コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

銀座日本橋に紙を買いに

 おふくろの句集が百冊、大阪の出版社から送られてきた。ソフトカバーにしたので、表紙はカラー印刷だが、どうも冊子のようで軽い本になる。百ページの本なので、薄いが、ハードカバーにはどうもできないと、安く済ませたのだが、自分で和紙のカバーを掛けたら、少しはいい雰囲気が出るかなと、古本屋時代によくやった、カバー掛けをするため、何かいい紙がないかと、紙専門店を探した。平塚にはない。都心ならいくらでもある。それも銀座と神田、日本橋に集中している。多くは老舗で、在庫がきっと多いだろうと、期待して相方を誘って出かけた。
 古本屋のときには、高価な古書にはグラシン紙やパラフィン紙をその本のサイズに切って掛けた。すると、なんとなく高価に見える。手間はかかるが、昔ながらの古本屋は、そうして古いヤケた本も大事に売ったものだ。いまはビニールカバーもあるが、それはちょっと品がない。マンガ本などはいいだろうが、その専門のビニールカバーが古本屋向けの取り扱い業者がいて、売っている。昔はそんなものはなかったので、どこの古本屋も自分で、暇なときに帳場で一冊ずつ本にパラフィンを巻いたものだ。
 それは外国の古本屋でもやっていた。ニューヨークで一番大きな200万冊あるというストランドブックストアは世界でも最大で、棚の長さだけでも何十キロかあるという。わたしがそこを訪れたとき、帳場には、ビニールロールから本に合わせて、一人のスタッフが黙々とビニールカバーを掛けていた。ロールから引っ張り出して長さを合わせると、カットできるカッター台も備えている。
 それを思い出して、おふくろの句集には、初めは障子紙の高級な柄の入ったものをカットしてカバーにしようかと、ホームセンターに行って見たり、文具店を探したりしたが、やはり紙は紙屋だ。
 まずは地下鉄で三越前で降りた。そこは日本橋だ。何年ぶりで来たろうか。普段は用事のないところだ。ネットで銀座と日本橋の紙店を五店くらいチェックしてきた。その最初が日本橋の小津和紙店だ。ビルひとつある。自社ビルだろう。創業は1653年とあるから370年以上も前からあるのだ。いろんな紙を見ていたら、古本屋時代を思い出した。自費出版も片手間でしていたが、そのときは、印刷屋に行って、紙の見本帳ばかり眺めていた。久しぶりの感覚だ。
 和紙が専門で、あまりにも種類が多く目が回る。女性の販売員さんが、どのような用途ですかと聞くから、おふくろの句集を見せて、これにカバーをするのだと、透けて見えるもので、あまり薄いものではなく、丈夫なものと、指定した。50kg以上ないと、ぺらぺらだ。本と重ねて風合いを見る。雲龍模様はないかと、出してもらう。薄い紅色もいいが、本が負けてもいけない。結局、値段もあり、全紙で2千円とか3千円もするものは使えないので、無地の和紙で一枚500円のところで妥協する。それに本を合わせて、取り分を計算すると、11枚だけ買った。
 最初の店で決めたのでよかった。ついでに、その会社の歴史を展示している資料室も覗いた。小津というから映画監督と関係はあるのか。弥二さん喜多さんの道中記の挿絵の版画もずらりと展示しているギャラリーも無料で見た。平塚もある。前に上った高麗山が浜辺から見えている版画。それと、和紙の原料の楮からどのようにして作られるのかというDVDも座って見た。わたしは、若いときに、古本屋をやりなから、浅虫で北限の和紙製造もしようと、勉強したことを話した。仕事が忙しくてとうとうできなかったが、夢だけはいつもあった。
 昼飯は近くの和食処に入る。暗い店で黒の内装がより暗くしている。そこにジャズが流れて、ここは和食ではないのかと、その意外性に戸惑う。日本橋もランチは高くはない、千円前後でボリュームのある美味しいしゃれたものが食べられる。サラダとご飯と味噌汁はお替り自由というが、相方は珍しく美味しいとお替りしていた。
 そこから明治屋に入ったり、三越に入ったりして久しぶりのデパートを上から見る。デパートは高級品コーナーは一部だけパーテーションで仕切って休みにしていたが、ほとんどの売り場がやっていた。外から見ると、入口は一か所だけ開けていて、三方を閉めていたが、それは戦術なのだ。都の職員が視察に来ると、閉めていると思わせ、中ではほとんどが休んでいない。どこからどこまでが贅沢品でないのか。鍋敷きを売り込む女性が一枚3千円のものを盛んに勧めていた。あれは贅沢品ではないのか。
 デパートの屋上に行くと、そこは都会のオアシスだ。人はまばらで、そこで自販機のコーヒーを飲む。三囲神社もある。隅田にある三越の守り神だ。池もあって、屋上のガーデンは休まる。
 銀座にも行ってみる。久しぶりだ。いつもよりは人出は少ない。銀座もあまり用のないところだ。わたしが銀座のビルに勤めていたのが2年以上前で、そのときから来ていないのではないのか。コロナであまりこんなところには来たくはないが、紙を買いにと、そのせいにして歩いている。年寄りたちは怖いからあまり来ないだろう。わたしはここのところ、池袋と新宿、渋谷と出歩いて、いいのか、自殺行為ではないのかと、言われそうだ。それにしても年寄りの姿は確かにいないな。


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