コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

今日鎌倉に行ってきました

 東京からなら鎌倉も日帰りはできるが、少し遠い。平塚からなら何十分もかからない。今度から、いろんな花の時期に来てみよう。それで、引っ越して初めて鎌倉に行ってみる。♪今日鎌倉に行ってきました と、歌が口から出た。誰の歌だったか、さだまさしの縁切寺か。歌の歌詞と同じく北鎌倉から源氏山と、あの日と同じ道のりを辿ってみよう。
 そうと決まったらいつまでも寝ていられないと、とび起きる。9時前に、水筒にお茶を入れて出かける。海水パンツも履いていた。よしんば由比ガ浜で泳ごうかと。
 鎌倉駅に降り立つ。5年ぶりだ。近いのに混むからと、相方は来たがらなかった。それでも行ったことがないというので、5年前の7月の初めに、旅行のスーツケースを引いて、二人で鎌倉駅に立つ。あのときは、ヨーロツパに長期で旅に出たときだ。千駄木のマンションは引き渡し、荷物は青森にトラックで運んだ。9か月で23か国を回ろうと、出てきたのだが、その前に一泊を藤沢のホテルで取り、江の島から江ノ電で鎌倉に来ていた。駅前の観光協会にスーツケースを預けて、歩いて鎌倉を案内した。わたしは鎌倉は隅々まで知っていた。できれば、老後はそこで暮らしたいと思ったくらいだ。小町通りも人は少ない。駅前からして閉めている店も5店あり、観光都市鎌倉もコロナで被害を受けている。
 鶴岡八幡宮に出る。そこからは50年昔に戻る。わたしの二十歳のときにつきあっていた女子大生で幼馴染の人を追いかけていた。八幡宮の横から出ると、すぐに横浜国大の雪ノ下寮があった。いまは取り壊されて、そこは付属の小学と中学になっていて、昔の面影はない。後ろに回り込む。当時のままの西御門の石碑はあった。寮は校庭になっていたが、切り倒された木の切り株だけはきっと当時の木であったろう。プールもあったがいまはない。二階建ての古い木造の寮の二階に彼女はいた。一度だけ遊びに部屋に入った。プールサイドではエレキバンドがゴールデンカップスの長い髪の少女を熱唱していた。寮祭が行われているところだった。
 彼女は、いい場所を見つけたのと、わたしをずっと裏山の高台に連れて行った。そこから海が見えた。いま、またそこまで歩く、途中に里見弴が住んだ大正時代の家があった。昭和初期までそこで暮らした。ライトの設計を真似た造りとかで、確かにモダンな洋風建築だ。
 そこから坂になる。ふうふうと上るが、すでに私有地で買われたか、家が建って、道はその先にはなかった。山の斜面までびっしりと家が建ち、きっとベランダからは海が見えるのだろう。思い出の場所は諦めて引き返す。八幡宮まで戻ると、その裏手の休憩所のベンチに座って、持参したお茶を飲む。今度は5年前の思い出だ。相方と二人でそこで休憩し、昼のパンを齧っていた。できるだけお金は使わないこと。これから長い旅に出るから。
 北鎌倉まで歩いた。トンネルを出たら建長寺がある。あのときもそこを見学した。何回も見たので入らないつもりが、伽藍の配置図に、なんと青森出身の作家葛西善蔵の墓があるのを見つけた。それを見るだめに拝観料を払う。本堂では、管主が説法をしていて、多くの観光客か、聞き入っていた。終戦時の話に禅宗の「いまここにいるということ」を説いていた。コロナと歴史の苦難を重ねていた。
 裏庭もよかった。同じところで休む。それからずっと境内の奥まで歩くと、回春院に至る。墓があり、映画監督の大島渚の墓があった。そこではなかった。スマホで調べると、その手前を右に入るとある。そこにも広い墓地があり、すぐに葛西善蔵の墓はあった。割合と新しい。手を合わせてくる。椎の若葉がどこかにあればいい。
 建長寺からまた歩く。今度は明月院だ。紫陽花寺として有名だが、わたしは三度見ている。50年まえには、横国の子と行った。写真を撮りたいと、紫陽花の前に立たせた。彼女はモデルとしてはいい表情をした。少し鬱っぽい少女の眼差しで薄い紫のワンピースを着てきた。その一枚は四つ切に伸ばして、わたしの部屋にしばらくは飾っていたがどうしたろう。それから一年して別れたが、彼女もわたしと同じ年だから、いまはいいおばあちゃんか。
 相方ともそこに来た。7月なので紫陽花は終わりのころだった。この日は見ごろですごい人だ。金曜日だったが、明日の土日は混むので閉鎖すると看板にあり、それでその前にとどっと観光客は詰めかけていた。わたしは並んでまでも入りたいとも思わず、その入口で写真を撮って引き返す。
 あのときと同じコースを歩いていた。亀が谷切通しから化粧坂切通し、そして源氏山へと上る。石のごつごつとした道は雨水が流れ、さながら登山でもしているようなところを登る。出たところは公園で平坦。そこのベンチで昼飯とする。買ってきたおにぎりとサンドイッチで。すると電話。誰からか、平塚市からの自動音声が流れる。ワクチンの予約を早めてもらいたいと。やはりな。ワクチンが余ったから。6月下旬から再予約できると。
 源氏山から下ると銭洗い弁天がある。そこにも行った。相方はザルに小銭を入れて洗っていたが、何か信じないような。倍に増えるんだよと嘘を言う。そこも参拝の若い人たちで賑わう。鎌倉はいつでも人でいっぱいだ。
 降りてゆくと市役所があり、鎌倉駅に出る。わたしは目を瞑っても歩ける町だった。古都だからそんなに通りは変わらない。駅前のマックで休憩。本を読みながら涼む。やはり暑い。ポロシャツ一枚も汗でぐっしょりだ。
 今度は海だった。若宮大路を下る。由比ガ浜に出た。泳いでいる人も何人かいた。わたしもと思ったが、シートを砂浜に敷いて、昼寝にした。気持ちがいい。ウインドサーフィンも風があるから走る。わたしのすぐ前のカップルのお兄さんがわたしを睨む。どうしたのか。彼女のスカートが風でめくれるのを盛んに抑えて、見るなよというのか。それは無理だ。それよりスカートの裾をパンツに入れろよ。若い子たちは知らないのか。昔はそうしていたな。いや、あれはズロースの時代であったか。外人さんたちも多い。ドリンクを買ってきたのはすべて飲みほした。
 前にはなかったが、ビーチの入口に「さくら貝の歌」の歌碑が建っていた。砂浜を見たら桜貝がいっぱいある。若いときはよく探して拾った。
 帰り道にスーパーと八百屋があって覗いたら安いので買った。ついで晩飯の弁当も買ってゆく。その通りに、昔は日蓮の辻説法跡という銅像が建っていたと思ったが、なかった。それと、コードダジュールというピアノバーがあり、19歳のわたしがコーヒーをそこで飲んだ記憶がある。そういう店も半世紀で消えてしまう。そこから1時間もかからずわが家に帰れる。近いからたまに鎌倉散歩もいいな。混んでいるところを外して、誰も行かないお寺巡りもいいだろう。
 家に帰ってスマホの万歩計を見たら、なんといままでの最高記録で3万歩を越えていた。23キロで消費カロリーも1180kcalと、脂肪燃焼も卵三個分だ。これで体重は2キロは減ったか。


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