コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

商道徳 定価の嘘

商人は騙しが多いから信用できない。それは昔からだった。人を見て値段をふっかける。商品には値札もついていなかった。それではいけないと、三越の前身の越後屋が1673年に現金正札販売を実施していたとネットに書かれていた。当時としては画期的であった。人々は安心して買い物ができる。それはいまでも当たり前ではないのだ。通販を見ていたら、いまだけ半額、送料無料、下取り15000円とか、放送後30分以内に、お一人様三個まで、と、煽らせる商法、まさに、江戸時代以前の騙しが横行している。恥ずかしいと思わなければならない。そんなことだから、商人は信用できないと蔑まされるのだ。
 それと同じ商売がいまだに東南アジアでは行われていた。シンガポールの免税店にツアーで連れて行かれたときに、ガラスケースに並んでいる金銀のアクセサリーの値札がすべて裏白を見せて陳列されている。値段を隠す必要があるのだろうか。見たら高いので買わない。それで、ひっくり返しているという幼稚なことをしている。
 ベトナムのホーチミンの国営デパートでも、向こうの女性はかかあ天下と言ったが、女の人は確かに強そうだ。わたしも何か土産をと、見ていたら三人に取り囲まれて日本語で、どれがいいですか。安くしますよと、片言で迫る。買う素振りを見せないと、三割引くと言ってくる。半額ではと、追い詰める。終いには、「いくらなら買うの」と、笑っているわたしは立場がない。とうとう根負けしていらない扇子を買わされた。別の市場では、「見るだけー」と、女の人が追いかけてきて、走って逃げた。
 香港では、バスから降りると、子供たちが手に手に首飾りを持って、「シェンエン、シェンエン」とやっている。誰も買わないと、「三本でシェンエン」が、「五本でシェンエン」になり、だんだんと下がってくる。
 以前は青森の駅前市場でもこんなことがあった。ふらりと入ったら、魚にすべて値段がついていない。いくらだろうか。見ていたら、おばさんが、「お兄さんなら、このホッケは二百円にしてあげる」と、そう言うのだ。人を見て値段をつける。それからはそこの店では絶対に買わない。いまだにそういう商売をしているということが驚きであった。江戸時代前の原始的商法、それがいまの通販なのだ。定価は高すぎる。その半額でも嬉しくはない。中には8割引きもあり、値段なんかあってないようなもので、定価とはなんなのかと、考えさせられる。定価の信ぴょう性がない。それは客を騙すために高くつけている最初から嘘の値段なのだ。
 わたしが大阪の量販店で働いていたときも、それはあった。チラシにワンピースすべて半値と、半値市を打ったとき、前日からパートのおばさんたちと、すべてのワンピースの値札の付け替え作業をさせられた。4980円のワンピースは7980円に付け替えて、その上から半額のシールを貼る。実際は千円より安くない。客を騙す商売が大手の店でも平気で行われていた。
 よく、食品スーパーで、牛肉すべて半額と、広告の品とやっているが、客のほうが賢いので誰も買っていない。わたしも見たら、元値が高すぎる。グラム600円を付けて、それを半額とやっている。半額で普通なのではないのか。明らかにおかしいと、客はいつものこととバカにしたように見向きもしていないのだ。
 テレビの通販番組を見ていたら、その古い四百年昔の商売、東南アジアでいまも平然とやられている騙しと同じことを堂々とやっている。それは法に抵触しないのだろうか。半額でも十分に儲かるから毎日やっている。お客をたきつけるやり方も古い。そこには商道徳や倫理観というのがまるでない。えげつないのだ。詐欺と言ってもいい。
 先日は、サプリメントのことも週刊誌に書いてあったが、コンドロイチンやグルコサミンは全然効かないというのだ。サプリの半分以上はただの食品で毒にも薬にもならないと。わたしも最初は限定と初回に騙されてサプリをよく買ったが、全然効かない。それで次々に送ってくるから、頼みもしないのに勝手に送ってくるなと着払いで送り返した。
 商売はそんなものではなかったはずだ。企業倫理も言われてきた現代では、大手企業でもおかしいことをしているから、なりふり構わずで、何か忘れている。商人は狡賢いと言われている昔と今はなんら変わらないのがかなしい。買い占め、転売もあり、不当に儲けようとするやからが増えているから、善良な商人まで言われるのだ。わたしも長く商人であり、ご先祖は近江商人だから、商売でずっとやってきた家系だ。振り返ってもそんなことはしなかった。

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