コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

「黙」考

「黙」の付く新しい造語が増えてきている。コロナのせいで、新語が生まれている。


「黙食」
 これは別に改めて言われることもないほど、わたしなどは小さいときから家庭の躾けで、「食べているときはお喋りしないの」と、話しながら食べているとばあさんたちに叱られた。黙って食べなさいというのが日本的な習慣のようなものだ。外国では、お喋りも食事の一部と、楽しい会話で食事をするのはマナー違反ではない。昔の人だから、ことうるさかった。現代の親は、そんなことでは子供に注意はしないだろう。ただ、お話ばかりで、箸が進まないよとは注意するだろう。実際は、話しながら食べていると、唾も飛ぶし、飯粒も飛ぶ。汚らしいという理由もあるのだろう。


「黙読」
 コロナだからというわけではなく、黙のつく語彙を集めてみた。黙読は普通のことだが、江戸時代からの読書は朗読だった。国語の授業では生徒に声を出して読ませる。寺子屋でも「子ノタマワク」と、孔子を読み上げる。最近はボケ防止で、新聞にも小説の下りを載せて、声に出して読んでみようコーナーがあったりした。読書の基本は朗読であった。文体も見たらすごいが、声に出して読むと文章のすばらしさがよく解る。


「黙浴」
 先日、スーパー銭湯に入ったら、岩盤浴でも入口のドアに「黙浴」してくださいと貼り紙がしてあった。人の集まる風呂でも会話はお控えくださいと徹底している。沐浴となると、ガンジス川で日の出の時刻に川に入り祈るのだが、10数年前にわたしもバラナシのガンガーに面した安宿に泊まり、死体の流れる川に入って沐浴したこどある。


「黙天」
 ダマテンとは麻雀用語で、黙って天牌すること。リーチをかけないで、人がフルのをひたすら待つのだが、大きい手のときがあるから、役満で振り込むと箱が空になる。ダマテンのときは、相手の天牌を見破る癖も知らないといけない。すごい手で待っているときは、心の動揺を悟られないように、ゆっくりと落ち着かせようとタバコを吸う人がいる。余裕を見せるテンパイタバコだ。目の動きも獲物を見るようにせわしい。そういえば、ここ40年くらい麻雀は実戦でやっていないな。


「黙屁」
 だまりっ屁という。集団の中でおならをする。みんなが騒いで笑う前に、誰だ、臭いなと、最初に騒ぎ出したのが一番怪しい。人のせいにするための策なのだ。レストランでの会食中に顔を赤らめて俯く美しい女性がいたら、咄嗟に、自分ですと名乗り出よう。彼女をかばうために嘘をついたボーイが、その女性と結婚することになったという話は、小説ではなく実話だったか。


「黙殺」
 発言が否定されることは悪いことではない。反対意見もあるからだ。それで議論が進む。それが、黙殺というのは相手にされないということで悲しい。まだ、相手が歯向かってきたほうがありがたい。議論になるからだ。
 シカトというのが虐めで、一番陰湿で冷血な行為だ。無視されることほど悲しいことはない。それなら聞きたくないと耳を塞いでもらったほうがいい。


「黙談」
 みんな黙って会議したり、談話したり。それは談話にならない。しんと静かな討論会。言わぬが花ともいうから、そうなれば目で話す。目は口ほどにものを言い。


 黙して語らないというのも恰好はいい。自分を押し殺して、黙ったまま。沈黙ほど多くを語ることもある。

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