて暗い夜の駐車場の奥で排便排尿をする。その片付けが大変だ。

 それで思い出したが、わたしが8年前に勤めていた警備会社で銀座のビルの警備を一人でしていたときは、みゆき通りに面していたが、外の見回りもあった。24時間の勤務で、仮眠もあったが、夜中から早朝まで警戒していた。銀座だから若者たちがビル向かいのカフェや居酒屋で飲んで騒ぐ。しかも路上飲みもあり、朝は警備員でも外回りの掃除をしないといけないが、食べかすや反吐、ゴミの放置もすごいが、排便排尿の跡がすごかった。バケツに水を汲んで、処理をして回る。酔っ払いだから、どこでもする。

 外国人がどうのではない。日本人でもマナーもなく出たいから路上にしゃがむ。トイレがないとやむなくそうする。新宿でも頻繁で、池袋の早朝も酷かった。ねぶた祭のときは青森市では臨時のトイレを街中にあちこち施設していた。みんな飲めば出したくなる。毎年そうで、コンビニはトイレに長い列。孫がおしっこがしたいと、小さいときに連れて行ったら、並んでいる人たちが、小さい子は先にどうぞと言ってくれて助かった。

 政府も観光地のトイレが不足するのでそろそろ本腰を入れて設置しないといけないのではないのか。外国では有料のトイレばかりで、30円から120円と入口でトイレおじさんとおばさんが座って徴収していた。それでトイレットペーパーをくれたが、長さは30センチくらいしかない。それでどうして拭くのか思った。日本はいい国だと思うのは公共トイレが無料なのだから、外人は喜ぶ。日本も外国に倣って、有料にしてもいい。維持費がかかるのだから、それぐらい少額をとってもいいのではないのか。国によっては、入口に改札口のように機械をつけて、ワンコインで80円くらいを入れると開くのもあって、それなら人件費はかからない。確かベニスでそれを見た。中国人のマナーが悪いとよく書かれている。北京の天安門前広場でお母さんが子供に路上排尿させているのを見たが、それは別に不思議でもなく日常の風景なので、騒ぐのは日本人だけというようなものだった。

 何年か前に役所広司主演の「パーフェクトディズ」という映画を見たが、それは都心のトイレ掃除のおじさんの物語だった。わたしも掃除をしていたので、共感して見ていた。人の嫌がる仕事には違いない。ブルガリアだったか、汚い、糞便が縁に積もって、悪臭が漂う駅前の公共トイレにも入ったことがあるが、衣服まで臭いが染みつくようで息を止めて入った。無料では管理されていない放置したトイレはいけない。人手をかけて清潔な気持ちのいいトイレを維持するために有料トイレでもいいのかと思う。日本のトイレは世界一だと外人たちは驚く。清潔民族日本人がトイレにも出てくる。至れり尽くせりの最高のトイレも誇れるものだ。そこに面白い工夫とアートでさらに話題を呼び込みたい。

掃除夫殺すにゃ刃物はいらぬ雨の三日も降ればいい

キムヒロ

 ここのところは毎日が秋の長雨で雨ばかり。それは涼しくていいが、昨日なんかは涼しすぎて、半ズボンでは外に出られない。半袖も寒すぎる。気温は猛暑から一気に20度ぐらいまで下がる。当然、エアコンはいらない。ベランダの窓を開けると、涼しい風が入る。いつしか秋の虫の声が蝉と交代して聴こえてくる。うちの裏は住宅街に取り残された広い畑で、そこに虫がいっぱいいるようだ。田舎で暮らしているように、虫の合唱が聴こえるのはいい。

 なのだが、わたしのバイトの掃除ができない。いまは月水木金と週に四日、だいたいが午前だけ近くのメディカルパークというクリニックが三つ並んでいる敷地の掃除が週に三回と、ケータイのショップの駐車場から植え込みの掃除と草むしりがある。別にマンションの掃除もあるが、それは外周の掃除もあるが、建物の中なので、雨でも掃除はできる。問題は外ばかりの掃除が小雨でもできない。葉っぱが路面にくっついて箒で掃けないし、芝生の草むしりもできない。生活がかかっているので、もうしばらくはバイトはしないと喰えない。息子の給与では子供らを養えない。じじが家事から生活費補助をしているから、なんとかやりくりしている。昔から「土方殺すにゃ刃物はいらぬ 雨の三日も降ればいい」と言われていた。外の仕事の土方もそうで、穴掘りなんか、雨ではできないだろう。

 こっちは天気と相談して仕事をしている。雨が上がったらしめたと掃除に走る。掃除中にぱらりと来ると、急げと短時間でやって切り上げる。毎日が大雨、それも集中豪雨で、各地に被害が出ているようなうんざりする日々。どうしてか、年々温暖化で酷くなっている。洪水まである。先日も平塚の広報のスピーカーで呼びかけていた。レベル3というからまだたいしたことはないが、歩いて10分くらいのところの金目川が危険水域を越えているから、わたしの住む町も入っていて、高齢者の避難と呼び掛けている。スマホのアラートも鳴る。どきりとする。何事かと、確かに外は異常なほどの雨脚で、南国のスコールのようなのがずっと一日続いている。近くの公民館に避難してくれとネットの防災情報からも来ている。それで孫と部屋で遊んでいたが、避難所に行くとドリンクとか用意しているんじゃないかな、じじだけ行ってみるかなと冗談で言うと、孫は怒って、七歳のぼくを残して、じじだけ避難するの? それはあんまりじゃないかと。だって高齢者と言っているから子供は知らないよ。そうして孫と玄関から外を覗く。ここいらは少し高くなっているから、川が近いと言っても昔から水害のないところだ。同じ町内でも起伏はあり、低くなっているところがある。それはハザードマップで市街地に色分けされている。ここは大丈夫だろう。徳川家康の御殿が江戸時代からあったところで、その上にマンションが建っている。将軍様の別荘が天災のあるところには造らないだろう。

 それにしても恨めしい雨。孫は部屋から出られないので退屈。空を睨んで、雷様に文句を言ってやると意気込む。毎日毎日で、ここ一週間は降らないときがない。ずっと降っている。空の水道管が破裂したか、よくもそんなに雲の貯水槽に水があるものだ。線状降水帯が秋雨前線で動かないで、ずっと太平洋側に居座る。いい加減にタンクが空にならないのか。

 世界的に水害が酷くなる。それは世界各地に伝わる洪水伝説を思い起こさせた。ノアの方舟もそうだが、類似した伝説は各地に伝わっている。日本でもある。青森では岩木川が氾濫して、岩木山から流れてくる白髭水と恐れられた。一夜にして下流の町が流される。それは津波でもあったが、確か14世紀ころに十三湊の安東の支配地が日本のポンペイのように言われるが、十三湖の底に沈む。それ以前から、岩木川の氾濫で被害はたびたびあったろうと思われる。いまも湖の底には町の跡が見えるようだ。井戸や道路の跡などが砂に埋もれている。

 わたしにとってはこれは本を読む絶好のチャンスだとばかり、部屋でごろごろと本読み。ところが孫は遊ぼとうるさい。仕方なく遊んでやるが、雨の日は学校から帰ると孫の相手をしてやらないといけないから、それもまた辛い。

 今日は金曜日。外は豪雨だが、掃除もなく、息子は仕事が休みで部屋でごろごろしている。わたしはノーパソと本をバッグに入れて図書館に逃げる。途中のマックに久しぶりに来て、コーヒーを飲みながらこれを書いている。何か月ぶりだろうか。孫が小学校から戻る3時ころまでは自由なのだ。雨もまた引きこもれる時間を作ってくれるから悪くはない。

廃墟ツアー

キムヒロ

世に廃墟マニアというのがいる。わたしもきっとその一人だ。YouTubeではそうした全国の潰れた遊園地とか温泉とか人も住まない団地とかをレポートして動画で配信しているユーチューバーたちがいるが、それはよく好きで毎度見ている。どうしてか、廃墟が好きなのだ。イタリアを周遊したとき、ポンペイとエルコラーノの遺跡を見て、そこが一番よかった。電車で移動していても、山の上に廃墟の城跡などがあれば見たくなる。国内を旅していても、若いときからそうで、滋賀県の三井寺の奥にある武家屋敷の廃屋は二度も見に行った。日本庭園跡も広く荒れていて、誰のものなのか、屋敷も何百年も経っているように荒れてはいるが立派なもので広い。そこに入ってみた。玄関には破れた屏風が立てられて、欄間も彫刻、無断で入ってもいいように、管理はされていなかった。天井もところどころ落ちていて危険家屋だが、本当はそういうところに入るのは何があるか判らないから、入らないほうがいい。辺りは家もなく、車も人もなく、清閑としていて不気味であった。

 青森市にもそういうところはある。雲谷というスキー場脇に、日曜百姓のための市で貸している畑があり、親父が引退した後に、そこで大根とジャガイモを植えて毎週日曜には車で連れて行った。大勢の老人たちが来ていた。その畑の先の林の中に何やら建物が見えていた。なんだろうかと、行ってみたら、そこは潰れたレストランの廃屋であった。木々で目隠しされて気が付かないのと、藪で草ぼうぼう。その中におしゃれなレストランがあったとは。隣には昔はテニスコートであったような跡が二面くらいあったが、そこも雑草に覆われていた。建物は壊れてもいないが、窓ガラスは割れて、虫や獣が入ったのか、荒れたままに放置されていた。厨房もそのままあり、椅子やテーブルも一部残されていた。壁に貼られたカレンダーでその店があった年代が判る。10年くらい前のものなので、それまではレストランは営業していたのだ。場所は悪い。よほど宣伝しないと、森の中のレストランと言っても、車で誰も入らないだろう。わたしも知らなかった。しかもスキー場も近く、冬は2メートル以上の豪雪で埋まるところだ。除雪もしないと車は奥まで入れない。ブルドーザーも持っていないと、私有地まで青森市では除雪車は入らない。きっと半年商売で冬は閉めていたのかもしれない。広い客席では結婚式や宴会も行われていたのか、その形跡があり、なごやかな森のレストランの雰囲気と当時の声が聞こえるようだ。

 わたしはそうした無人の廃墟に怖がらずに入る。それは古本屋ということもあり、古いものが好きなのだ。よしんば、建物の中に古いポスターがそのまま壁に貼られていて、それが映画のものであったりコンサートのものであったりと、古本屋では一枚数万円するものもあるから、放置された建物の中で物色する。ただ、雨風に晒され、大概は売り物にはならないどころか、天井に穴が空いて危険家屋だ。怪我をするかもしれない。

 古本屋として、そういう家に呼ばれることも多々あった。やはり、雲谷というスキー場の傍の山麓の別荘地に、青森市の画家濱田英一さんのアトリエの廃墟があった。遺族がその処分をうちに任せた。立ち合いで入ると、建物は随分長く使われていないようで、天井は崩れて大きな穴で雨が入り、冬は室内にも雪が積もったのか、折角の画人の遺品もぐちゃぐちゃだ。建物は壊すというが、その中にはまだ貴重なものがあるかもしれないと、わたしの古本屋に声がかかった。売り物になるものはなんでも売る。イーゼルも車に積んだ。筆がいっぱいあり、パレットも使ったまま放置されていたのをもらう。さすがにカンバスの油絵はなかったが、陶芸もされていて、その習作のように素焼きも陶器や途中でやめたような壺などもいっぱいあった。それは作品としては売れないが、それだけでも味があると、わたしは処分するのも勿体ないと車に積んだ。それと年賀状にして出そうと思ったような直筆の絵ハガキがいっぱいあった。それは古本屋で一枚千円で全部売れた。小さい額装してもいい水彩画だ。遺族にとってはきっといいものは画廊に売って、後は整理するものに見えたのだろう。古本屋の目にはそうしたエスキースでもいいものは売りたいと持って帰った。

 廃屋にそうして商売で青森県内あちこちに呼ばれた。それはわたしの好みで蜘蛛の巣がかかり、埃にまみれた家屋は探検と同じだった。うちの古本屋によくおいでの民族学者で古民具の蒐集家の田中忠三郎さんも懇意にさせてもらっていた。市内にある古い倉庫に蒐集していたあまたの道具や本、雑誌などをわたしに整理させていた。そこはカビの生えたものも多く処分もだいぶしたが、糸車なども出てきて、壊れてはいたが、古本屋に持ち帰って売った。田中さんが亡くなられる前に、わたしの蔵書はすべてあんたに任せると言っていた。その後逝去されて、自宅に供養に息子と伺った。浅草のアミューズミュージアムには田中さんが蒐集していたボロが展示されている。そこも知り合いと一緒に案内して二度ほど見た。


 いま、全国の温泉街が廃墟になっている。それは取り壊したいが費用がかかり、自治体が負担するにはかかりすぎる。とっくに事業主は倒産していて、無残なホテルの建物を晒している。わたしは、そういうのを安全確認して、中に人が入れるように危険なところは閉鎖したり、建築物としての安全確保で手を入れて、それらを一般開放したらいいと思う。当然、入場料はいただく。建物の維持管理費にあてるためには、いくらかもらわないといけない。全国の温泉地にはそうした廃墟がいっぱいあり、遊園地の跡とか、手がつけられないものも、いまは廃墟ファンがいっぱいいるので、ツアーを組んでガイド付きで案内する。入口では注意書きのパンフを配り、ヘルメットを貸与する。それは長崎の軍艦島と同じだ。世界遺産に登録されなくても、そうした廃墟はこれからも放置しておくわけには行かない。観光の目玉で新しいお客を呼び込みたい。負の遺産が負ではなくなる。お化け屋敷、心霊スポットとして若者たちを中心に呼べるのではないのか。潰れかかった昔からの温泉地がそれで復活してくるといい。そのままでもいいが、やはりアミューズメントパークとして、少しは手も入れたい。わざと古いカレンダーやポスターのレプリカをコビーして壁にボロボロにして貼り付けたり、昔の看板もいまはレプリカで売っているので、それらも貼り付ける。お台場一丁目商店街や、池袋のサンシャインのナンジャタウンのように、昭和レトロは若者たちに人気だ。去年だったか孫を連れて行った横浜のラーメン博物館もそれで、すごい行列ができていた。中は昭和の商店街をそのまま再現したもので、それが若者たちには受けている。

 なんでも新しいものだけがいいわけではない。それに見飽きた若者たちは、古いものにも憧れて、斬新だと思う。古いものをどんどんと壊して新しい街やビルという日本のスクラップアンドビルドの思想は街をよくしたか。ヨーロッパの街並みのように古いものを保存して活用することから、無駄も排除されて街はより楽しくなるのではないのか。