コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

ワクチンはお先にどうぞ

 65歳以上の高齢者のコロナワクチンの接種が始まろうとしている。まずは、体の不自由な人かららしい。相方は、先日の電話では、わたしは打たないと話していた。ネットにはいろんな書き込みがあって、ワクチンは安全だとか危険だとか、いろんな情報が錯綜している。それでどっちをとるかは本人次第なのだ。相方は不信感のあるほうで、ワクチンは打たない主義なのだ。わたしはどっちでもいい。ただ、そんなに急がない。死ぬのが怖いとか怖くないとか、コロナをそんなに恐れてはいないのだ。一番後でもいいと思っているし、打たなければそれでもいい。
 やはりというか、ワクチン接種の優先順位で、電話が殺到しているようだ。申し込みが我先にと、津軽弁で言うと、「いのちほいど」が世の中に増えたのだ。命乞食と書いていのちほいどと読むのだろうが、命が惜しくなるのはみんながそうだが、それが卑しいと言えば叱られるが、人より先にと思う気持ちだ。これは、タイタニックが沈むときにもあった。自分だけ助かりたいと、救命ボートに我先に駆け込む。船員たちはトリアージをする。女と子供が先だと。老人たちは自分たちは生い先短いから、若い人たちを助けようとする。金持ちは逆に、まだこの世に未練があり、押しのけても自分だけ助かろうとする。そういう美醜入り混じったエピソードが残っているタイタニック号の最後が、いまのコロナワクチンでもあるだろう。それをじっくりと拝見したい。


 治験が見切り発車ということもあり、短い時間でワクチンを接種させる無理があると専門家の一部が指摘する。それでも大方の意見は、副反応だけでなく、それが原因で亡くなっても、助かる人のほうが多いので、やらないよりはやったほうがいいというものだ。それで死んだら運がない人と諦めるよりない。まるで確率は低いが、いのちをかけたロシアンルーレットみたいなものだ。ずっと何年も後になって、問題が出てこないのかという心配もあるが、それも、いまは判らないのだ。子宮頸がんのときも、肝炎のときも、後で問題が起こる。それとは違うというかもしれないが、何が起こるかは誰にも解らないというのであれば、それはそれで政府も責められないし、医薬メーカーも責められない自己責任になる。それでよかったらどうぞというものだ。
 変異したウイルスにはどうなの。実際、インフルエンザは今年はどっちの型が流行るのだろうと、Aを打ったら、Bであって、残念でした外れですとなる。それだからと、病院も政府もメーカーも訴えることはできない。強制ではないから、打つか打たないかは、自分たちで責任を持ってやらないといけない。
 ところで、こういうときにわたしは千葉から神奈川に引っ越しする。そういう人はどうなるのだろうか。選挙権は引っ越したばかりでは行使ができない。千葉市から高齢者へと、わたしにもきっとそのうちワクチン接種の案内が来るのだろうが、そのときは、もうわたしはいない。神奈川に転入したら、リストにまだ入っていないので、そのうち外されて、後になるかもしれない。それでも別に構わない。
 海外ではすでにワクチンが終わっている国、だいぶ進んでいる国もあるのに、いまだに感染者が増えてきている。収束しているという国もあるが、それも短期長期で見てどうなのか。わたしなんかは、抵抗力、免疫力がない人が危ないというのは判るが、持病があったり、普段からの不摂生な生活から、タバコと酒もやめられず、食事も栄養もいい加減な人は、ワクチンだけの問題ではないと思っている。それよりは、普段から何を食べて運動して、体を鍛えるほうがはるかにワクチン以上の効果があるのではないのか。それはコロナだけでなく、病気にならない生き方をすることで、薬がすべてを解決するのではないと思っているからだ。日頃から元気でいるために、精神的にも落ち込んだり神経質にならないように、心身のトレーニングをしたい。

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