工藤甲人展を平塚美術館で見た

キムヒロ

 工藤甲人という画家は青森にいるときから馴染みがあった。弘前市出身で、うちの親父と同じ大正生まれだが、何故か、平塚に引っ越してきたとき、平塚の美術館でその絵を見て、ここ平塚にアトリエを構えて、ここで亡くなったと書かれていて、広い日本の中で、同郷の画家がわたしと同じ平塚に流れてきて、ここで死ぬまでいたことに親しみを覚えた。

 五日連休のシルバーウイークも最終日。最後まで雨が降った。昨日はそれでも太陽と青空が見えて、一日だけ晴れたので、孫と街中ハイキングをしたが、最終日も無残な雨。せっかく連休で旅行をしている人たちはどこにも行けないで、水害のニュースばかり。悔しかったろう。

 下の孫娘は彼氏の家の子になって10か月ぐらいになるが、向こうの両親と彼氏と四人でお父さんの持っているキャンピングカーでまた旅行に東北に行っていた。彼氏と孫娘の二人は三泊も青森の伯母のアパートに転がり込み、両親は別行動で東北の温泉巡りでもしていたのだろう。

雨でも出かける。車が使えないから昨日に引き続いて、孫と傘さして美術館まで歩いた。青森に所縁の画家というと田舎館出身の田澤茂がいる。1925年生まれで2014年に永眠とあるから、89歳まで生きた。工藤甲人は生誕110年だから、彼とは9つ年下か。田澤茂も辻堂にアトリエを構えて湘南で暮らして没した。茅ケ崎市立美術館と平塚市美術館にも収蔵絵画があるのはそのためで、わたしが郷里の画家の絵を平塚美術館で見たときはどうして?と声も出たくらいだ。

 多くの画家が湘南に暮らしている。堀文子も隣町の大磯にいた。まだその晩年のアトリエを訪ねたことはないが、どこかで碑文を見た。記念館が大磯でうちから歩いても近いところにあるから今度訪問しようと思う。

 作家から文化人と湘南は別荘地と保養地だけでなく、何か引きつける魅力があるのだろう。岩手は花巻の萬鉄五郎も茅ケ崎にいて亡くなる。サザンビーチで水着を着て籐椅子に座った鉄五郎の写真は有名だ。病気療養のために晩年は湘南にいたという文化人も多い。


 雨の美術館は閑散としているのではない。いつも閑散なのだ。孫とはこのひと月でも三回も来ている。孫がお絵描きが好きなので、いい刺激材料になればと、全国各地の美術館へも旅行のときは孫も連れて入る。まずは、市民の無料で入れる展示コーナーが一階にある。そこが面白かった。印象派展ではなく、艶笑派展というしゃれた展覧会。AIで描かれたような現代の若い人の絵画から、トリックアートのものもあり、ゴリラやキリンの壁の絵が飛び出して見えるようなところで孫と写真。現代美術もあって、それらを孫に帰ったら同じようなものを描いてみなと勧める。

 工藤甲人の生きているときの動画がビデオ上映しているのをホールで見た。わたしは生前はお会いしたことはないが、テレビではよく見かけた。青森の弘前よりも平塚が長い。いままでも平塚美術館の収蔵作品展で何度か見たものもあるが、一堂に並べると壮観だ。気に入ったのが「蝶の階段」というタイトルの絵だが、写真がネットに出ていたので拝借する。この蝶の幻想絵画をよく描いたのが、青森の七戸町立鷹山宇一記念美術館で見たものだ。どこか作風が似ている。孫は動物や鳥が描かれている絵の中に隠れた動物を探していた。それは子供の絵本にもよくあるゲームのようで楽しいようだ。子供でも遊べるような絵なのに、親子連れどころか入場者が少ないのは残念だ。

 入口で職員の女性から何年生と孫が訊かれていた。子供が入るのは珍しいのか。ぼくも青森で生まれたのと言っていたから職員さんは目を輝かせていた。

 芸術の秋だからではない。美術鑑賞も体育も食欲もみんな通年のもので、秋だからと行ってみようでは何かおかしい。孫は満足したように出てきて、「ぼくは大きくなったら絵描きになるの」と、もう将来の自分の姿を思い浮かべていた。

街中ハイキング

キムヒロ

 車から降りて十日は経つ。もう車は事故ってからは乗らないようにした。自分自身が信じられなくなる。次は人身事故となると怖い。それでも免許返納しないのは、電動バイクを買って、電動アシスト自転車と同じだが、それは免許がないと乗れないものだから、しばらくは免許は返納しない。自転車なら30キロ以内で、ゆっくりと走るからいつでも止まれるスピードだ。それもやめると生活に支障がある。

 車をあれほど毎日乗り回していて、いまは自転車と徒歩だが、それは一昨年のときと同じで、車がなかったときに戻るだけだ。なければないなりにどうにかなっていた。まずは、車を利用するようになって太った。それまでは毎日最低1万歩は歩いていた。図書館に行くにしても歩いたし、海に行くのも歩いていた。そうして買い物したりして市内一周して帰ると、スマホの万歩計は15000歩は記録していた。鎌倉の山歩きのときは、北鎌倉から逗子まで歩いて3万歩、孫と横浜駅からみなとみらい、山下公園と歩いて中華街で昼飯、石川町の駅終点で18000歩歩かせた。あのときは五歳の孫でも歩いた。いまは孫は七歳だが、やはり車ばかりで連れ歩いて歩かなくなったので、わたしと同じく歩けなくなったら困ると、車がないことはいいことだと、また歩くことにした。

 シルバーウイークの五連休も、台風と雨ばかりでどこにも連れて行けないが、うちのマンションの前の駐車場には車が置きっぱなし。遠くでも以前のように歩くことにした。無保険の車には怖くてもう乗れない。その車はママのだから、ママが近く戻ってくると専用に通勤で使うのだ。

 たまたま連休中日に珍しく晴れた。よし、このときとばかり、孫にはハイキングだぞと、リュックには図書館に返す本を11冊詰めて、息子が会社からもらってきたミネラルウォーターのペットボトルがひと箱あったので、そこから二本を持って、さあ、出かけよう。

 まずは町内を西へと歩く。そこには善徳寺という浄土宗の古いお寺があり、徳川家康の御殿で使われていたという三門がある。この辺の普通の民家でも門だけは立派で驚く家もある。冠木門という簡単なものではなく、武家屋敷の櫓門というものがあちこちにある。そこには門番の詰め所もあって、人が住めるのか? 庭も広く、かつては家康の御殿で武家屋敷も周囲にはあったのだろうか。彼岸でお墓参りの人たちが花を手に訪れていた。赤い帽子をかぶった六地蔵。年代不明の風化したお地蔵さんもある。

 通りの角にはたいてい石がある。道祖神もあるが、京都の街中でも家の辻角にあるいけず石とも違う道標や庚申塔などの古い年代物を見る。歴史のある土地なので、そういうものも眺めて歩く。お地蔵さんも道端にあるが、それにペットボトルの水が供えられているのを孫はどうしてと聴く。お地蔵さんも暑いから、喉が渇くだろう。

 そこから昨日まで避難勧告も出ていて、広報のスピーカーとアラートが鳴った金目川の橋を渡る。水量は多いがたいしたことはない。氾濫するほどではなかったようだ。土手の道を歩いてみた。車では入れない自転車と散歩の人たちがたまに通る懐かしい土手の道だ。そこには赤い彼岸花が咲いている。白いのもある。

 トンボや蝶、バッタなども出てきて、虫篭と捕虫網を持ってきたらよかった。そろそろ足が疲れた座りたいと孫は言う。もう少しだからと、励ます。二人ともあまり歩いていないので、疲れてきている。わたしは膝が腫れていて、また水が溜まっているようで痛む。大通りに出るとココスやガストのファミレスがある。その先にマックがあったので、そこで昼飯にしようと入る。混んでいた。連休だからすごい。わたしがたまに車で入る店だ。孫にはハッピーセットで、わたしは食べたくもないがいつものハンバーガーとアイスコーヒー。一番安いもの。玩具がついてくるが新幹線は持っていた。かぶらないかと思ったら東武電車でよかった。

 そこから裏にある西図書館に行く。いつもは車で来ていたところが歩くと遠い。先週は自転車で来ていた。11冊本を返してまた借りる。孫はカウンターに申し込んで、「まさかさかさま」という絵本二冊借りていた。それを二人で児童書コーナーに上がって読んだ。ひらがなとカタカナは読めるから読ませる。学校では漢字も教えている。子どもだけでなく大人も来ていない貸切だ。

 図書館の南には湘南平の山裾がある。そこに高根横穴墓群というのがあるとグーグルマップで見ていた。そこも車ではなく、歩いて探検しないといけない。ところが迷って通り過ぎた。近所の犬の散歩をしていた奥さんに聞いたら知らない。仕方なく小さな公園のベンチで休憩。水分補給。この山の周辺には遺跡が点在している。

 そこから花水川の橋を渡ると大きな桜ヶ丘公園がある。桜の花見に来たがごろんと芝生で寝ころんで休みたい。遊具もあるが子供がいないので孫は不満。わたしが掃除に車や自転車で来ているケータイショップはすぐ並びにある。台風一過で急に猛暑になるのだが、そうでもなく風が気持ちよく、久しぶりの太陽で日光浴をベンチでしていた。孫は誰もいないので退屈して帰ることにした。帰りにドラッグストアに寄って、アイスを買い、店頭の縁石に座って二人して舐める。休み休み歩かないと歩けなくなっていた。

 その先にある八雲神社。そこでも休憩してゆこうと誰もいないが、ベンチに座ると、蚊が猛攻撃で退散する。その向かいにある高校は下の孫娘が一学期まで通学していた。いまは中途退学してコンビニでフルタイムで働いている。辞めてどうするのかと息子は先生とも話して頭を抱えていた。本人はまだ子供で自分の将来が見えていない。困ったものだと、それも他人の家に住み着いて10か月になるが、養女で差し上げたような子だ。

 公園はあちこちにあり、それが休憩ポイントでベンチと遊具もあるが、誰も遊んでいないし蚊が怖いので、少し座ってまた歩き始める。ようやく住宅街の端にわが家が見えてくる。疲れた。足も痛いし汗もかいた。帰ったら水風呂の半身浴だな。万歩計は14000歩と、久しぶりの街中ハイキングであった。


老いてどこか外れてくる

キムヒロ

 最近はどうもおかしい。タガが外れたように、頭も体もガタがきている。先日のホームセンターの駐車場で止めていた隣の車にぶつけたこともそうだが、いままでは一度も接触事故もなかったわたしがそれで唖然とする。それだけでなく、最近はやることなすこと危うい。食卓のお茶のコップを倒してぶちまける。マックに久しぶりに行ってホットコーヒーを頼み、トレーをダストボックスの上に置いて紙コップを取ろうとしたらコーヒーを半分零した。どうしたと自分に怒る。まるで幼児のように最近はだらしがない。不注意な性格ではなかったが、どこか狂っている。こんなことはずっとなかったことだ。ここのところはそれで慎重になり、鍋やフライパンを台所で調理して持っても、自分に言い聞かせる。「おい、ちゃんと握って零すなよ」そっと皿に移すときもどこかにぶつからないかと注意深くやっている。ホットケーキなどを皿にひっくり返して移すとき、無残にも床に落としたこともある。牛乳パックにカスピ海ヨーグルを継ぎ足しするときも、倒すなよと両方の手をしっかりと掴んで離さないようにしている自分がいる。

 死んだ親父も晩年はそうで、よくいろんな酒やコーヒーをテーブルに飲ませていた。またやったかと、自己嫌悪に陥っていた。わたしも高齢者になり、親父の気持ちがよく判る年になる。

 外を歩くときも要注意。自分で思っているほど足が上がっていないので、少しの段差に躓いて倒れる。前はそれですりむいていたが、いまは太極拳の練習をするようになってからは、バランスのとり方も体で覚えた。老人が転倒して死ぬのか全国で毎年1万人とか。事故死で一番多いのもそれだ。それだから、部屋もバリアフリーにするのだが、賃貸ではそれができない。部屋の段差に躓かないように、両親と青森のマンションで暮らしていたときは、ホームセンターから買ってきた段差にシリコンの三角のスロープを敷いた。いまはそういうのも売っている。ところが、老人には本当はそれがないほうがいいとか。段差は街中でもどこでもある。毎日の生活で足を上げ下げする習慣が大事で、バリアフリーに慣れると外は危険になる。日頃からそれを体で覚えさせて、無意識に足を上げる訓練をしないと、今度はどこでも転ぶことになる。人間は老いても甘やかせたらいけない。前にこのブログで書いたが、過剰介護はいけない。自分の足で立ち歩くことをさせないと、寝たきりになる。老人は死ぬまでトイレに立って歩いて自分のことは自分でしないといけない。

 太極拳の中国人の蘭先生が十三勢刀の講習のときにわれわれに教えるとき、最後まで自分で立ってトイレに行きましょうだ。そのために高齢者ばかりが太極拳の練習に参加している。片足立ちで剣を持ち、二十四式でもそういうポーズはするから、その訓練で毎度の練習はストレッチや体操で体幹を真っすぐに立たせる姿勢を保つ。飛んだり跳ねたりするときもあり、機敏性も養う。わたしは五年太極拳の倶楽部に入り、仲間たちと練習を続けてきたが、それでもここのところはどうも老化が目立ち、自分で自分の動きがセーブできていない。それだから、ミスをするたびに、自分で自分に怒り叱る。手を離すな、しっかりと掴め、ちゃんと見ろと、時には自分の手を叩く。

 きっとそれはわたしだけでなく、多くの高齢者たちがそうなるのだろう。それだから、運転も怖い。次に何があるかしれない。人身事故では一生償わないといけない。それで、わたしはもう車は運転しないことにして、電動バイクの安いものを買った。自転車もいまはママチャリに乗っているが、漕ぐのが大変になる。電動アシストの自転車ならいいだろうと、通販で買ったのが来た。それは免許とナンバープレートと自賠責が必要な、昔の50ccと同じ原付扱いだ。それでも注意して走行したらいいが、不注意で事故ることが怖い。スピードは30キロまでしか出ないが、ハーフフェイスのヘルメットも買った。買い物や太極拳の練習など少し遠いところはそれで走るよりない。高齢者でもいろいろと用事がある。タクシーばかり使えないし、バス代も高い。移動はそういうちょい乗りを利用するよりない。

 生活に支障が出ないようにはしたい。北海道の姉からは、握力がなくなってきていて、運動能力の測定をしたのか、赤ちゃんと同じぐらいと言われたとか。おふくろは90歳過ぎたら、もう包丁もハサミも使えなくなっていた。あれほど編み物が得意で、よくわたしのセーターも編んでくれていた人が、両手の指が使えなくなる。姉も80歳は過ぎたが、いまは自分で握力をつけるためのハンドグリップを買ってきてやっているようだ。わたしの場合は朝晩の血圧測定のときに両手のグーパーを六十回くらいずつ毎日している。長野県の有名な医者がそれを高齢者たちに勧めていて、毎日やらせていると前にテレビで見た。掴むというのは生活に欠かせない。足も手もそうで、死ぬまで人の世話にならずに生きるためには最低必要な動作だ。わたしも老人修行が足らない。ぼんやりと日常生活を送ってうっかりとかポケミスは命取りになることもある。神経を遣い、四方八方に気を配り、手と足は自分の意志で動かす。それがボーとしているからへまばかりする。怪我をしないように、転倒しないように、体だけでなく頭も鍛えないといけない。