コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

まされる負債 子にしかめやも

 子は宝だというのは、まだ原石のうちで、磨けば光るからだろうが、それも玉石混交、ただの石であったりする。期待する親も、よくよく考えてみたら、自分の血を分けた子供だから、たかがしれているというと、息子たちには悪いが、自分と比べてみるとそんなに才能もあるとは思われないが、鳶が鷹を生むこともある。姉のところでは長男が東大生になったから、親の学歴と比較してもいけない。
 それでも子供は可愛いと育てて、それが宝物なのだが、宝もいつしか社会に出るとオークションにかけられて、フルイにもかけられる。石ころになるか、思わぬ値をつけるか。
 いろんな家の息子を見ていたら、借金を作り、親に無心する。親が年金暮らしでもパラサイトして年金規制法はあるが、年金寄生法も作らないと。いつまでも働かないで、シングルで老親に寄生している。そういう従弟もいる。彼は引きこもりで、わたしよりひとつ下なのだが、80-50どころか、90-70に近くなる。90歳の母親が70歳近いの息子の面倒を見ている。もう30何年も家にいるのだから、よく飽きないものだ。五体満足で、頭も悪くないが、どこか性格がおかしい。社会不適合人間なのだろう。
 友達の子供たちも、もういい年なのだが、そろそろ中年だろうが、外に出ないのがいて、困っていると相談された。結構、そういう家が多いのは、わたしの回りを見ても判る。
 その点では、うちの息子たちはみんな所帯を持ち、子供を育て、家も建てたりと、ちゃんとやっているほうだろう。それでもいろんなことがあった。それは息子がどうのということではなく、親の自分の半生を振り返ってみれば、もっと波乱があった。子は親の背中を見て育つ。その親にしてその子ありと言われても仕方がない。


 いま、わたしは息子たちに電話ひとつもしないし、メールもしない。息子の会社に顔を出したのが去年の2月で、千葉に引っ越したときに入居申し込みに保証人として書いてもらったときだ。だから、もう一年以上も顔を見ていない。青森にいる三男とは喧嘩別れして親子の縁を切ったので、4年も顔を見ていないし、話もしていない。まして孫娘たちとは6年も顔を合わせていないので、小学生のときしか知らないのだ。それがみんな大学生や高校生になったなんて、どこかですれ違っても判らないだろう。それほど、つれない親子とは思えない冷たさで、疎遠にしているのには理由があった。
 いまから10年前に、連れ子も二人いたが、その娘の離婚騒動に巻き込まれ、熊本の婿の両親ともやりあい、精神的におかしくなった娘を一時病院に入院させたり、自殺騒ぎがあったりと、おなかに次の子が入っていて四か月でどうするのかというときに、別れて、それっきり10年も顔を見ていない。二番目の子は生まれたのか、その後、どこで暮らしているのか、よく解らない。四男もいたが、それもできちゃった婚で赤ん坊が生まれたばかりに別れると、一騒動。賑やかな家族だった。さらに次男が愛人を作りと、そこでも離婚話で、もういい加減にしてくれと、嫁のほうの親とも話し合い、一時にいろんなことが起こって、そのことが原因ではなかったが、二番目の妻も離婚届を送り付けてきて、同じころに別れると、もうどうでもよくなった。
 長男もずっと家に帰らないでどこで何をしてるのかと、嫁さんの話を聞いて、どいつもこいつもと血圧が上がる。だけど息子たちを責められない。自分がそうだったからだ。
 そんなことが立て続けにあると、今度は古本屋が経営難で、息子が借金で首が回らず、おふくろに金を貸してと言ってくるし、わたしの貯金はすべてはたいてないしと、こっちは離婚ではなく、財政難なのだ。右を向いても左を向いても大変だった。これは逃げなければと、わたしは子供たちとはかかわりになりたくないと連絡もしなくなる。何か向こうから電話が来たら、今度は何事だと身構える。子供恐怖症になる。まさに、子は宝物ではなく、借金か請求書に見えてくる。一人で老後をゆっくりと暮らしたほうが幸せなのだ。家庭内のごたごたも、孫のことまで責任は持てない。だから、いまは隠遁生活に入るのだ。息子たちには引っ越した先の住所は教えるべきかどうか。

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