コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

そういえばこの二年咳も熱も出なかった

 みんながそうなのか、この二年くらいは、咳も出ないし熱も出なかった。特に去年の2月からのコロナが広まってきたころから、一度も風邪らしきものも引かなかった。毎年、何回か熱は出たりする。咳も冬は毎年だ。わたしは気管支が弱く、気管支炎や肺炎でも入院したことがあり、どうも呼吸器では病院の世話にはなってきた。咳と痰は冬には必ずあり、三か月も止まらない。売薬を飲んで止めていた。病院にもよく通った。それがこの二年は全然その症状がないのだから不思議だ。コロナで手洗いうがい消毒にマスクと、菌もウイルスも入らないようにしているからだろうか。毎年のインフルエンザの話も聞かない。ニュースでも去年の秋から冬にかけてのインフルエンザがどうのというニュースを耳にしたこともない。それどころではないほどコロナばかりで、毎年の主役のインフルエンザも出番がなく、脇役になりふて腐っていたか。
 仕事をしていたときは、仲間とよく話していたのが、こんなときは風邪も引いていられないねと。咳なんか大衆の前で出たら、みんなの視線が睨む。満員電車内で、誰かが咳こむと、さっと周囲の人たちが離れてゆく。危ないやつだという視線が集まる。それだから、咳も熱も遠慮して表面には出てこれないのだろうか。
 考えてみたら、あれほど花粉症と騒いでいた春も、花粉症のことなんかみんな忘れるほどだった。くしゃみをしている人もあまり見かけない。マスクは花粉症の人たちは毎年つけていたが、いまは全員がつけているから目立たない。それでもくしゃみも咳もどこに行ってもお目にかからないほど、みなさん注意しているのだろう。
 熱も出たら、それだけで出勤停止だ。前の大学での仕事のときも正門で検温器に引っかかれば、37,5度以上は入れない。帰ってくれと門前払いになる。微熱でもそうなのだが、われわれ仕事仲間でそういう人は一人もこの一年半の間でもいなかった。微熱ぐらいいつでも出そうなものだが、仕事ができないとみんなに迷惑がかかる。余裕のある職場ではなかった。一人が休めば、後の二人は休めなくなる。
 それでも風の噂では、学校も最近では出入り業者が集団感染し、学校内の消毒をしたとか、濃厚接触者というと、用務員はみんなだ。立ち合いも鍵の貸し出しもするから。それと先生と児童と職員たちにそろそろ感染者も出てきていた。じわりじわりと都心ではそんな警戒を強めてきていた。いいときにわたしは辞めた。
 いまは、ずっと電車に乗ることもない。このひと月でも旅行で空港往復で使ったくらいで、旅行をしなかったら、平塚駅から移動することはない。市内のバスにも乗らない。自転車と徒歩だから、交通機関は利用しなくなった。
 先日は、平塚のビーチに様子を見に行ってみた。どういうふうになっているのかと。すると砂浜に立ち入った途端、監視員が近寄って、「泳ぎにこられたんですか」と質問された。「いいえ、見に来ただけで」と、言ったが、スピーカーからは、「遊泳禁止です。ビーチには立ち入らないで、来ないようにしてください」と、呼びかけていた。涼みに来てもいけない。人の集まるとは言っても、まばらだが、そんなショッピングセンターのほうが密だろうが、海水浴場閉鎖の大きな看板と遊泳禁止の赤い旗が靡いて、海には来てもいけないのだ。そうだったのかと、ウッドデッキに座って、本を読んで休憩していた。それぐらいなら許してほしい。子供らは何人かは海に入って遊んでいる。監視員のお兄さんは、一応、注意してお声掛けはしているのですがと、苦笑していた。
 感染者が神奈川県も東京についで多くなってきていた。油断はできない。見たら、浜辺に来ている人たちの多くはマスクをつけていない。密な空間でないからいいのか。日焼けに来ている人たちもいるし、サーファーもいる。街中よりはまだいいのだろうが。このブログを書いているときに、ついに藤沢市の海水浴場も全面閉鎖となり、神奈川県で泳げるビーチはなくなった。台風と水害と天候異変でそれどころではないだろうが。
 帰りにスーパーで買い物。入口で検温と手の消毒。図書館に寄っても同じで、どこに行っても消毒で、一日何回もする。手がふやけないか。これでは熱も咳も当分は出られないな。


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