コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

老後は爺っこ管理が大事

 よく言われることなのだが、老後の隠居になると、突然自由な時間ばかりとなる。何もすることがない人はどうするのか。趣味もなく、ただ寝たり起きたり。それでひとり暮らしならなおさら、話し相手がいないから、ボケが早くなる。だからペットを飼う老人も多いのは判る。わたしのような賃貸ではペットは飼えない。それで家庭菜園など花も買ってきて、花に話しかけるとは、実に寂しい。
 だらだらといつまでも寝ていたり、不規則な生活がよくない。体調管理もリズムカルな生活で寝すぎもよくないのだ。生活時間を管理することが老後の生活態度だと何かの本で読んだ。最近は、図書館に行ってもそんな本ばかり借りてくる。老人入門、ご隠居さんのビギナーの本。
隠居道という道もあるとか。これは簡単ではない。道は究めるものだ。そのための検定試験もあるのか。勉強もしなければ。
 で、毎日の起床時間を7時とすることにした。寝るのは11時。昼寝はしない。いままでは、仕事があるから5時半には起きて、6時半には出勤した。仕事場でも5時から朝の巡回があるから、起きて学校内を歩いた。それがなくなると、だらける。いつまでも寝ていていいなんてぐうたらな老人にはなりたくない。自己管理がないと、病気にもなるし認知症も進む。そのために、頭も使わないと。通勤では2冊の本を読んできたが、電車に乗ることがなくなると、電車という書斎の代わりに、今度は近くの公園のベンチが書斎になる。あるいは湘南ビーチの流木ベンチが指定席となる。いよいよ、子育てママの公園デビューと同じで、定年後のじじいの公園デビューになる。犬を連れた老人たちと顔見知りになる。「今日もいい天気ですなあ。花も咲いて」と、他愛もない会話。孫の世話をしている老人たちには、可愛くなくても「可愛いですなあ、いくつになったのかな」と、話しかける。犬友から孫友、いろいろと出会いもあるだろう。
 食べ物も大事だ。食べても食べなくてもいいかと面倒くさくなったらお終いだ。栄養を考えて、病気にならない医食同源、バランスのいい食事と、好き嫌いで偏らない。食習慣で、いまも続いているのが、豆乳と納豆を海苔で巻いて食べたり、肉もいるかと、たまに買ってきては食べているが、野菜がどうしても中心になる。なにせここ平塚は八百屋が安い。スーパーの半額以下だ。さっそく買いすぎて多いものはピクルスを漬けた。酢とローリエ、白ワインなどでセロリときゅうりと玉ねぎとにんじんを漬けこむ。生姜とにんにくも酢やオリーブオイルに漬けて、そういう保存ビンが玄関脇の棚にずらりと並ぶ。
 運動もしないといけない。千葉にいたときはフィットネスクラブに通っていたが、平塚では太極拳の教室に通おうと、教本を図書館で借りて10冊ほど読んで基礎知識だけをつけて、これから近くの体育館で週一でやっているので通おうかと思っている。海もそうすると、そろそろ行ってみようか。ボードがまた来ないが、ウエットスーツは先に通販で来た。相方も乗せてというので、二人は乗れるが、怖いというのでライフベストを買った。晴れていればビーチに通う。
 それとウォーキングで、昨日まで毎日15000歩から22000歩と17キロも一日で歩いている。街ぶらも、行ったことのないところに行こうと、どんどんと東西南北へと歩いてみる。前に歩き疲れて、帰りは路線バスで帰ったこともある。そこまで疲れてもいけない。
 病気にならない生き方、コロナにならない生き方で、自分を甘やかさないと、自分では頗るストイックとは思う。なのだが、さあ、お汁粉を作ろうとか、生クリームを泡立ててスポンジにこってりと塗ってと、その辺は甘い。
 月末には薬が切れるから、東京の病院からの紹介状を持って近くの内科と眼科に通院するのだが、怖い先生なら叱られるような糖分の摂りすぎはやめよう。どうしても年取ると甘いものが食べたくなる。それぐらい許されよ。


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