カレー、ラーメン、ハンバーグはいらんな

キムヒロ

 孫と二人でどこかに行ったら、先日も孫がガストでランチがしたいと言うから、久しぶりに連れて行った。お子様用は五百円くらいで安い。他の店なら380円で、うどんにフレンチポテトとから揚げにゼリーがついて、ドリンクバーと玩具もついてきたりするから、その辺でラーメンを食べさせるよりずっと安い。ただ、ファミレスはわたしが食べたいものがない。前は図書館の帰りにガストやココスがあったのでそこのランチに入った。日替わり定食は680円くらいで、ドリンクバーもついていたから、ノーパソでブログを書いたり、本を読んだりして二時間くらいいた。それをしなくなったのは、おばさん軍団がうるさいからだ。ほとんどの席が女子会に占領されて、店内はわんわんと女のお喋りで反響している。とても詩を書いたり思索する空間ではない。まして本なんか読んでいられない。それからは絶対に一人では入らない。入っても洋食ばかりで、ピザもパスタも家で作るし食べているからいらない。ハンバーグなんか食べたいとも思わない。孫のためにたまに作ったり、冷凍のチーズインハンバーグを買ってきて冷凍庫には入れている。先日は、おからがひと袋百円で安かったので、買ってくると、自分しか食べないが、たまに作って食べたくなる。栄養もあっていい。それが鍋ひとつにどんとできた。増えるのだ。作りすぎて三日も同じものばかり食べないといけなくなる。息子も孫たちも食べないので、わたしが飽きるほど食べないといけない。それで、オカラハンバーグを思い出して挽肉と玉ねぎがあるから作ってみた。それはやわらかくて美味しいと、孫はお替りして食べてくれたから助かる。

 カレーも孫娘は毎週のように作っている。よくも飽きないものだ。わたしはカレーは若いときから作らないしあまり食べないのは、独身時代のセールスマンのとき、外の喫茶店では昼飯となると一番安いのがピラフとカレーで、そればかり食べてきたので、貧しい時代の象徴なのだ。孫はたまに食べたがるので、レトルトカレーを買ってきて食べさせている。先日は、久しぶりに息子にもわたしの手作りのスパイスカレーを食べさせようと、香辛料はいっぱいいろいろと常備しているから、クミン、コリアンダー、カルダモン、ターメリック、ガラムマサラ、ブラックペパー、チリペパーなど入れて挽肉と玉ねぎだけで作ったら、孫は口に合わない。カレーのルーでばかり慣れているから本格的な味は子どもには合わないのか。

 息子と孫たちは家でも外食でもラーメンばかりで、家にはカップ麺と乾麺、生麺がいっぱい置いてある。毎日食べている。わたしは嫌いではないが、好んでは食べないし、一人でラーメン屋に入ったこともないし、そこまで食べたいとは思わない。どちらかという外食は和食か蕎麦で、しかも一人では食べるためには入らない。本を読むとか時間と場所のために入るのだ。

 本とパソコンのためにマックにも毎日のようにコーヒーを飲みに朝に通っていたのが、最近は全然入らなくなる。それは孫が夏休みでいたからで、これから学校がまた始まり、一人の時間が多くなっても行かないのは、金がないからで、わざわざコーヒーぐらい外で飲まなくても、家で美味しいコーヒーぐらい淹れられる。一日三杯はコーヒーをドリップで淹れて飲んでいる。そして息子も孫たちも学校に行ったりで誰もいない食卓でいまもノーパソでこれを書いて、コーヒーと共に本を読んでいる。時間は家時間になり、一日一円も使わないでごろごろ。

 この外食がいまは減っているとニュースにあった。外食産業も苦戦している。価格の高騰もある。人件費と燃料代、原料の高騰でメニューが高くなる。わたしが前に通っていたローソン街カフェは前はコーヒー120円であったのが140円、160円と上がった。ランチもワンコインでは食べられなくなる。年金じじいが、ランチは贅沢だ。毎日入ったら月に二万円もかかる。それよりはお茶をボトルに詰めて、おにぎりを自分で握って、海辺のテラスや公園のベンチで自然を眺めながらの昼飯で日光浴もして読書というのが金がかからなくていい。

 ガストも店舗が減ってきているという。その代わり、周辺に九州から来た資さんうどんという新しいうどん屋が増えてきている。それはすかいらーくグループの経営で、ファミレスのガストがよくないから入れ替えたのだ。初めはしさんうどんと呼んでいたら、息子に訂正された。どうも、関西以西のうどん文化は青森にはあまりなかったときに育ったので、いまはどうか知らないが、昔は青森はうどん1割の蕎麦が9割であった。蕎麦文化なので、蕎麦好きなのだ。平塚に来たらやたらとうどん屋もあり、ラーメン屋ばかりで、息子と孫たちは休みになったり給与が出たら外食と、わたしも連れてみんなでラーメン屋やうどん屋に車で走る。わたしは別にどちらも食べたいとは思わないが、仕方なくついてゆく。

 いま住んでいるところの近くにオリーブの丘というイタリアンレストランがある。サイゼリアと同じくそこも安く、ランチは690円ぐらいでいろいろとある。ドリンクバーがついていたのがいまは百円別にかかるようだ。そこにも家族で行くとパスタとピザとわたしは辟易する。そんなの家でいくらでも作れる。わたしは家でビザパイも焼くが、面倒になると冷凍で買ってくる。最近はずるをして、トルティーヤに使う冷凍の薄い生地にピザソースを塗って、チーズとトッピングで焼いて、クリスピーだよとごまかして孫に朝飯に出すと喜ばれる。

 外食も金がかかると控えるようになり、家で食べようと最近は息子もそうして帰ってから食べるようになる。味噌汁に納豆と冷ややっこ、これぞ日本人の食事というのを最近はしている。孫もそれは大好きで、干物の魚を焼いたり、おしんこでなんだかほっする本来の食事に回帰している。

過去に逃げるか未来に賭けるか

キムヒロ

  世界各地で異常な天災が起こっている。地球温暖化だろうか。とみに最近は被害が想像を絶する。氷河が崩落して土石流が発生し、街や村を飲み込んで、すごい犠牲者と行方不明者が出た中国南部とネパールの惨状は他人事ではない。グランドキャニオンでも大洪水で被害者が出た。それはいつわれわれの身に降り注ぐかしれない。今年はまたエルニーニョが千年に一度もなかったほどの高温で、これから何が起こるのかと戦々恐々としている。台風もスーパー級で、かつてないメガ台風が発生して襲い掛かる。水害も桁外れ。かと思うと、水不足も片や深刻で、ダム湖の底が見え、これからは世界で水戦争が起こるとか。

 自然は完全に狂っている。それ以前に人間が狂っている。世界の科学者たちは、地球を救うためにはどうしたらいいかと、研究開発して、科学の力で温暖化を食い止める方法を模索している。そうでなければ、昔に還るよりない。電気の使用を抑えて、石油を使わない方向で、原始時代でなくても江戸時代のエコな生活に逆戻りするか。過去に逃げるか未来に期待するか、どちらかを選択しなければならない。文明の逆戻りではなく、エネルギーの切り詰めた生活は、水でも火でもいまよりずっと少なく、宇宙船生活に近いものになるだろうか。一年でも宇宙ステーションにいたら、水は貴重なものになり、リサイクルして使うよりない。アリゾナ砂漠の中で人類はどれだけ生きられるかとサバイバル実験も行われていた。少しの水溜まりにプランクトンや藻を入れて、それからタンパク質と植物を食糧として得る。人糞もその中で肥料にしてリサイクル。火星で人間が何年も暮らす実験もアメリカの砂漠に大きなドームを建てて、その中で実験班たちが生存テストをしている。空気の少ない火星にドームの住居スペースを作り、そこに南極観測隊のように常駐するために、水耕植物とか、畑も作り、二酸化炭素を酸素に変えて、食料も得られる。自給自足の生活は砂漠の実験と同じだ。それは水飢饉になり、将来は水不足で人類が生存できなくなると、どうしたら打開できるかという実証試験なのだ。それと食糧難で、人口増を抑えても天候異変で凶作の飢饉が続くと、昆虫食とかプランクトンからタンパク質を摂らないといけなくなる。凶荒食物の研究もしていて、飢饉に強い作物とか、それらを如何に効率よく体内に摂り入れるかという料理の研究もされているのだろう。

 これからは水は貴重なものになると、いままでのような生活はできなくなる。世界ではいまもそういう節水の生活をしている地域はいっぱいある。砂漠の国はそうだろうし、アルバニアに旅行に行ったときは、食器をザブザブといつものように水道出しっぱなしで洗っていたら、ホステルのオーナーに注意された。水は大事、エコだからと、洗い桶に入れた水だけで洗うようにと教えられた。江戸時代もそうで、水道なんかないところは多く、井戸から汲むか沢から汲んでくるか。遠いところまで汲みに行って、運ぶのが大変なら、蛇口からいくらでも出るいまの生活は改めて、少しの水で歯磨きして洗顔、体も拭いて手洗いで洗濯と、一家で少しの水ですべてをまかなわないといけなくなる。いまも熊本では断水で、給水するポリタンクの水だけで一日を過ごさないといけない。避難所でも水が出ないとそうなる。水道管が亀裂でがたがた、復旧は難しいと言われている。耐震の水道管の取り換えも進んでいないという。活断層の大地震でライフラインがズタズタになり、復旧に何年もかかるとしたら、江戸時代の生活に戻るのだ。停電も続けば通信もできなくなる。ネットが使えないと、昔のように手紙を書く。情報は新聞を買ってくる。


 未来はどうだろうか。いま日本だけでなく世界で研究され実用化に向けて進められているのが、核融合発電だ。太陽が光る仕組みを導入して、重水素など海水から得られる自然のもので、クリーンな資源と言われて期待されている。原発のような危険性と核廃棄物が出ないのと原料が枯渇することなく、無限にあるということで、それが世界で発電に使われるようになると石油依存も減り、車もEV車ばかりになって排気ガスも出ない。温暖化を止めることはできそうだ。2030年には実験終了し、実用化に向けて動き始めるというから、近い将来は自然を破壊することもなく、環境を狂わせることもなくなると期待したい。

 われわれの生活も江戸時代にエコシステムをもう一度導入することも考えないといけない。たい肥は活用されるべきで、生ゴミの処理も無駄に燃やして終わりではなく、わたしの子供のときは、各家庭に養豚場が生ゴミの回収に来ていた。豚屋さんが来たよと、お手伝いさんに教えていた。わが家ではわたしが後始末係で、子どものときから、なんでも食べ残さずに食べなさいと躾られて、家族が食べ残したおかずは最後にわたしに回ってくるのだ。それはいまの平塚の生活でも同じ。わたしがいらないとか余したら、お手伝いさんは、豚にやるかと残飯を業者に回した。ということは、わたしが序列では家族の一番最後にいて、わたしの後ろには豚がいるのだ。いまも息子と孫が食べ残したものを勿体ないとわたしは仕方なく食べている。

 町人の家から出る糞尿はおわいやという農家の人が大八車でもらいに来る。江戸時代のそうした本によると、武家からは人糞も栄養があって、肥やしとしてはよかったと書いている。それで、百姓たちは、武士の家々を回り、人糞をもらいうけ、代わりに大根などを置いてゆくという。リサイクルでエコな思想が江戸では生きていた。ゴミの処理もこれからはそれに見倣い、分別だけでなくゴミが出ないような生活にする。出ても再利用はするし無駄がないように全部使う。この有限の惑星はひとつの大きな宇宙船と譬えられる。有機物は少しも無駄にしないで、役立てることで各家庭でもそうした処理システムが機械化されるようになるだろう。わたしが自宅の畑にコンポストを置いて、生ごみで有機農業をやっていたときのように、ソーラー発電から地熱エネルギーと、これからの世界は大きく変わってゆくだろう。

末は絵本作家か芸術家か

キムヒロ

 先日の美術館の絵本作家たかいよしかずのハッピーワールドが面白かったので、孫がまた行きたいとねだる。

 夏休みも後残り少し。宿題はみんな終わり、プリントもやったし、余力があったので、市販の一年生の国語と算数のドリルを買ってやらせていた。カタカナはようやく読めるようになるが、書けるのは怪しい。9月1日の火曜日から出校で後期が始まるので、ランドセルの中身をチェックして、道具箱から筆箱の不足を確認。絵日記は二枚あるが、本人は絵が好きなくせに、写実派でないから、想像したものしか描けないというのだ。海やプールでじじとパパと泳いだことを描けよと言っても、それができないと泣く。どうして? いつもお絵描きと、コピー用紙を50枚くらいハガキの半分サイズにハサミで切って与えると、1時間もしないうちに全部描いてしまうくせに。それはロボットとか怪獣とかなのだが、自分の好きなものは描けるが、実際に体験したこととか、目の前のことを描くというのが苦手だと言う。そうか、それなら好きになんでも描いたらいいと、想像でもいいことにした。そんなもの真夏の夜の夢を見たことにしたらいい。

 孫は平塚に三年前に一家で引っ越してきたときから、わたしが教育係をしてきた。四歳から見ている。お絵描きが好きな子で、粘土が好きで、与えたら黙々と一人で何時間でも遊んでいる。前に美術館でコラージュを見せたら、自分もしてみたいと、何かumaのようにぐちゃぐちゃの動物なのか怪物なのか判らないものを描いて、それを全紙に貼り付けていた。青森の妹から帰省したときにもらった何十色ものサインペンが気に入って、それで色をつけてカラフルにしていてご満悦。粘土も保育園のときからそうで、先生にも一人だけ好きで半日でもやっていると感心されていた。それはわたしの子供のときと似ている。子どものときから成績はあまりよくなかったが、図工だけはいつも通信簿は5で、先生がいろんなコンクールに出してくれて、そのたびに入賞していた。家にはカップは賞状がいっぱい壁に貼ってあった。

 隔世遺伝かと思うが、わたしの姉妹も美術系でそういう趣味や大学に入り、油絵や彫塑を作成していた。わたしの息子二人もマンガやゲームクリエイターで、原画をパソコンで描いている。それが秋葉原近くの会社を興してもう25年くらいはやっている。それだから、孫に一人くらいは芸術系が育ってもおかしくはないと思っていた。どうも、それが同居の七歳の孫のようなのだ。

 美術館に行きたがるのも変な子だが、そこが遊園地よりも面白いらしい。先日の平塚市の美術館で夏休みの子供向け展覧会の絵本作家たかいよしかずハッピーワールドがよかったので二度も入るのは珍しい。わたしは高齢者で無料で孫も無料。夏休み最後の日曜とあって、それでも結構多くの親子連れが来ていた。と、入ったなり、孫が熱心に見ていたら、作家本人と思われる人が声をかけてきた。わたしは「作家さんですか?」と聴いたら、そうですというので、素晴らしい作品展のことをうまく言えず、子どもらよりも親たちが見とれて、この不思議な世界に没入していますねと言った。「写真を撮ってもいいですか?」と了解を得て、孫と二人でスマホで写真。それからブログで使わせてもらっていいかと聴いたらOKが出た。展示品は写真オーケーなのだ。孫はいろいろと作家さんに聞いていた。「この子は粘土やお絵描きが好きで、将来はそっちのほうに行くのではないかと思って」と、それであちこちの美術館に連れて行くことも話した。作家さんの略歴で、堺市出身とあるので、「わたしも堺市に若いときは三年いました」と話したら、どちらにと聴くから、堺東ですと言ったら、作家さんもその駅近くにいたとか。わたしより10歳年下だが、若く見えるのは、創作活動が絵本であり、子どもの世界だからだろうか。古本屋時代には、彼のくろくまシリーズの絵本やようかいむらシリーズの絵本はよく入ってきて知っていた。古本屋でも絵本は大事に売ってきた。個人的にも好きで、わたしは二十歳のときにたった一冊の手作り絵本を作って、別れた彼女に送ったことがある。自分で絵と文も書いて、製本もした一冊だ。手元にはないが、当時、コスモス石油会社主催の童話大賞に応募もした。彼女が絵本が好きで、よく日本橋の丸善に行って、二人して外国の絵本も買った。キーピングの絵本が好きな人であった。若い時のわたしの本棚にはアンデルセン全集や新美南吉、小川未明などの本もいっぱいあり、絵本も蒐集していた。

 絵本のことで、忘れていたことも思い出した。孫はいろいろと作家さんに聞いて、キャラクターはどれだけありますかとか聞いていた。数えたことはないなあと言っていた。大人でも知らない人でも物怖じしないで話しかけるのは孫は面白い性格だ。好きなことはさせたいし、伸ばしてやりたい。わたしはくさすことはしないで、いつも誉めてやる。才能は別としても、ひとつのことで自信をつけさせたら人間伸びるのだ。いまのわたしには絵心はまるでない。十で神童も二十歳過ぎたらただの人でもいい。創作というのはなんだっていい。そのうち夢も実現してくるのだと、作家さんは孫に話していた。続けることだよと。端で頷いて聴いていた。