コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

浅虫温泉の怪

 青森市の浅虫温泉にわたしは30年前に家を建てて住んだ。海の傍で、温泉街も近いし、二階のベランダからはむつ湾と湯の島が見えた。海の見える海で暮らしたかった。東京から両親を呼び戻して、息子たちと6人の生活が始まった。茨城にいる叔母がよく遊びに来た。おふくろの妹だ。叔母が泊まりにきた夏のこと、うちの裏の家のおやじさんが漁に出て、海で亡くなった。おやじさんはよくうちの草ぼうぼうの庭の除草もしてくれた。一度、家に遊びに行ってみたいと話していたという。その船が転覆した夜は雨風がひどかった。遺体が運び込まれ、通夜が営まれた。親戚が車で駆け付けたので、うちの駐車場を使ってくださいと申し出た。その夜に、中学の長男が風呂に入っていたら、窓ガラスを外から叩く音がして、男の呼ぶ声がしたと、裸で飛び出してきた。その窓は脚立がなければ手も届かないのに。
 何か胸騒ぎのするむし暑い夜であった。叔母はわたしの部屋の向かいの客間で寝ていた。すると,廊下を歩く何者かの衣擦れの音がしていた。誰もいないはずなのに、おかしいと、わたしは夜中に「誰だ」と、ドアを開けて叫んだ。そこには誰もいない。叔母もその音を聞いていて、朝方、眠れなかったという。裏の家のおやじさんが遊びに来ていたのだとみんなと話していた。
 浅虫温泉はとかく幽霊の話がある。浅虫の手前の久栗坂という長い坂がある旧道はの途中にはお地蔵様が三体安置されているところがある。そこで親子三人が交通事故で亡くなった事故現場で、供養のために地蔵が祀られたのは、その後のことだ。それまではタクシーがそこを通るたびに三人を乗せて青森方面に走ったが、後ろの座席を見たら、誰も乗っていなかったということがたびたびあったので、供養の地蔵を祀り、坊さんたち何人も頼んで、そこで地縛霊を供養するための読経が行われる様子がテレビのニュースに出たほどだ。当時は有名な話で、わたしもそこを車でよく夜に通るが、なんとなくバックミラーに映らないかとどきどきしたものだ。
 温泉街の旅館のある部屋にも幽霊が夜ごと出るというので、茨城の叔母の旦那さんは日蓮宗のお寺の住職で、よく祈祷も頼まれて除霊もしていたので頼まれた。叔父のところに依頼が入ったのが浅虫温泉のとあるホテルの一室で、和室の部屋の床の間に飾っている掛け軸には着物姿で立つ美人画があった。泊り客が、夜中に声がするので起きたら、その掛け軸から美人が抜け出て、部屋の枕元に立ったというのだ。そんなことがたびたびあったので、叔父のところに仕事が舞い込んだ。叔父は坊さんでもそういうお祓いもしていた。二日、その部屋に泊りがけ、掛け軸と対峙した。何事も起こらなかったというが、叔父の話では身震いするほどの霊気を感じたというのだ。
 旧水族館の裏山はアスレチックになっていて、子供らの遊び場だった。昔はそこの山の斜面の原っぱで弁当を開いたりして、海を眺めながら家族でピクニックに来たりした。その場所が実は自殺の名所で、松の林であったが、首をくくって死ぬ人が多かった。前の嫁さんが、東北大学の臨海試験場の寮母になり、学生や教授たちの飯支度をしていたとき、雨に濡れた見知らぬ人影が夜に入ってくるのを見た。そんな外部の人間が入れない建物であったのが、その翌日に首くくりの自殺体が裏山で発見されたと聞いた。よくあることだというのだ。
 そいう夏向きの話は温泉街というところにはつきもので、思い出して書いたが、書きながら、何か後ろにいる気配で振り返ったりしていた。何かが動いた。気配で大声を出して後ろを見たら、どこから入ったか大きな蠅が飛んでいる。殺虫スプレーを撒いて殺してやった。

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