コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

人にはゴミにしか見えないもの

 うちの死んだ親父は倹約家ではないが、なんでも捨てないでとっておく人だった。包装紙や紐、菓子箱、パンフレットなど、座っている居間の椅子周りに堆く積まれて、どうにかしたいと、おふくろも思っていた。勝手に捨てたら激怒する。だから、身内と相談して、死んだら捨てようねと話していた。親父が死んだとき、ゴミ袋に15くらい捨てた。地下室にも置いてあったものだ。昔の人だから、再利用できるものは使うというエコでいいのだが、その限度がある。菓子箱は切り刻んで、本の栞代わりにしていたが、それが何百枚もある。栞などひとつあればしばらくは使えるのが、ボケていたのでもその辺が判らない。あちこちでもらってくる観光のパンフや商品説明など、連れて行く先々でみんなもらってこようとするのを阻止しようとするが、本人は怒る。またゴミを集めてきてと言うが、「これは老後に読むのだ」と、90歳近くでいつが老後なんだ。
 祖父は、また変わった趣味で、海に連れてゆくと、形の変わった石を拾い集める。流木も拾って、部屋に飾っているのだ。値打ちのあるものではなく、形が面白いと、自然のオブジェなのだが、わたしら家族から見たら只のガラクタでゴミなのだ。一度は、東京に出てきたとき、新宿御苑に連れて行ったら、大きな石で持ち上げられないくらいのものを持ってゆこうとする。みんなで呆れて笑う。これを持ち出せば泥棒で捕まるよと、言っても、ボケていたので、残念そうにしていた。


 人にはあって七癖というが、一番困るのが収集癖だ。わたしもそれがあった。ロッテのガーナチョコの中学生のときは箱ではなく、赤いラベルだったが、それを何百枚と集めた。よく買って食べたと思う。いまもその板チョコは好きなのだが、嗜好も変わらない。また、旅行に行ったら、どんなつまらないものでも、拾ってきて袋に入れて思い出の品でとっておく。国内でも海外でも、入ったレストランのコースターとか紙ナフキンとか、切符とか観光案内パンフとか、そうしたものを捨てないでずっととってあったが、古本屋ビルが差し押さえられたとき、私物を東京に送らせたが、そのとき棺と称していた思い出の衣装ケースにぎっしりと詰めてあったそうしたメモリアルグッズはすべて捨ててきた。大学の卒業証書もいらないと捨てたし、文学の賞状や楯などもいらないし、卒業アルバムも、学校や友人たちは同じものを持っているだろうと、小学・中学。高校ととっていたものは捨てた。通信簿までとっていたが、それもいらない。子供らが赤ちゃんのときにぐちゃぐちゃと描いた抽象画も、息子の名前と年齢を書いて、人生初めてのお絵描きと保存していたのも捨てた。彼女から大学時代にもらったハンカチや浜辺で拾い集めた貝殻も捨てた。どうもそういう少女趣味みたいなのがあった。
 相方にも親父に似た収集癖があり、なんでもとっておく人で、それはいいことなのだが、引っ越しの時に、荷物になるから処分させた。ずっと生家から持ち歩いていたものだ。写真やアルバムは大事だが、へその緒もとっていた。それは何か漢方薬になるらしいが、50歳を過ぎたおばさんが、自分のへその緒を後生大事にとってあるのはあまりないだろう。それから古い領収書。昭和40年代か。そろばんもある。電卓でいいだろう。それでもそろばんはずっと使っていた。愛着があるから捨てられないのだという。お花の免許皆伝の一式もよく古本屋に入ってきたが、値打ちはない。それも全部いまも持っている。別に教室を開くわけではないだろう。自分の若いときに着た服も捨てられないと、もう体形が崩れて入らないのに、いつか痩せるととっている。娘にあげたら、柄も形も古いスタイルだからいらないとゴミに捨てられたと怒っていた。それでも一軒家からワンルームマンションまで引っ越しを重ねてゆくと、どうしても荷物は物理的に入らないので捨てざるをえない。去年も、わたしに言われて、荷物に埋もれている圧迫感のある生活はしたくないと、わたしが千葉に引っ越したときに、近くのリサイクル屋に衣服は衣装ケースで五箱くらい売りに行った。数千円にしかならない。デパートで買ったいいものばかりと、ブランドものかもしれないが、30年もすれば流行遅れだろう。メルカリでも売らせたが、一着も売れないでやめてしまう。


 わたしは古本屋だったから、こんなものがと思うものに驚く値段がついたりするのをいくらでも見てきた。骨董市のセリにも毎月参加していて、セリ落とされるガラクタの値段に驚いた。人にはただのゴミにしか見えないものも、いまはテレビ番組でもお宝や家財の整理処分で値段がいくらつくとかやっているが、無料で配っているフリーペーパーにも将来のお宝があるかもしれない。それだからと、なんでもとっておいたら、どこに寝るのだとなる。
 わたしはようやく保存するものはノートでも手紙でも写真でもすべてデータで32GのマイクロSDカード一枚に全部保存できたので、それで衣装ケース五つあった思い出を一枚に入れられた。部屋はすっきりとして、引っ越しはこれからも楽で、宅配便だけでもできる引っ越しになる。捨てるものを捨てたら人生が軽くなる。いつ自分が死ぬか判らない。ゴミは残してゆきたくない。息子たちのために部屋はできるだけ空っぽでいなくなりたい。人は死ねばゴミになると書いた本もあったが、わたしという一番厄介なゴミはいつ分別して出せるのだろうか。

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