コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

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日曜日の都心に潜入 | 湘南つれづれ

甘いはうまいか

テレビの食レポで気になるのが、なんでも甘いという言う感想だ。甘いというのが最高の味覚の誉め言葉であるかのように。


文化人類学的には、味覚のランクでは、甘味は最低の味覚なんだとか、本で読んだことがある。未開の人たちに食べさせたら、甘味は誰でも受け入れて、苦味は吐き出したという。その苦味は本能的に毒と思うからだろうか。それで、チョコレートもコーヒーもそういう南国から出てきたのに、原住民は慣れ親しんでいつも口にしていたのでなんともないが、他の国の未開の人たちに食べさせると受け付けない。フィールドワークでそういう味覚の実験もしていた。


ビールなんかも多少は苦いので、お子様は飲まない。子供も未開の人たちと同じで、苦味が解らない。そのくせ美味しいかどうかの味覚テストでは12歳が一番なのだとか。子供らにも甘味が最高なのだ。大人になると、いろんな経験を踏んできて、味覚の上位の苦味のうまさが解ってくる。ゴーヤもふきのとうも苦味がいいと言う。わたしはまだ味覚が子供なのか、コーヒーはブラックではなく、砂糖とミルクも入れる。チョコレートはビターが体にはいいのだと知っていても、ミルクチョコを買ってくる。その味がまだ幼児的で、甘さを求めている。


ビールなんかも美味しいとは思わない。つきあいでは呑むが、一人では買ってもこない。


甘いはうまいと同義語というのが津軽にはあった。うちのおふくろの叔母だから、もうとっくに亡くなったが、わたしらと一緒にずっと暮らしていた。そのばばちゃんと呼ぶばあさんは、よく津軽弁であめーなと言っていた。うめーと同じことなのだ。そのことで口論したことがある。甘いものはすべてうまいのかと。辛いものや苦いものでも美味しいものはいっぱいあるだろう。それがどうも言葉では理解できない様子なのだ。とにかく、甘いものは旨いとなる。それ以外の表現方法がないらしい。味覚的には原始人といったら失礼だが、そのレベルなのか、幼児的なのかと思ったりもした。


わたしも入院したら、二週間ぐらいだが、塩分と糖分を控えた病院食を三度食べさせられた。コーヒーもブラックばかり飲んでいたので、すると薄味にすっかりと慣れて、退院した後も、コーヒーに砂糖を入れたらスプン一杯でも甘くて飲めなくなった。いままでは青森出だから、なんでも味付けは濃く、塩分摂りすぎであったのが、薄味で慣れたら、塩っ辛いのは食べられなくなっていた。半月の入院なのにそうも違う。これはいいことだ。なんでも慣れだ。甘党の人もそうして食生活を変えるために、砂糖抜きの食事をひと月ぐらいしてみたらいい。


わたしの場合は白砂糖は買わない。黒糖や蜂蜜、人工甘味料で、塩も1キロ買えば、1年以上はもつ。できるだけ酢を代用している。それに慣れたらどうということもない。昔、シュガーブルースという洋画もあったが、それを見たらきっと甘いものは毒だと、もう食べられなくなるだろう。そう強く思い込むことで、スイーツから離れられる。ただ、わたしのように、死んでやると、自殺でもするかのように、おはぎにかぶりついて、どうにもならない甘党は、糖尿病ではないが、麻薬のような習慣性で、甘いものからどうしても逃げられない。スーパーでもそのコーナーは見ないようにして目を瞑って通り過ぎる。レジの横にまた甘いもの。ほら、ほらと見せつける。ええい、ひとつだけならいいだろうと、また買う。気の弱さはどうにもならない。

江の島から辻堂まで潮風ウォーキング

 年とともにかだんだんた面倒くさくなる。運動もしないと思っても、まあいいかと、部屋でごろごろはよくない。自分自身を甘やかさないで鼓舞するよう出かけた。ひと月ぶりで駅に行って電車に乗る。pasmoも使っていないから腐るか。三つ目の藤沢で降りる。天気は曇りの平日で、むし暑い。藤沢で降りたのは二度目で、五年前に相方と二人で駅近くのホテルに一泊して、その翌日に鎌倉で遊んでから羽田へ向かい長い旅行に出た。駅の北口と南口の商店街を歩いてみる。ここも交通の便はいい。小田急とJRと江ノ電とモノレールがある。ドンキーで昼の弁当とドリンクと他にあまり売っていないMJBの緑の挽いたコーヒーを1キロ近くで安いのを買う。
 江ノ電も久しぶりだ。それで江の島で降りる。電車もクラシック。駅は昔のままなのがいい。まずは、前にも何度か行ったが、龍口寺に行く。そこの前の商店街もレトロで、江ノ電はそこでは路面電車になり商店街を突き抜ける。それを鉄ちゃんたちがカメラで撮る。龍口寺はそこは昔の刑場で、日蓮が処刑されるところが雷が落ちて救われたという有名な場所なのだが、日蓮が囚われた土牢もある。二人くらいの参拝客はいたが、若い人たちの姿はない。
 駅から江の島までの商店街は7軒くらいが閉めていた。やはりコロナで観光客が激減でここもそれでもっているから大変だ。人通りもまばらだ。江の島も何回も来ているから、別に寄らなくてもいいのだが、今回は観光ではなく、歩くことだから、上まで行って、島をぐるりと一周してくる。それだけでもだいぶいい運動にはなる。石段を上がるにふうふうと息が切れた。そこは若いカップルばかりで、まだ夏休みなのだろう。学生たちだろうか。若い二人を後ろから眺めて、いまが一番いいときだなと、羨ましがる。自分にもそんなときがあったのが遥かかなたの話になる。
 展望台からは曇って眺望はよくない。売店も食堂も閉めているところもあり、景気は悪そうだ。休み休み歩く。海岸に出て、前に相方と来た岩場に座り、昼飯とする。あれから五年で随分と長い旅をしてここに辿り着いた。それまでいろんなことがありすぎた。
 また橋を通って戻る。ビキニの女の子たちが歩いている。海水浴は禁止だが、それでも何人かは泳いでいた。五年前もわれわれはそこの片瀬海岸で泳いだが、ゴミが多くてとても顔をつけられないほど汚かった。いまもそれは変わらない。まだ平塚の海のほうがゴミがない。七里ヶ浜というが、鎌倉から江の島までは歩いたことはある。七里もないのだ。そんな遠くではないが稲村ケ崎が見えている。それを回れば由比ガ浜だ。鎌倉も歩いても遠くはない。学生時代はよくここに泳ぎに来た。コロナでなければ江の島の岩場で潜ったりしたろうに。
 コンビニでドリンクがなくなったので緑茶の紙パックを買う。ビキニのお姉さんが二人レジに並び、目のやり場に困った。店頭には砂をつけた方や水着では入れませんと書いている。それは結構あちこちの神社などでも書いてあった。水着でビーチサンダルで若い人たちはどこへでも入る。神様も目の保養になるだろうが。
 浜伝いに、辻堂まで歩く。日が照ってきたので、ウッドデッキでみんな日焼けしていた中に入り、わたしもそこで横になる。海の家は解体作業をしていた。今年は業者は空振りで、ひどい目に遭った。海の家を建ててまもなく緊急事態宣言でこれからというときに海水浴場は閉鎖、営業もろくにしていないのに大工たちが車で来て解体していた。経費はかなりかかって回収ができないまま。そのビーチの海の家の骨組みだけが廃墟のように見えた。
 川に出る。そこからは鵠沼海岸なのだ。天気がよくなってきたので、だんだんのテラスで上半身裸になり、日焼けで寝ていた。若者たちが河口では泳がないでくださいと書かれているのに、ボールでみんな河口に入って遊んでいる。その川は綺麗なのか?
 辻堂海岸まで行くとサーファーも少なくなる。江の島も遠く見える。逆に茅ケ崎のサザンビーチと平塚のビーチが見えてくる。歩けば14キロはあるだろうから、もうかなり歩いて疲れては休みと、その先へと歩けない。前に来てよかった辻堂の湘南海岸の公園に出た。南国の雰囲気の公園で気持ちがいいくらい広々としている。そこのベンチで水分補給と読書。うとうとと眠くなる。
 辻堂駅の方へと歩く途中に図書館がある。前に入ろうとしたら閉めていた。今度も同じで閉めている。涼みに入ろうとしたのだが、ついていない。海岸から駅までは2キロ以上はある。だいたいどこの湘南の駅も同じぐらいの距離がある。
 駅前のテラスモール湘南に入る。湘南で一番広く大きなショッピングセンターだ。そこのファーストフード店で読書。ようやく休めた。かなり体力を消耗した。最近はずっと雨ばかりで運動不足であったから、ウォーキングもあまりしていなかった。それで体がなまつていた。
 モールの向かいのスーパーが前に来たとき安かったので、今回も入っていろいろと買いこむ。生のプラムの大きなのが10個くらい入って安い。青い夏りんごも懐かしいと買う。茄子なんかも安い。このスーパーは確かにこの辺では一番安いだろう。晩飯の韓国海苔巻きキンパも買う。
 電車で二つ目の平塚で降りて家までまだウォーキングは続く。エコバッグにも買い物でびっしりと手に重い。帰ってから万歩計を見たら3万歩に後少し。23キロも歩いた。消費カロリーは1200キロカロリー。脂肪燃焼も70グラムとあるが、どこが減ったのかと、腹の贅肉を掴んでみる。減量は難しい。