コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

仕事を辞めたら名刺を作る

 何かの本でリタイヤしたら名刺を作ろうということが書かれていた。それまでは営業、これからは自分を売り込む。そういうわけではないが、久しぶりに名刺をネットで頼んだ。いまは、スマホから簡単に名刺が注文できる。そこの会社のアプリをダウンロードして、デザインのテンプレートから選んではめてゆくだけ。わたしの場合は名前が三つある。本当は四つだが、書ききれないので、ペンネーム二つと本名にした。カラーで図柄はビーチの写真。単純でいい。わかりやすく、なんでも湘南なのだ。ここのところはそればかり。裏面には6つのQRコードを貼り付けた。いままだネットで読めるブログや詩や小説集など、興味のある人は、そこから入れる。そのキャプションも書かない。何が何か判らないが、ともかく、読み込んでみてというもの。
 それを40枚両面印刷にして、注文と押したら、受付けられ、支払いはクレジットで。見積もりは、40枚で千円と安い。それが二日したらもう送ってきた。初回サービスと百枚プラスで送ってきた。見たら、やはり、自分で名刺の用紙を買ってきて、プリンターで印刷するよりはずっと綺麗。青森にいたときは、自分で印刷していたが、どうも汚い。センスも悪い。
 田中康夫知事の就任のときに、名刺折り曲げ事件があった。そのとき、わたしが作った名刺は、折り曲げてくださいという名刺を作ったが、評判は悪かった。なんの意味があるのかと。すみません。
 一度、詩のコンクールで賞に入ったときに、そのお祝いの席に来賓としておいでになった宗左近さんとご一緒になる。そのとき老詩人からいただいた名刺は実にシンプルなもので、名前の他には一字も入っていないのだ。わたしは有名人でないから、そういう名刺を作ると、逆に言われそうだからよした。
 名刺を最後に作ったのは、古本屋を息子に譲り、定年退職して辞める前で、息子が社名変更したうちの会社はご先祖様の屋号をそのままいただいて、近江屋忠兵衛という。息子が代表取締で、わたしは名刺に番頭と肩書を書いた。それで、店に訪ねてくる方々に、番頭ですと名刺を出すと、冗談だと思ったが、名刺にそう印刷してあるので、「ほんとうだ、番頭さんだ」と、笑う。以後、みなさんから、番頭さんはおいでかと、しばらくは番頭さんと呼ばれていた。古本屋の番頭さん、それは悪い気はしなかった。
 あれから10年、いまは出稼ぎで上京してからは、契約社員で働いて、別に営業ではないので、名刺なんかいらない仕事ばかりしてきた。名刺を出す人と会うこともない。会うとすればセールスぐらいか。
 今度は、ボランティアをするにせよ、まっとうな仕事には就かない。名刺は個人的なものになる。商談ではなく、冗談半分だ。
 海外に行ったときは名刺を作って行った。英語で書かれて、裏面にはねぶた祭の写真が印刷してある。それは結構配った。いろんなところで世界の旅人たちと出会う。彼らに配り、交換もした。それも個人的なものだ。
 これからは交遊範囲が広くなるだろう。いろんなところに首を出す。仕事でないのが面白い。毎日誰かと出会いたい。人が一番面白い。仕事に縛られていればそれがなかなかできない。利害関係が絡むとやりにくい。本音でつきあえない。会社の看板も肩書もなく、「わたし」という人間の名刺が欲しかった。それを嬉しそうに財布に入れている。最初の一枚はおふくろの手紙に入れてやる。二枚目は息子たちだろうか。来週も逢いに行ってくるから。商売ではないが、売るものは自分なのだ。


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