コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

頭の中がヒストリア

 青森のおふくろに手紙で、わが家の歴史を書き残してくれと頼んだ。みんな死んで、いまや、わが家の歴史を知る者は、一番下の叔父と、おふくろよりいない。テレビ番組で、ファミリーヒストリーをやっていて、それに倣い、自分たちのルーツも書き残しておけば、孫子の代まで伝えられるだろう。それはおふくろが死んだら、もう口伝としても残らない。
 それを頼んだら、施設で暇を持て余しているおふくろは、やる気が出てきたようだ。電話がきて、「おまえが書いてくれというから、思い出しては大学ノートに書いているが、頭の中はヒストリアでいっぱいだよ」と、記憶力もよく、ボケていない百歳のおふくろが、昔のこと、ご先祖のこと、聴いた話など、人物とエピソードを思い出したらノートに書いて、眠れない。適当にやってくれよ、何も一気に書かなくても、無理せず、ゆっくりと少しずつ書いたらいい。そう電話で言ってやるが、どうも、本人は、また書くということに夢中になり、それで病気の苦も忘れているのだ。それはそれでいいことだ。根を詰めないでと話して、疲れるほど考えないで、楽しみながらやったらいいと話しても、自分がいつ死ぬか判らないので、遺言のように書き残しておくというのにせかせられている。
 ノートはもう13ページびっしりと書いたという。時系列で書いてもいいし、人物を1ページずつ書いてもいい。時系列の場合は、ページの頭に、大正14年とか、昭和4年とか、その年にあったことをずらずらと箇条書きにしたら、わたしが後でまとめてあげると。それか、名前をページの冒頭に書いて、その人のことを思い出したら、名前の下にその都度書いていったらいいと教えた。祖父の岩之助のこと、曽祖父の忠兵衛のこと、その先代の六兵衛のこととなると、江戸時代のことだから、おふくろは姑から聴いた話ぐらいしか書けない。なんでもいいから、書いて残してほしいと頼んだことで、いま、おふくろはコロナで外に出られないし、面会もない施設でテレビも面白くないので、ひたすら、昔のことを思い出し、書くという作業に没頭していた。それはまるで、この世の卒業論文みたいなもので、最後の証言録なのだ。戦時中のこと、らい病の保養園のこと、満州のこと、わたしの知らない生まれる前のことが知りたい。どんな些細なことでもいい。沖縄で戦死した叔父、ニューギニアで戦死した叔父のことも知りたい。仏壇の引き出しで茶色く変色した封筒もいまはなく、みんなどこに散ったのか。遺影もあったのに、どうしたのか。そんな疑問を手紙に書いて、おふくろの宿題とした。「おまえの疑問で、そういえば、どこに行ったろうと、いまになって思い出したよ」と、この50年の間のことでも不思議なことはあり、わが家の古い記憶は酸化し消えかけているのを書き留めることで、ふたたび問いかけることができる。
 親父が復員してシベリア抑留から帰還したときの背嚢が長く押し入れにあったのを処分したのか、青森空襲で焼夷弾が貫通した穴の開いた卓袱台はどうしたのか、そういう素朴な疑問がおふくろなら知っている。
 わたしの質問のためにおふくろは海馬の奥の奥まで記憶捜索の手を進めて、消えかけている真実の欠片を発掘しようとしていた。百歳が百年の記憶をいま明るみに出そうとしていることはすごい体力と気力がいることだ。それでもそれが近頃退屈な自粛生活では、ジグソーパズルを完成させるようなゲーム感覚で楽しみなようだ。欠けているわが家のピースを知っているのはおふくろだけだ。わたしは、それをまた一冊の本にしてあげよう。誰も読まないかもしれないが、息子たちや孫たちなら興味をもってくれるかもしれない。親戚も入れたら、何百人かになる一族の歴史なのだ。いまは、北海道から関東、関西と、親戚は全国に散らばっているが、その従姉たちも自分がどこから来て、どこへ行くのかと、ゴーギャンのように知りたいとは思うだろう。
 そのためにおふくろの頭の中はヒストリアでいっぱいになっている。不思議な力でいま歴史が掘り起こされようとしている。

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