コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

茅ケ崎まで自転車で

歩いてゆける範囲は平塚ではほとんど行き尽くした。いよいよ自転車の出番だ。先日も越してきて初めてひと月ぶりで自転車に乗った。錆びてきていたので、油をさした。グリーン色のロードバイクだが、5年目になる。乗り潰そうと思う。
 この日は隣町の茅ケ崎市のスーパー銭湯に行ってみる。前に相方と二人で行ったのは茅ケ崎市の竜泉寺の湯であったが、もうひとつある。それが野天湯元湯快爽快ちがさきという面白い名前のスーパー銭湯なのだ。自転車でどれぐらいかかかるのか。相模川の橋を越えたらもう茅ケ崎で、そこまで15分だった。国道1号線を走っていたら、大きな赤い鳥居がある。参道も松の木が誘うので、そっちのほうへと走ってみた。鶴嶺八幡宮という。源氏が関東に来たとき最初に造った神社で茅ケ崎の鎮守様とある。写真を撮っただけで、そこから温泉の方角に知らない道路を走ってみる。いいのかと、不安になり、途中のコンビニでグーグルマップで現在地と目的地を確かめたら、わたしの感覚はいい、すぐ近くまて来ていた。
 温泉は地下1500mからくみ上げている天然温泉で、城崎よりも成分が強い塩化物でしょっぱいとある。内湯はイベントの漢方と高炭酸泉、ジェットバスなど。サウナも高温と塩サウナと二つある。露天風呂が二つに分かれていて、7つもあるのだ。穴窯の寝湯が気に入る。じわりと汗が出る。壺湯も三種類。打たせ湯は強烈で、骨が折れるのではないかと心配する。5時間くらいいたろうか。体はふやけたが、頭もふやけないと、思考ももみほぐす。なにもかも忘れて、空にする。椅子に座って全身日焼け。今日も夏日で天気はいい。
 風呂から上がり、休憩室のヨギボに横になって文庫本を読む。田山花袋の『温泉めぐり』という当時の旅行ガイドブックを書いた。全国の温泉が出てくる。よく回ったものだ。青森市のところではごそごそした暗い町のようなことが書かれていた。昔はそんながさつな町に見えたのか。こんなところで読むのにぴったりだ。『北越雪譜』のことを鈴木牧之でなく、増修した山東京山の作と間違えている。あとがきでもそれを指摘していた。
 電話がきていた。掛け直したら、東奥日報の記者さんからだ。おふくろの句集の取材で何度かきていたが、施設はコロナで面会ができない。
 近くにイオンモールがある。駅前にはヨーカドー。茅ケ崎も賑やかだ。遅い昼飯をイオンの中の飲食店でとる。がらんと客がいない。店内もリニューアル中で暗い。テナントが出たのか、空いている。百円ショップでシートも買う。これから海に出て昼寝でもしようと。上にマックがあつたので、そこでも読書。
 自転車でJRの駅前にくるが、どうやって南側に出られるのか。駅周辺の商店街は平塚と似ている。ブックオフも同じような位置にあった。ここには開高健記念館があるが、今日はもう遅いので、またにしよう。美術館もそのときにまた見たい。サザンの桑田はこの茅ケ崎出身だから、洋菓子店でもサザンクッキーを出している。加山雄三もここ茅ケ崎の出で、どちらも海を歌にしている。
 自転車で出たところがサザンビーチ。そういえば、茅ケ崎駅に流れるメロディもサザンの歌だった。ビーチは若者たちや犬を連れた人、家族などがぱらぱら。椰子の木陰のテラスで冷たいものを飲む女の子二人は絵になっている。ホテルも建ち並び、海水浴場という感じ。平塚はそうでもない。砂丘という広さもあり、海の家が建つとまた雰囲気が出るのだろうが、海水浴場よりは自然に近い。この浜は本番になると賑わうのだろう。バイクやスポーツカーでばりばりと走る若者たち。湘南爆走族というマンガもあったな。シートを敷いて、砂浜にごろん。斜陽がやさしい。日が沈む方向は海ではないのだ。残念。
 市の広報と5時の時報代わりのカラスと一緒に帰りましょうが流れたら、みんな帰ったか、急にビーチは静かになる。波の音も聞こえない。サーファーは少なかったが、パドルボードをしているカップルが沖にいたぐらい。ヘリコプターがやたらとうるさい。何かあったのか。
 自転車で相模川河口付近のしおさい公園に寄った。行ってみたら、サッカー場とテニスコートなどのスポーツ公園でがっかり。橋を渡る。相模川の河口を初めて見る。河口が好きなのは、砂洲もあるが、そこから太平洋に出られるからだ。川と海のせめぎあい。まさに、出たくて出られない、このコロナのときと同じ気持ちを感じた。
 平塚に戻ってくる。河口付近はなになに丸という漁船の名前の食堂がずらりと並ぶ。漁港食堂なのだ。海鮮丼の旗、釜揚げしらすの旗が靡く。
 久しぶりのサイクリングだった。足が少し疲れた。何十キロ走ったのか。それでも往復で1時間もかからない。これからは泳ぎに来てみようか。


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