仕事明けに、いつものように、さて、どこへ寄り道してゆこうかと、真っ直ぐには帰りたくない。それは買い物と街ぶらで、花があれば公園に花見に行く。もう桜は終わり、キャンパスの八重桜は満開だが、後は街路樹のハナミズキの花かツツジが咲いている。公園の芝桜も綺麗だろう。だけど、その朝は雨模様。天気予報では雨とあったが、うっかりとして傘を職場に置いてきた。
　それで、何年も行っていない、昔住んだ街に行ってみようと、地下鉄でいつもは乗らない千代田線に乗る。表参道駅からは三つの線が交差している。わたしが通勤で使う銀座線と九段の病院に行くときに乗る半蔵門線、そして古巣の千駄木を通る千代田線だ。たまには遠回りしてみよう。
　地下鉄の西日暮里駅で降りる。すると、思い出した。交番があって、裏道があって、近道だと、相方が見つけた小路もよく歩いて駅に来たのだ。ドラッグストアもそのままで、何かと買いに入ったな。マイバスケットにはお酒をささやかに2缶だけ。道灌山の交差点から曲がる。志ん生が生きていたときによく通われたというウナギ屋はなかった。どうしたのか。そこはいつも前を通るが、ウナギなど贅沢で入ったこともない。志ん生は何故か、その店の常連であったが、親子丼しか食わなかったとか。そんな話も本で読んだ。ここ千駄木や根津は落語家がいっぱい住んでいた。
　と、雨が降ってきた。予報通りだ。たいしたことはないと甘く見ていたら、ザザ降りになる。久しぶりに雨に濡れた。動坂に来る。岩手から上京した宮沢賢治が住んでいた街。それでゆきみちにある大国屋という小さな食品の店に入った。そこも二人で千駄木で暮らしていたときは、安いものがあったのでたまに覗いた。生鮮食品はないが、日持ちのする食品ばかり、どこから持ってくるのか、珍しいものも激安で売ったりしていた。店頭にも並べてあるが、安いものをいくつか買った。梅干しが100円。らっきょうも安い。
　どうするか。傘を買うのもばからしい。帰ればそんな安物の傘ばかり4本もある。折り畳みの傘はダイソーで買ったはいいが、200円の安物は風の強い日で、買って10分もたたないで壊れた。安物買いの銭なくしだ。
　あの、年金も少なく、新宿で清掃員のパートをしていたときは、合わせてもたいした収入ではなく、部屋代で半分は消えた。相方は病気で仕事ができず、部屋にいた。どうしてか、養う羽目になっていた。それだから、少ない生活費でなんとか二人分喰わないといけないと、あちこち安い店を探し歩いた。
　肉のハナマサも安いと、なにかと買った。その先のスーパーのサミットでも半額処分を狙った。自転車で行ける範囲では、駒込や田端の商店街もよく行ったし、巣鴨まで自転車で外食に走った。食べ放題の中華料理店があって、600円ランチがバイキングだった。思いっきり食べた。
　ときには、根津まで自転車で夜走った。言問い通りの交差点にある赤札堂では9時過ぎると、店内で汽車汽車しゅぽしゅぽの音楽がかかり、弁当とお惣菜がすべて半額になる。それを狙って買いに走った。
　雨がひどくなったので、よみせ通りに入り、延命地蔵尊を過ぎたら、わたしらのいたマンションの入り口だ。そこで雨宿りをしたが、とてもやみそうにない。地階の喫茶店はまだやっているのか。あちこち閉めている。そこから走って、谷中ぎんざ商店街に100円ショップがあるはずだと、飛び込む。また100円の傘を買ってしまう。すぐに壊れるのに。その向かいののなかスーパーもよく利用した。野菜が安い。と、レタス大きなのが70円とところてんなどを買っていた。筋向いのよく買った八百屋はトラックから箱を下ろして、これから開けるのか。安いよ安いよの親父さんも健在だ。その八百屋では、ヘタレたものばかりザルにのせて、百円で売っていたのをよく買った。イチゴなんか箱でそれだから安いが、ジャムにするしかないほど潰れていた。
　夕焼けだんだんの石段のところにあるイラン人のレストランも入ったことはないが、店頭で売っていたザクロジュース1リツトル百円のパックはいつも買っていたが、この日はなかった。だんだんの石段には猫が三匹いつもいたのが、いないのは雨だからか。商店街は店も閉めていて、人通りもなく、何か不思議な気がした。古本をよく売りに行った若い夫婦がやられていた古本屋は一昨年だったか、閉めたと聞いた。ビルの二階の窓はいまだ空き店舗のままか。
　なんだか、コロナのせいだろうか、あれほど観光客でひしめきあっていた谷中ぎんざも閑散として別の街にまぎれこんだような気がした。
　谷中霊園の桜はすっかりと散って、葉桜。花びらが路上に飛んできてへばりついている。日暮里の駅から乗り換えて千葉に帰ろうか。六年前に暮らしていた街は変わった。賑わいはどこにいったのか。淋しい帰郷のような気がした。