コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

鍵をかったか

 職場で、わたしが仲間に「鍵はかったから」と、言ったら、「ええ? 何の鍵を買ったのだ?」と、不思議な顔をされた。「だから、鍵をかったっていうの」と、言っても通じない。そこで気が付いた。また標準語と思っていた津軽弁が出ていたのだ。一人笑う。相手はきょとんだ。「鍵はかけたかと聞いた」「なんだ、かうって言ったから」
 そんなことが結構ある。普通にみんなが話していると思い込んでいて、しゃべっていると、方言だったりする。スプーンでコーヒーをかき混ぜるを、かますと言ったり、ゴミを捨てるをゴミを投げると言って笑われたりした。投げるとは、遠くに投げることと勘違いされる。日常的にいまだ津軽弁の一部が直らない。東京に出てきて7年目に入るのだが、たぶん、わたしはこのままだ。
 仕事場に出入りする業者の人も、「ああ、青森ですか?」と、言葉から聴いてくる。すると、そういう人は身近に誰かいるので、話しかけてくる。「うちの嫁が黒石から来た」とか、「兄貴の嫁さんが五所川原で」とか、懐かしいアクセントですぐに判り、ついつい話が身内のことから、美味しい津軽の料理のことまではずんでくる。
 自分で直そうする必要もないと、そのままなのが、田舎者扱いで差別されたこともある。好感をもたれたこともある。別にどうでもいいことだ。
 もう一人の仲間は秋田出身だが、こっちのほうが長いのか、もうすっかりと判らない。秋田言葉と津軽弁は隣合わせの陸続きだから、似ている。彼は自分のことを話したがらない。田舎のことは秘密裡にしている。別に恥ずかしいことはないだろうに。菅総理が総理になったとき、別の仲間には話したようだが、秋田は湯沢の出て、高校も菅総理と同じなら、法政大学の二部を卒業したのも一緒で後輩なのだ。だけど、なった当初は持ち上げられた総理だが、いまはけちょんけちょんで、恥ずかしくて同郷の先輩だとはとても言えないのだろう。
 わたしも、たまたまだが、上司のマネージャーで自衛隊の幹部をしていて、天下りでこの学校に来た社員教育の先生だが、彼は人事のトップをしていて、一昨年にわたしの面接をした。そのときに、わたしも青森で、高校も一緒だねと、少し懐かしい津軽訛りに戻して話してくれた。わたしより3年先輩だが、高校時代はわたしが入ったときは、もう卒業だからすれ違いなのだ。その面接のときに、「秋葉原事件を知っているか?」と、聴いてきた。「はい、うちの後輩でしたね。青森では親の仕事もみんな知っています」と、犯人の青年がずっと年下だが、凶悪犯が同じ高校出であったことは恥と思うらしい。それより、そういうことを何故、わたしに聴いたのかと後で思ったが、履歴詐称がないか、確かめるために事件のことを聴いたのではないのか。青森生まれというのは、言葉を聴けばそうでないかすぐ解る。そればかりは真似られない。
 そのことで、よく言われたのが、青森ではおれおれ詐欺は難しいというのだ。それは鹿児島でも言われていた。青森出身でなければ、遠く東京から電話で、田舎のじじばばを騙そうとしても、「おれおれ」ではいけないのだ。「おらおら」で、しかもちゃんとしたアクセントとかイントネーションというものがあって、偽物なりすましがすぐバレる。方言が真似られないから、詐欺もやりにくい。「おめ、本当に孫のひろしだべな」「んだ、んだ、声で判るだろう」「それはそんど、東京は物騒だべ、夜寝る前に戸締りしているが? 鍵はかっているが?」「うん? 鍵って、何に使う鍵を買えばいいの?」
 お後がよろしいようで。

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