コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

マスクとメガネの喧嘩

 メガネをかけている人は、マスクが邪魔ということは、毎日のことで、イライラしていると思う。どっちも耳にかけるので、メガネとマスクが喧嘩する。メガネはマスクに言う。「おれはずっと何十年もここにいるのだ。おまえなんか去年から突然やってきて、なまいきなんだよ」と、メガネは先住権を盾に取り、マスクを蹴落とす。すると、マスクは反撃して、「先輩面しやがって、なにくそ」と、今度はメガネが落ちる。狭い耳に二つ同時に掛けるから無理がある。この前は何かで読んだが、補聴器もそれに掛けている人がいる。三つが同居は難しいと書かれていた。確かに、耳は両側にひとつずつよりなく、それにおれだおれだと、仲良く掛けていないのだから、いつも外れて困る。
 それで、何かいいものがないかと探した。昔、メガネが落ちないように、フレームに着けるフックがあったことを思い出した。それはいまでも百円ショップで売っていた。だいぶ前に、やはりスポーツをしたり走ったりしていたときに、メガネが外れるので、そういうのを買って装着したことを思い出した。まず、それでメガネが落ちることがなくなる。一度は、地下鉄の駅で朝にホームに落とした。通勤客で混んでいたが、よく踏まれなかったものだ。メガネなんか滅多に落ちることはなかったのに、コロナになってから、よく落とす。
 メガネはいいが、今度はマスクが外れる。しょっちゅう外れて、イライラと頭にくる。ホッチキスで耳たぶに止めようか。それとも瞬間接着剤でくつつけてしまうとか。
 それも何かあるはずだと、百円ショップに行ったら、マスクフックというのが売られていた。わたしはそんなに耳は大きくない。普通サイズだが、耳の小さい人も大変だろう。マスクの耳に掛ける紐にパチンとゴムで伸びるフックを取り付ける。それで後頭部から回すので、落ちることはないが、外れて首にかかる。鼻マスクになったり、あごマスクになったりする。仕事中はそれは注意されるので、いつも落ちたら上げてと、落ちなくなっても、鼻にかからないのだ。鼻もわたしは高くはないが低くもなく普通と思うが、高くても低くてもどっちも大変だろう。煩わしい。早くコロナが終息して、マスクを取りたいと、みんな思っている。そして、大声で叫びたい。または、思いっきり咳をしてみたい。会話も誰憚ることなくお喋りしてみたい。


 このマスクというものは、外国では江戸時代からあったらしいが、日本では大正時代から使われたとあった。何か、百年も同じスタイルのものを世界でも使っていて、誰も新しい形を創作しない。耳に掛ける旧態依然とした形よりできないのか。息苦しくないものも売られているが、それも試したが、やはり息苦しい。マスクの中に入れるシリコンもネットで買って使っていたが、あまり用をなさないのでいまは使っていない。女の人は口紅や化粧がつかないように使っているらしいが、わたしの場合はメガネが息で曇らないように使っていた。やはりそれも息苦しいし、メガネも曇るのだ。役に立たない。そうした不具合をすべてなくするような、新しいマスクができないものか。別にマスクの形をして口を覆うこともない。21世紀でAIの時代なのに、もう少し考えたらいいものを。それでなければいけないと、マスクのイメージから出られないから、いつもその形になる。鼻穴と口に嵌めるフィルターなら、それもいちいち洗って消毒はしないといけないが、小さな簡単なもので済む。恰好は悪いかもしれないが、体の負担にはならない。口に嵌めると、話はできない。話せるように工夫できたらいい。マウスピースのようなものなら、いまも売っている。それにフィルターをつける。加えて電車に乗る。最初は笑うが、慣れてくると、みんながそういう顔で歩くからおかしくなくなる。
 フェイスシールドも売っているが、あれも密閉型にして、防毒マスクのような呼吸ができるようにしたら、装着したまま会話はできるのではないのか。そういうものも大量生産したら安くなるだろう。
 マスクだけではないが、前々からおかしいと思っているのに、ベルトもある。それも昔からあるもので、もっといいものができないのか。締めて止めるという不自然なベルトは、腹に無理がかかる。傘も江戸時代の前からあるもので、全世界で同じスタイル。他にもっと雨を防ぎ、行動的な傘の代わりになる形はないものか。
 われわれの生活で、ずっと昔からそうであったという不便なものが、便利な形に機能的に変えられないものがいっぱいある。誰も何も考えないで、何百年も使い続ける。疑問に思わないから進歩がない。メガネなんかも形は昔からで、斬新なスタイルにはならない。いつも、それでいいのかと、不具合に我慢している。


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