コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

旅行はタブー

 今年もお盆の帰省ができない。帰ってみんなに移すと悪い。8月いっぱいは旅行にも出られない。緊急事態宣言が関東で出され、全国の感染者も2万人近くなる。どんどんと増えてきているのが、移動したり遊びに行ったり、外食したり、飲み会をしたりということで責められる。
 先月、宮古島に行ってきたが、今日のネットニュースを見たら、宮古島が10万人当たりの感染者が日本一だけでなく、マレーシアを抜いて、世界一というのだ。小さな島なので、世界最悪の記録を作った。それはわたしも旅行に行った一人として加担したような罪悪感を持つ。宮古島市長は旅行に来ないでくださいと、テレビで報じていた。沖縄本島から300キロも離れた離島でもそうなのだ。これからはしばらくはおとなしくしていよう。
 病院が悲鳴を上げているときに、自分がそういうことになったとき、入院もできない。旅行が趣味で、あちこち行きたいわたしには出られないというと、他に何を楽しみにしていったらいいのかと、先の予定もなく、これからの収束も見えないので、誰しも同じだが、何のために生きているのかと思うときもある。それでもわたしの場合はまだやることはあるので、部屋でもできることがいっぱいあるので救われる。
 いまは図書館に二日ごとに通い、映画のDVDを借りてきて見ること。外れもあるが、いい映画もある。最近見たのでよかった洋画は、トム・ハンクス主演の戦争映画「プライベート・ライアン」。これは前にテレビで見たような。それでディカプリオ主演のハワード・ヒューズの評伝映画「アビエイター」これは見ていなかったが、精神病になる富豪の末路は哀れだった。
 それと相変わらずの読書だが、部屋にいる時間が長くなるから、読む量も増える。他にやることがない。ベッドでごろごろと読むよりはと、本を持って天気がよければ海に行ったり、マックやショッピングモールの書斎に出かける。雨が降っても平日ならどこか本が読める場所を探す。
 タブレツトPCをバッグに入れて出かける場合もある。部屋で今月締め切りの小説を書くよりは、外のほうが捗る。
 平塚に引っ越して、まだ三か月少しだが、この街に足が着いていない。どこか旅行者であり、散歩も日帰り旅行と思うようにした。歩いたことのない路地に入ったりする。自転車ならさらに遠く足を伸ばせる。
 旅心を慰めるために、今後はどうなるか判らないが、晩秋の国内旅行の計画も立ててみる。11月末からJR東日本の大人の休日倶楽部の格安フリーパスが利用できるが、もう東日本は行き尽くした。どこかないかなと地図を眺めて、若いときに新妻と旅行した信州にまた行ってみようかと、あれから半世紀ぐらい経っているので、どう変わったかと見たい。あのときのコースは白樺湖、蓼科高原、想い出の丘、清里、野辺山、菅平などであった。あのときは車で回ったので、行きやすかったが、小海線で乗り降りしてはダイヤもまばらで、バスの便もいいものか。それでも秋は晩いかもしれないが、紅葉の時期もいいだろう。若いときはいまどきの夏に行った。二十代の視線と老年の視線では風景も違うだろう。あのときは、若いから神社仏閣や史跡というものに興味がなくスルーしていたが、今度は歴史探訪も興味のあるところだ。文学散歩もいい。あのときのようなロマンチックなペンションなんかには泊まらない。ひなびた小さな温泉でいい。
 そういう計画を立てているときが一番面白い。気分は信州に飛んでいる。昔のことも思い出す。老後は思い出だけでも楽しめる。人は老後にどれほどいい思い出を持っているかだ。
 それまでコロナは下火になっているか、ワクチン接種が進んで感染が減っているかどうか。海外はまだ無理だが、パスポートも10年の更新ですでに使わずに2年が過ぎる。早く解禁になればいい。そうなるとワクチンパスポートを持って、半年ぐらい行って帰らないだろう。ただ、コロナで疲弊している国を回るのは危険だろう。そういうところは避けて、安全な国を回ってみたい。
 足止めをくっている現在は、旅は枯野を駆け巡る。


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