コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

アイヌ差別発言

 ネトウヨという言葉が出てきて、それはなんだと思ったら、ネット右翼のことで、完全保守的な愛国心はいいのだが、そこから出られない若者が不満の矛先を向けるヘイトクライムのことと知る。こんなことを書けば、攻撃されるかもしれないが、そこが差別の温床で、ネットのyoutubeを見たら、嫌中、嫌韓の記事で埋まっている。ネットで助長するから、それを見る若者たちが、そういう方向にそそのかされるのは、かつての戦前の血気盛んな軍国少年たちと同じなのだ。それらもヘイトではないのかと、規制しないのかと思うのだが、表現の自由、それもひとつの考え方として、ヘイトスピーチにはできないのだ。それにしても批判はいいが、誹謗中傷は限度がある。こと、国家間の問題で、それが引き金で戦争にもなるのだ。ネットは激しく毎日のように煽り、隣人と仲良くしてゆかないといけないと言っても、若者たちには別に隣人に対して憎しみも恨みもないのに、焚きつけている悪いやつらが暗躍している。
 そういうネットからの汚染された人が、ある日、テレビでも発言してしまう。アイヌ差別の発言が、いまごろになってかと驚いた。しかも、そのダジャレにもつかないくだらない発言は、わたしが子供のときに読んだ、石森延男の小説『コタンの口笛』に出てくる少年たちの会話にある。本も少年向けのもので読んだが、映画も小学校のときに学校で連れて行ったのか、見た記憶がある。その中で「あっ、犬」というのが差別発言で出てくるのだ。まさに、あれから60年経っている場面が、想起された。いまなら、そんな映画も上映はできないかもしれない。だけど、アイヌの人たちと和解するという感動的な内容ではあった。そこを腫物のように隠すのではなく、真摯に向き合うことも大事だ。


 前に、人類学者の興味深い本を読んだ。それによれば、青森などの東北でも、かつてはアイヌの人たちが随分と一緒に暮らしていた。それは、江戸時代でもそうだった。郷土史も読めば、青森の津軽半島の上磯と呼ばれる、いまは後潟や蟹田というところにも、アイヌの人たちが普通に暮らしていたという。その分布を見たら、さすが、四国や九州にはいないが、福井県の辺りまで、暮らしていたという文献にあった。
 わたしが前に岩手県の古本のセリに出ていたときは、花巻の大沢温泉に一泊で旅館の大広間を会場にして、東北の古本屋が年末に集まって、忘年会がてらセリをやったものだが、その帰りに、道路沿いの公園みたいなところに、なにやら円丘がいくつも並んでいる場所があり、車から降りて見たら、高さがわたしの背丈よりは低いが、土まんじゅうの墓なのだ。それがアイヌの墓と知る。そういう遺跡は至るところにある。地名の由来もアイヌ語というのはいくらでもある。
 青森からずっと出ないで、ご先祖も長い原住民のDNAを調べたら、きっと、多くの人たちがアイヌの血を引く人であると結果が出ると、その本にはそんな意味で書かれていた。青森だけでないが、あなたのご先祖にはアイヌの人がいると言えば、まさかと、みなさん否定するだろうとも書かれていた。そうは思っていないのだが、長い歴史では、血が混ざってあたりまえ。一緒に暮らしていたのだから。
 コシャマインやシャクシャインの戦いの歴史は習ったが、岩手の水沢にもアテルイの英雄像が建っている。時の朝廷が、アイヌ征伐に乗り出したが、岩手では、アテルイは祀られる存在なのだ。青森のねぶた祭も、坂上田村麻呂征夷大将軍がねぶたの山車でアイヌを誘い出して成敗したという伝説みたいなものがお祭りになり、男も腰巻をして女装して、刀をさしていたのは、明治のころのねぶた祭で、切りあいもしたということもあった。ねぶた祭も差別的なことは改めようと、近年、一番いいねぶたに田村麻呂賞という栄誉を与えていたのを、ねぶた大賞に名称を改めた。そういう意味では、東北の人たちに対しては、アイヌは敵ではなく、昔から隣人であり、先祖としての親戚であったという意識があるのではないのか。
 単一民族でという言い方は昔で、日本人はどこから来たのかという調べも曖昧にしてきた。弥生人は外来とする説や、青森の福士幸次郎の『原日本考』が出された歴史的背景もあるが、どうも、どこでも選民思想が根底にあるようだ。漢民族もゲルマン民族もユダヤもWASPも民族の系統を主張するものほど差別思想に走る。それが逆に迫害され、民族浄化のホロコーストに繋がる。民族とはなんだろうか。いまだに、東ヨーロッパでもアフリカでも繰り広げられて、ロヒンギャの問題もどろどろと解決の道が見つからない。そういう差別を助長するネットからまずは規制しなければならない。
 

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