掃除夫殺すにゃ刃物はいらぬ雨の三日も降ればいい

キムヒロ

 ここのところは毎日が秋の長雨で雨ばかり。それは涼しくていいが、昨日なんかは涼しすぎて、半ズボンでは外に出られない。半袖も寒すぎる。気温は猛暑から一気に20度ぐらいまで下がる。当然、エアコンはいらない。ベランダの窓を開けると、涼しい風が入る。いつしか秋の虫の声が蝉と交代して聴こえてくる。うちの裏は住宅街に取り残された広い畑で、そこに虫がいっぱいいるようだ。田舎で暮らしているように、虫の合唱が聴こえるのはいい。

 なのだが、わたしのバイトの掃除ができない。いまは月水木金と週に四日、だいたいが午前だけ近くのメディカルパークというクリニックが三つ並んでいる敷地の掃除が週に三回と、ケータイのショップの駐車場から植え込みの掃除と草むしりがある。別にマンションの掃除もあるが、それは外周の掃除もあるが、建物の中なので、雨でも掃除はできる。問題は外ばかりの掃除が小雨でもできない。葉っぱが路面にくっついて箒で掃けないし、芝生の草むしりもできない。生活がかかっているので、もうしばらくはバイトはしないと喰えない。息子の給与では子供らを養えない。じじが家事から生活費補助をしているから、なんとかやりくりしている。昔から「土方殺すにゃ刃物はいらぬ 雨の三日も降ればいい」と言われていた。外の仕事の土方もそうで、穴掘りなんか、雨ではできないだろう。

 こっちは天気と相談して仕事をしている。雨が上がったらしめたと掃除に走る。掃除中にぱらりと来ると、急げと短時間でやって切り上げる。毎日が大雨、それも集中豪雨で、各地に被害が出ているようなうんざりする日々。どうしてか、年々温暖化で酷くなっている。洪水まである。先日も平塚の広報のスピーカーで呼びかけていた。レベル3というからまだたいしたことはないが、歩いて10分くらいのところの金目川が危険水域を越えているから、わたしの住む町も入っていて、高齢者の避難と呼び掛けている。スマホのアラートも鳴る。どきりとする。何事かと、確かに外は異常なほどの雨脚で、南国のスコールのようなのがずっと一日続いている。近くの公民館に避難してくれとネットの防災情報からも来ている。それで孫と部屋で遊んでいたが、避難所に行くとドリンクとか用意しているんじゃないかな、じじだけ行ってみるかなと冗談で言うと、孫は怒って、七歳のぼくを残して、じじだけ避難するの? それはあんまりじゃないかと。だって高齢者と言っているから子供は知らないよ。そうして孫と玄関から外を覗く。ここいらは少し高くなっているから、川が近いと言っても昔から水害のないところだ。同じ町内でも起伏はあり、低くなっているところがある。それはハザードマップで市街地に色分けされている。ここは大丈夫だろう。徳川家康の御殿が江戸時代からあったところで、その上にマンションが建っている。将軍様の別荘が天災のあるところには造らないだろう。

 それにしても恨めしい雨。孫は部屋から出られないので退屈。空を睨んで、雷様に文句を言ってやると意気込む。毎日毎日で、ここ一週間は降らないときがない。ずっと降っている。空の水道管が破裂したか、よくもそんなに雲の貯水槽に水があるものだ。線状降水帯が秋雨前線で動かないで、ずっと太平洋側に居座る。いい加減にタンクが空にならないのか。

 世界的に水害が酷くなる。それは世界各地に伝わる洪水伝説を思い起こさせた。ノアの方舟もそうだが、類似した伝説は各地に伝わっている。日本でもある。青森では岩木川が氾濫して、岩木山から流れてくる白髭水と恐れられた。一夜にして下流の町が流される。それは津波でもあったが、確か14世紀ころに十三湊の安東の支配地が日本のポンペイのように言われるが、十三湖の底に沈む。それ以前から、岩木川の氾濫で被害はたびたびあったろうと思われる。いまも湖の底には町の跡が見えるようだ。井戸や道路の跡などが砂に埋もれている。

 わたしにとってはこれは本を読む絶好のチャンスだとばかり、部屋でごろごろと本読み。ところが孫は遊ぼとうるさい。仕方なく遊んでやるが、雨の日は学校から帰ると孫の相手をしてやらないといけないから、それもまた辛い。

 今日は金曜日。外は豪雨だが、掃除もなく、息子は仕事が休みで部屋でごろごろしている。わたしはノーパソと本をバッグに入れて図書館に逃げる。途中のマックに久しぶりに来て、コーヒーを飲みながらこれを書いている。何か月ぶりだろうか。孫が小学校から戻る3時ころまでは自由なのだ。雨もまた引きこもれる時間を作ってくれるから悪くはない。

廃墟ツアー

キムヒロ

世に廃墟マニアというのがいる。わたしもきっとその一人だ。YouTubeではそうした全国の潰れた遊園地とか温泉とか人も住まない団地とかをレポートして動画で配信しているユーチューバーたちがいるが、それはよく好きで毎度見ている。どうしてか、廃墟が好きなのだ。イタリアを周遊したとき、ポンペイとエルコラーノの遺跡を見て、そこが一番よかった。電車で移動していても、山の上に廃墟の城跡などがあれば見たくなる。国内を旅していても、若いときからそうで、滋賀県の三井寺の奥にある武家屋敷の廃屋は二度も見に行った。日本庭園跡も広く荒れていて、誰のものなのか、屋敷も何百年も経っているように荒れてはいるが立派なもので広い。そこに入ってみた。玄関には破れた屏風が立てられて、欄間も彫刻、無断で入ってもいいように、管理はされていなかった。天井もところどころ落ちていて危険家屋だが、本当はそういうところに入るのは何があるか判らないから、入らないほうがいい。辺りは家もなく、車も人もなく、清閑としていて不気味であった。

 青森市にもそういうところはある。雲谷というスキー場脇に、日曜百姓のための市で貸している畑があり、親父が引退した後に、そこで大根とジャガイモを植えて毎週日曜には車で連れて行った。大勢の老人たちが来ていた。その畑の先の林の中に何やら建物が見えていた。なんだろうかと、行ってみたら、そこは潰れたレストランの廃屋であった。木々で目隠しされて気が付かないのと、藪で草ぼうぼう。その中におしゃれなレストランがあったとは。隣には昔はテニスコートであったような跡が二面くらいあったが、そこも雑草に覆われていた。建物は壊れてもいないが、窓ガラスは割れて、虫や獣が入ったのか、荒れたままに放置されていた。厨房もそのままあり、椅子やテーブルも一部残されていた。壁に貼られたカレンダーでその店があった年代が判る。10年くらい前のものなので、それまではレストランは営業していたのだ。場所は悪い。よほど宣伝しないと、森の中のレストランと言っても、車で誰も入らないだろう。わたしも知らなかった。しかもスキー場も近く、冬は2メートル以上の豪雪で埋まるところだ。除雪もしないと車は奥まで入れない。ブルドーザーも持っていないと、私有地まで青森市では除雪車は入らない。きっと半年商売で冬は閉めていたのかもしれない。広い客席では結婚式や宴会も行われていたのか、その形跡があり、なごやかな森のレストランの雰囲気と当時の声が聞こえるようだ。

 わたしはそうした無人の廃墟に怖がらずに入る。それは古本屋ということもあり、古いものが好きなのだ。よしんば、建物の中に古いポスターがそのまま壁に貼られていて、それが映画のものであったりコンサートのものであったりと、古本屋では一枚数万円するものもあるから、放置された建物の中で物色する。ただ、雨風に晒され、大概は売り物にはならないどころか、天井に穴が空いて危険家屋だ。怪我をするかもしれない。

 古本屋として、そういう家に呼ばれることも多々あった。やはり、雲谷というスキー場の傍の山麓の別荘地に、青森市の画家濱田英一さんのアトリエの廃墟があった。遺族がその処分をうちに任せた。立ち合いで入ると、建物は随分長く使われていないようで、天井は崩れて大きな穴で雨が入り、冬は室内にも雪が積もったのか、折角の画人の遺品もぐちゃぐちゃだ。建物は壊すというが、その中にはまだ貴重なものがあるかもしれないと、わたしの古本屋に声がかかった。売り物になるものはなんでも売る。イーゼルも車に積んだ。筆がいっぱいあり、パレットも使ったまま放置されていたのをもらう。さすがにカンバスの油絵はなかったが、陶芸もされていて、その習作のように素焼きも陶器や途中でやめたような壺などもいっぱいあった。それは作品としては売れないが、それだけでも味があると、わたしは処分するのも勿体ないと車に積んだ。それと年賀状にして出そうと思ったような直筆の絵ハガキがいっぱいあった。それは古本屋で一枚千円で全部売れた。小さい額装してもいい水彩画だ。遺族にとってはきっといいものは画廊に売って、後は整理するものに見えたのだろう。古本屋の目にはそうしたエスキースでもいいものは売りたいと持って帰った。

 廃屋にそうして商売で青森県内あちこちに呼ばれた。それはわたしの好みで蜘蛛の巣がかかり、埃にまみれた家屋は探検と同じだった。うちの古本屋によくおいでの民族学者で古民具の蒐集家の田中忠三郎さんも懇意にさせてもらっていた。市内にある古い倉庫に蒐集していたあまたの道具や本、雑誌などをわたしに整理させていた。そこはカビの生えたものも多く処分もだいぶしたが、糸車なども出てきて、壊れてはいたが、古本屋に持ち帰って売った。田中さんが亡くなられる前に、わたしの蔵書はすべてあんたに任せると言っていた。その後逝去されて、自宅に供養に息子と伺った。浅草のアミューズミュージアムには田中さんが蒐集していたボロが展示されている。そこも知り合いと一緒に案内して二度ほど見た。


 いま、全国の温泉街が廃墟になっている。それは取り壊したいが費用がかかり、自治体が負担するにはかかりすぎる。とっくに事業主は倒産していて、無残なホテルの建物を晒している。わたしは、そういうのを安全確認して、中に人が入れるように危険なところは閉鎖したり、建築物としての安全確保で手を入れて、それらを一般開放したらいいと思う。当然、入場料はいただく。建物の維持管理費にあてるためには、いくらかもらわないといけない。全国の温泉地にはそうした廃墟がいっぱいあり、遊園地の跡とか、手がつけられないものも、いまは廃墟ファンがいっぱいいるので、ツアーを組んでガイド付きで案内する。入口では注意書きのパンフを配り、ヘルメットを貸与する。それは長崎の軍艦島と同じだ。世界遺産に登録されなくても、そうした廃墟はこれからも放置しておくわけには行かない。観光の目玉で新しいお客を呼び込みたい。負の遺産が負ではなくなる。お化け屋敷、心霊スポットとして若者たちを中心に呼べるのではないのか。潰れかかった昔からの温泉地がそれで復活してくるといい。そのままでもいいが、やはりアミューズメントパークとして、少しは手も入れたい。わざと古いカレンダーやポスターのレプリカをコビーして壁にボロボロにして貼り付けたり、昔の看板もいまはレプリカで売っているので、それらも貼り付ける。お台場一丁目商店街や、池袋のサンシャインのナンジャタウンのように、昭和レトロは若者たちに人気だ。去年だったか孫を連れて行った横浜のラーメン博物館もそれで、すごい行列ができていた。中は昭和の商店街をそのまま再現したもので、それが若者たちには受けている。

 なんでも新しいものだけがいいわけではない。それに見飽きた若者たちは、古いものにも憧れて、斬新だと思う。古いものをどんどんと壊して新しい街やビルという日本のスクラップアンドビルドの思想は街をよくしたか。ヨーロッパの街並みのように古いものを保存して活用することから、無駄も排除されて街はより楽しくなるのではないのか。

内見で次なる住まいを見る

キムヒロ

 いよいよ脱出準備に入る。前々からママが出所してきたら、わたしはここを出て、前のように老後の一人暮らしに戻ると息子にはいつも話していた。そのママからの手紙で、本面という面談がとうとうあったと書かれていた。ということは、早ければ今月中に出所してくる。その手紙をもらってから、息子とわたしは動いた。息子が休みの日に、前からわたしが狙っていた平塚の賃貸マンションがまだ空いているので、そこの内見をスーモにネットから予約を入れさせた。わたしは後期高齢者だから、申し込んでも断られる。それなら息子が借りることにしたらいい。実際、いま暮らしている3DKの賃貸マンションも息子の会社の契約になっていて、事務室なのだ。今度借りるところもおいおいはママが在宅ワークで使う部屋になるので、会社で契約する。わたしも社員になって、そこで仕事をしているとなると、別に問題はない。ママが帰ってくると、住所もそこにする。実際はわたしがそこで暮らすのだが、離婚した元夫婦が同居するのもおかしい。共同親権とは言うが、小さい子供のためにまた元夫婦が暮らすのだ。世間体もよくないので、そこは在宅ワークの仕事場でもあるので、デスクとパソコンとプリンダがあるので、家事をしながら子供の面倒も見て仕事もする。わたしは邪魔になるので、新しく借りるワンルームに引っ越す。そういう手筈になっている。

 内見はすべてネットで、管理会社は東京のようで、息子は電話で話もしたが、遠隔からの指示で内見をするらしい。管理物件が多いと、とても全国各地に社員を派遣することはできない。それでどういうことなのか首を傾げた。息子も不動産屋の営業所が近くにあるのかと不思議がる。現地に着いたら連絡してくれと電話。その場所はわたしが気に入っていたところで、三か所の部屋が空いていたが、家賃27000円の部屋は埋まっていた。残っているのが家賃29000円と3万円の部屋。今回は10階建のビルの9階の部屋で月家賃が29000円のワンルームだ。国道1号線に面していて、裏には文化芸術ホールがあり公園になっている。わたしはよくそこにあるローソンのまちカフェでコーヒーを飲んで本を読んだりパソコンを打ったりしていた。歩いてすぐのところになる。その向かいにはOKスーパーがある。

 場所は市街地のど真ん中でどこに行くにもいい立地が気に入っていた。平塚駅西口まで歩いて10分くらい。商店街もそれに続いているので買い物は便利だ。わたしの毎月通っている内科と眼科も歩いて数分と近い。掃除をしているマンションとケータイショップも歩いて行けるところだし、業務スーパーからドラッグストアのクリエイトの大きな店もよく買い物に行くが、歩いてすぐだ。海までも歩いて20分くらいと、ふらりと散歩にもいい。八幡宮もすぐだし、図書館や市役所も歩いて行けるところにある。すべてが徒歩15分圏内にあるというのはいい。車もいらないし、バスに乗ることもない。なにより家賃の安さで、それを平塚のおばさんに話したら、事故物件ではないのと言うが、他の空いている部屋も同じような賃料で、事故物件なら、ひとつのマンションにいっぱいあるのかとなる。それにわたしは事故物件で幽霊が出る部屋で暮らしたい。髪の長い綺麗な人で、夜な夜な出てきたら話し相手になるし、寂しくはないだろう。

 東京に初めて出稼ぎで上京してきて部屋を探したときも上野駅前の不動産屋で、雨の日であった。この日も息子と孫と三人で、近くのセブンとデニーズの駐車場があったが、少しだけだからと止めて、傘をさしてそこから数分の物件に入る。着きましたと息子が管理会社と電話で話す。するとポストのあるところに部屋の鍵を入れてあると番号を教える。入口はセキュリティで誰も入れない。そこの鍵を開けて、エレベーターで9階に。息子はここはビジホであったのかなとその造りを見てそう言う。それを一般のマンションにしたとか。一階には自販機とコインランドリーが数台並んであり、椅子とテーブルもある。洗濯機は買わないが、わたしは手洗いにする。下着と靴下だけだ。大きなものは息子たちのマンションにたまに持って行って洗濯機を借りたらいい。

 部屋は五畳と狭いワンルームだが、四畳半より少し広いというところで狭っ苦しいとは思わない。狭所恐怖症の逆で、激狭物件が好きでよくネットの賃貸情報を見ていたが、狭いほうがいいのだ。ミニマリストでいまは私物が少ない。バストイレ洗面所は一体で、そこも一人では十分。台所には小さい冷蔵庫もある。電熱ヒーターは昔ので古いか。いまはIHヒーターだろうが、それも安く売っている。収納もあちこちにあるから、食器棚もいらないし、シューズラックもいらない。そんなに物持ちではないから、最低必要なものだけあればいい。

 ベランダからの眺めは最高だ。総合公園の杜が見える。その向こうにには丹沢大山と左手には湘南平、雨だから見えないが、晴れていれば富士山も見えるだろう。息子も気に入って、平塚は家賃は安いなと驚く。リフォームしているから室内は綺麗な洋室。センターラグを最初に買ってきて敷こう。それから引っ越し荷物をうちのワゴンで運んで入れる。ネットで頼んでいたのが寝袋と折り畳みベッドで、布団はいらない。エアコンもついているし、窓を開けたら風も入りそう。ベランダには洗濯物は干せるし、またハーブや葉物の野菜の家庭菜園はできるな。プランターもいまのマンションのベランダで放置されているのを持ってこよう。いままでの雑な生活はゴミ屋敷で、花を植えることもなかった。こけからは前の一人暮らしのような花と緑のある生活に戻れる。

 写真も撮って、引き上げる。申し込みもいまはすべてネットからで、初期費用も敷金礼金ゼロのゼロゼロ物件で安い。共益費もたったの千円だ。

 内見が終わり、車でオリンピックのショッピングセンターに買い物に走る。二階にあるリサイクル屋を覗く。先日孫と買い物に来たときに、その店でパソコンデスクではなく幅広いラック二段がついたデスクが割合と綺麗な状態で五百円で買った。今度は椅子が欲しいと見たら、大きな椅子がこれもたったの百円で売っていた。脚はステンでキャスターもついてアームレストもある座り心地は悪くない。どこも壊れていないのにどうして激安なのか。さっそく買う。新生活に必要なものだけ買い揃えているのは、また老後の一人暮らしに戻るための支度なのだ。わたしの住所も決まればすぐにそこに移す。息子と別居してから、小田原の法テラスにもう一度行って弁護士さんと相談二回目だ。古い息子一家との生活も一旦清算してリセットする。息子はまだ未練があるのか、ご飯は父ちゃも一緒に食べるだろうと言うから、いいや、おれはおれで勝手に自炊するから、おまえたちとはもう飯は喰わん。スーパーに買い物には?と聴くから、それもこれからは別だな、これからはおまえたちのために一円も払わんぞ。すべて老後資金で、これからは好きな海外旅行のためにだけ使う。息子はわたしはかつて古本屋を出て行ったときのように深刻な顔をした。いつまでもあると思うな親と金。頼られてたまるか。これからは元夫婦でしっかりと子育て頼むぞ。わたしはもう一切関わりたくない。