コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

冷蔵庫にはいつもチーズ

 いつからチーズが好きになったのだろう。子供のときは臭くて食べられなかった。いまのチーズは臭いを抑えて食べやすくしているが、外国産の臭いチーズのほうがわたしは好きなのだ。なんでも食品は加工されて、いまや納豆まで臭わないというものが出て、あの臭いがたまらないのにと、納豆好きは、臭わない納豆なんか食べるかというものだ。そうして加工された偽物ばかり食べさせられて本物の味が判らなくなる。
 わが家には子供のときからチーズがいつも冷蔵庫には入っていた。小学生のときの記憶だが、十和田市にいた横綱大鵬の叔父さんの納谷さんが、うちの遠縁で、よく遊びに来ていた。うちの祖父と仲がよく、わたしは納谷さんから切手を集めていると言ったら、後日、満州国の珍しい切手が入ったストックブックをもらった。そのとき、祖父と話していて、祖父がわたしに「チズをもってこい」というので、冷蔵庫からチーズを出して渡した。すると、祖父は困惑して、「ツヅだ、ツズ」と、津軽弁の訛で、チとツの区別がつかない。満州の話をしていたので、地図が見たいと、なんだと、わたしは小学校で使う地図帳を渡した。その話で、冷蔵庫にはチーズがあることを思い出した。
 子供のときは、テレビのアニメで「トムとジェリー」を夕方放送していた。猫とネズミのドタバタ喜劇で、毎度同じなのだが、好きで見ていた。その中で、ネズミのジェリーが大きな穴の空いたチーズの塊を食べるところがあった。それがたまらなく美味しそうに見えた。あれはなんというチーズだったのか。調べたらエメンタールチーズで、スイスのものらしい。チーズアイという気孔がある。
 それと、外国映画で夕食のシーンがあると、テーブルの上に直にパンを置いて、皿がない。パンも大きいのを家族で切り分けて食べていた。その中に、カーリングで使うような大きな円形のチーズの塊があって、それもざっくりと豪快に切り分けて食べていた。エダムチーズだろうか。そういうふうに食べてみたいと、われわれは、チーズなんか高いので、薄く切って食べているが、きっとオランダなんかは安いのだろう。ツアーでオランダに行ったときに、それを食べてみたいと思っていたが、自由行動もなく、ホテルで出たのは上品にカットされたチーズばかりで、あのどっしりとしたチーズの塊はついぞ見なかった。
 最近になって、あちこちに旅行に行くが、確かにチーズは安い。それでも大きな塊で買っても、旅行者だから一人では食べきれない。それでカットしたものを買って我慢していた。がぶりと塊にかぶりつきたい欲望はいまもある。
 うちの菓子工場を手伝っていたときは、その塊があった。チーズケーキを作るのに、原料だから、輸入品の大きなチーズの塊を与えられ、それをナイフで削る作業をさせられた。チョコレートの塊も何キロもあるもので、削り取ったコポをケーキにまぶすのだが、それもうんざりするほどの量で、仕事なので大変な作業だった。チーズもそれを一時間もやらされたら、嫌になる。好きなものと作業は別ものなのだ。食べたいという願望はやがてなくなる。
 いまでもスーパーに行ったら、必ず覗くのがチーズコーナーで、平塚に来て、安いスーパーを見つけた。そこの店では賞味期限間近のチーズが半額で売られている。小躍りしてどっさりと買う。うちの冷蔵庫にはいつもチーズがいっぱい入っている。毎日食べていて、そこからタンパク質を摂っているのだ。
 スイーツで一番好きなのはレアチーズケーキだが、それも青森にいたときは、善知鳥神社の隣にあった、ガトーしろたえのハードタイプのレアチーズが好きでたまに買いに行った。自分の家業がケーキ屋のくせに商売仇の店のが好きだった。しろたえはやがて引っ越して、東京は赤坂に店を構える。引っ越してから、わたしも上京して東京で暮らしたが、何度か食べに行っている。いまも昔と味は変わらず、東京人にも人気があると並んで買っているのだ。
 いま、先日買った半額のレアチーズが二つ冷蔵庫に入っているが、それを舐めるのが日課になっている。一人暮らしなのに、その密かな楽しみに罪悪感を持つのは、隠れて食べていたころの習慣だろうか。それにしてもチーズは奥が深い。誰もいないのに、舐めるときに辺りを見回してうふふと笑う。


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