コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

だらける

 コロナでだいぶだらけてきている。通勤客の足も重いのか、だらだらと歩いている。なんだか、行きたくないようなのろい歩み。その後ろをついて歩くと、わたしの歩行速度の半分だから。遅刻はしないが、いらいらとしてくる。追い越してまるで通勤競歩のようになる。さっさかと歩かないと、自分のペースというものがあるので、精神的にもよくないのだ。みんなどうして遅いのか。そういう人は、きっといつもその速度で生きているのだろう。わたしはウサギ年だから、歩くのは早い。亀さんばかりだと、追い抜いて、目的地まで一番で着きたがる。それでもそのウサギさんも突然、心臓発作だとか脳梗塞で、入院治療となると、その間に、亀さんは着実に歩を進めて、最後は勝つのだろう。
 スポーツジムに週に三回くらい通っているが、そこでもだらけている。前にもここで書いたが、30分も黙って運動器具に座ってぼんやりとしている青年。大丈夫か? ランニングマシンではみんなだらだらと歩いている。そんなスピードなら、その辺を歩いている人のほうがはるかに速い。運動になっていない。一人二人はちゃんとやっているが、大半がそうだから、運動嫌いで、医者や家族から、ジムに行って運動しなさいと、言われて、いやいや来ているようなポーズなのだ。見ていて士気が下がる。竹刀があれば、横に立って、ビシビシと鍛えてやりたい。
 ヨガマットに寝転んで、何をしているのかレオタードのお姉さん。何十分もスマホばかり見ている。スマホを見て、何も運動もしないでじっとしている人の多いこと。何をしにここに来ているのだ。
 そうかと思えば、近所のおばちゃんか、毎日何回も来るが、運動しているところをあまり見たことがない。それで、話ばかりしている。話をしに来ているのだ。このジムはディータイムの10時から夕方の5時までは、自由に毎日でも何回でも来てもいい。それで月額2千円と安い。だから、近所のおばちゃんは、やることがないから、何ども顔を出してはおしゃべりして帰るのだ。暇つぶしに来ている。
 だいたいが、ジムはそういう人が多く、みんな病気かと思うときがある。特にコロナでだらけているのが判る。生活も圧迫されて、やる気がすっかりとない。こんなときだからこそ、びしっとして、規則正しい生活をしなければならないのに、もう病人ばかりなのだ。街はそういうだらけている人ばかりに思える。精神的病気になる。自殺も増えるのは、そういう閉塞した生活を強要されると、うつ病にもなるというものだ。それで、さる大臣でさえ、いまでマスクをしていたらいいのだと、切れたのもテレビで見たが、まるで他人事のように文句を言える立場ではないが、国民ならそういう気持ちにはなる。いい加減にしろよ、コロナと、見えないウイルスに文句を言っても仕方がないが、誰を憎み恨むこともできない。憤懣やるかたなし。


 人間の心理として逼塞し、出口が見えない、先がない日常に長く置かれると、正常を保てなくなるのは判る。だけど、それだからと、鬱積したまま、捌け口がなければ、健康状態も悪くなる。与えられた状況でも、プラスで考えるポジティブ思考で、わたしなんかは、牢獄に繋がれている自分を想像する。何年も独房に入れられていると、気が狂う。そのためには、狭いスペースでできることを考える。まずは、運動で体を鍛えること。それなら誰でもどこでもできることだ。金もかからず、道具もいらない。スクワットと筋トレ、ヨガで、まずは筋肉をつけて、普段使わない筋肉を鍛える。
 紙と鉛筆があればできること。それは詩を書いたり、俳句や短歌を考えること。それも金のかからず、いい暇つぶしにはなる。ボケ防止の言葉遊びだから、脳トレにもなる。体と頭を鍛えるには、どんなところでもどんな状況下でもできることだ。
 それと、想像力も大事で、コロナが終息したら、何をするかという近未来の楽しいことを考える。わたしは、老母の顔を見に、青森に帰りたい。仲間と逢ってまた酒飲んでカラオケで歌いたい。海外旅行にあちこち行きたい。遊ぶ計画を立てる。コロナだって、そんなに何年も続くことはないだろう。
 だらけてばかりはいられない。いまは準備のときなのだ。飛び立つために縮こまっている。そう思わなければやっていられない。


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