コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

旅ゆけば駿河の国 3

 十九の夏だから、昭和45年のことだ。わたしは何を思ったか、突然、東京から三島まで電車で来ると、私鉄に乗り換えて修善寺駅の終点まで最終で来ていた。夜は11時を過ぎていた。そこから下田まで、伊豆の踊子の歩いた旧道を夜を徹して歩いた。あれ以来だから、半世紀前のことで、当然、駅前に立ったときは記憶にないくらい町は変わった。覚えているのは橋を渡り、川沿いにずっと温泉街まで歩いたことだ。道路標識が、湯ヶ島、下田方面とある。間違いはない。
 足が痛くて、歩行困難になる。左足の膝の内側で、まるで捻挫をしたような痛み。足を引きずって歩いていた。情けない。一昨日からだったが、何をしたというわけでもない。膝そのものではなく、筋肉痛なのか。
 地図で見たら、修善寺温泉まではすぐのように思ったら、結構かかる。夕暮れに温泉街に着いた。朱塗りの橋に川の流れ、商店街の街灯がともり、なんとも古びた温泉街の雰囲気がいい。ただ、人は歩いていない。どこの観光地も自粛で客は少ない。関東は緊急事態宣言が延長になり、Go Toも再開をしていない。わたしのようなもの好きなじじいぐらいか関係なく来ているのは。
 修善寺の前の旅館が並んでいるところに、今夜の宿があった。和風旅館でブッキングで予約したが、評価は9近くでいい。ホテルよりもひなびた感じの昔の旅館が好きだった。四十代くらいのオーナーだろうか、一人でやられているようだ。二階建ての旅館でも部屋数は多い。一人でフロントもして部屋のセッティングから掃除、飯支度までやっているのだろうか。客はわたしの他に男性が一人だけ。二人しかいないのは寂しい。
 部屋は八畳と六畳の続き部屋で、そこに布団が一組。川が見下ろせるテラスにも出れる。広いテラスはガーデン用の椅子と丸テーブルが並べられ、いまは寒いが、夏ならいいだろう。
 まずは風呂をいただく。源泉掛け流しというが、よくかき混ぜて入ってくださいと、その湯もみの道具が風呂に置かれていた。♪修善寺よいとこー一度はおいでと、歌いながら、草津温泉でしたように、熱い湯をかき混ぜる。一人で入るのもなんだか貸し切りみたいで悪い。
 部屋で道の駅で買ったお弁当と地ビールをいただく。今回の旅は飯がつまらない。別にグルメではないし、さほど美味しいものは期待していないが、それにしても普段よりも落ちた飯ばかり食べているとは。
 このブログを書きながら、土産の桜エビ煎餅をぽりぽり。建物は年季が入って古く、少し傾いていないか。戸を閉めて鍵をかけるときに、くるくると回す昔の懐かしい鍵で、いまどきは珍しい。部屋の名前が独鈷というが、とっことは何か。ネットで調べたら、修善寺の独鈷蕎麦が名物とある。仏教の道具の名前で、杵として蕎麦を打ったことからか。禅寺の門前町で温泉場なのだ。その蕎麦も食べたかったが、翌朝の出発のときはどこも閉めていて、食べられず。蕎麦好きなのに、本場に来て口に入らないのが悔しい。
 広すぎる部屋に布団敷いて寝たが、夜中に足が三か所もつる。激痛に耐えて転がる。たまになるが、今回はそんなには歩いていないのに、内腿両側と足先と同時に来たから痛い。10分くらいは我慢しないと。万歩計は昨日と今日は16000歩の13キロぐらいだから、そんなに歩いたわけでもない。年なのか。後で、ドラッグストアから湿布薬を買って貼り、膝用のサポーターも買った。


 朝風呂もいい。さらりとした泉質で、足にも効くだろうか。朝飯も一人。日本の朝食という感じの、鯵の開きと香の物、味噌汁にサラダと目玉焼きと、いろいろ。気の利いたものはないが、朝飯だから。
 帰りに、修善寺と隣の日枝神社を参拝してゆく。樹齢千年はありそうな太い夫婦杉が立つ。日光のようだ。千年も仲良く連れ添って、飽きないかと、杉に問う。子宝に恵まれるというが、いまから子供作ってどうするのだ。修善寺物語は読んだが、あまり覚えていない。岡本綺堂だな。どこかに源頼家の像を見た。どこだったか、もう忘れている。
 駅まではバスにする。帰りは三島までの電車。待つ時間を駅前のベンチでセブンのガテマラのホットコーヒーで。陽射しがぽかぽかと気持ちいい。
 車窓からは快晴の空にすっきりと富士山の全容が見えた。帰る日になってこれだ。三島駅に着く。すると、大阪時代に職場の先輩たちから教わったノーエ節を思い出して歌が出る。♪三島女郎衆はノーエ。
 三日目は帰るだけだが、平塚で降りて、不動産屋に行ってみよう。それも今回の旅の目的であったから。


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