コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

棟方志功版画賞で思い出したこと

青森では棟方志功が出たことで、子供たちから版画を募集していて、棟方志功賞を設定している。それは最近も発表されたので、ずっと続いているのだろう。
 うちの息子が小学生の低学年のときに、学校でみんなの版画を出したときに、その賞をいただいた。自分の息子がなんでも賞をいただけるのは親としては嬉しい。わたしも子供のときは、絵で随分と賞をいただいたので、わが息子は父に似たのかと思ってほくほくであった。
 青森市内の市民美術館で、作品の展示をしているというので、家族でさっそく見に行った。息子の版画は彼が、あったと指さしてすぐに判る。見たら、なんと、孔子様が立っているところを描いたような、なんとも抽象的な立像であった。それを見つけた息子が、「あっ、逆さに貼ってらあ」と、叫んだのだ。なんと、それは本人が言うからきっとそうなのだろうが、逆さなのだ。それで、みんなで体と首を傾けて、逆さに見てみたが、何か判らない。「おまえ、何を描いたの?」と、聴いたら、「ペンギンだよ」というから、全員、逆さに眺めながら、「そうか、ペンギンか」と、どうもペンギンには見えないのだ。審査員も、きっと孔子に見えたに違いない。きっと、小学生で、孔子を描くとは、やるものだと、感心して入賞させたのかもしれない。それがどう見ても、ひっくり返してもどうしてもペンギンには見えないんだよな。
 その息子も大人になると、マンガ家になり、才能をあらわした。中学のときも、担任の先生が、文化祭で息子の絵が教室に展示されているのを、わざわざ親が見に来たと、案内して、美術部にいたが、その絵のところにわたしを連れて行って、「どうです、すごいでしょう。才能がありますよ」と、ベタ誉めする。見たら、只の教室の中の光景が確かにリアルに描かれているが、そんなに才能があるとは思われない。他に、ねぶたの顔を扇子に描いたものも飾ってあった。それも見ながら描けば誰でも描けるだろうと、親バカの逆で、息子の本当の才能を信じないでいた。ねぶた祭の隈取した歌舞伎の顔を描いた扇子は、東京でデザイナーをしている伯母が青森に来た時見つけて、ベタ誉めして、いただきたいわと、息子に話してもらっていったくらいだ。わたしの目がおかしいのか、そんなにすごいのか。これでもギャラリーを経営していたときもあって、美術を見る目はあるはずだが、身内にはそうでもないのだ。
 息子二人が、めきめきと頭角を現し、高校生のときから東京から仕事を依頼されて、アルバイトでマンガを描いていたときも、何がうまいのかと、まだ信じていなかった。そのうち、二人とも、東京のゲーム制作会社に勤めて、そこで描くことになる。高校の卒業アルバムを見たら、就職先のところに、一人だけ漫画家と書いていたのも信じなかった。冗談だと思っていた。そうこうしているうちに、二人で独立して、秋葉原にゲーム制作会社を立ち上げて、ビルのワンフロアを使って、スタッフを20名くらいで本格的な事業をするようになる。あれは18年くらい前のことか。上京したわたしを案内して、仕事場を見せたが、ずらりとパソコンが並んでいるオフィスみたいな感じだが、いまはパソコンで絵を描くのだと知る。原画だけ息子たちが描いていた。何かよく解らない世界で、理解しろと言っても、わたしには興味もないし、ゲームなんかしないので、ふーんと眺めていた。
 その息子たちも40歳を越えて、いつのまにか親父になっていた。わたしは自分の年も忘れていた。孫娘もいつしか大学生とは。ひょっとして、ペンギンが逆立ちしたら孔子様になるのか。世の中はついてゆけない。


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