コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

アマテラスの復権

女性に対する発言から、あちこちで、女性登用が始まる。そらぞらしい。この際、総理大臣も女性にしたらいい。それもそらぞらしいが、日本では初の女性総理が誕生すると話題にはなるだろう。
 日本が世界的に見ても、男女同権では下のほうで、前々から批判はされてきた。まるでそれは日本的体質と言われているようだ。以前からなんだかんだと言われていることが、ここに来て一時に噴出してきた。
 仏教にしてもキリスト教にしても、男尊女卑は聖典に書かれているから、そういう宗教観は問題にされないのか。女人往生を説いた法然・親鸞に至ってようやく問題視されたぐらい。
 たまたま、わたしが暮らした千代田区の三番町は、平塚らいてうの生まれた町だった。それと、やたらと周辺には女子大や女子高ばかりがある。暮らしたマンションの隣が大妻女子大だったし、その近くには東京家政学院大学があり、女子学院の中学と高校がある。靖国神社裏には白百合学園があり、麹町学園の女子高も近い。歩いてすぐに雙葉中学と高校があり、女子高だ。これほど都心に女子大と女子高が集まったエリアはない。毎日、わたしが出勤するときは、女性ばかりが街を歩いて、ここはハーレムかと思ったくらいだ。(失礼)
 思えばもわたしが小学校時代からずっと住んだところが、青森市の中央町で、昔は横山町と言ったところに家があった。そのすぐが東奥女子高と中央高校という女子高が二つも並んであった。子供のときは、朝の通学で、女子高生と反対側に歩くので、掻き分け掻き分け歩いたものだ。それが高校生になると、さすが、女子高生の中の男一人で恥ずかしさもあった。堂々と歩いて高校に通ったら、「あの人、顔に自信あるんだわ」という声が聞こえてつい赤面した。それからは顔を伏せて歩くようになる。
 四人姉妹の男一匹で生まれ育ったので、なんとなく、女系家族の中で肩身は狭かった。小さいときはままごとばかりして、言葉も女言葉で、幼稚園の先生に、親が呼ばれて、なんとかしてくださいと注意されたとか。わたしの幼児のときの写真を見たら、当時流行ったネッカチーフを頭につけている。姉たちの真似をしていたのだ。そのまま大きくなると、完全におかまになっていた。それはそれで芸能界に入れたかもしれないが、男に矯正されたのだ。
 そんな環境で育ったのに、東京に出てきても、また女性に囲まれる街なので、何かとそういう宿命なのかと思う。
 隣の大妻女子大は女子教育の草分けの大妻コタカさんの記念室と図書館も近くにある。その一本北側の通りには、女子教育発祥の地という碑もある。平塚らいてうの原始、女性は太陽であったという、本も読んだが、何かとわたしはフェミニストなのか、そういう本は好んで読む。今回の問題では、女だから、男だからということもなく、様々なことは人によると言った都知事の弁がさえている。最近は、その境もなく、男の日傘もあるし、男のエステ、男の脱毛など、シンボルであった髭もすね毛も処理するなど、かつては考えられなかったことが起きている。さらに男の口紅に男のブラジャーなど、驚くばかりだ。
 これを契機に女性の社会的進出が進めばいい。わたしが若いときに読んだ、アリストパーネスの『女の平和』という喜劇は、戦争ばかりしている亭主たちに反旗を翻した母ちゃんたちの話で、あれは面白かった。ギリシアの昔から、そういう政治の愚昧があって、女たちが立ち上がるという設定は可笑しい。いまこそ、アマテラスの子孫よ、立ち上がれ。世のぐうたらな政治家を舞台から降ろして、女性の手で平和な国を作るのもいい。


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