コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

どついたろか

 また激変だ。この一日でこれからの予定がまた変わる。相方に貸していたわたしのスマホには電話帳に身内の名前がある。それでわたしの知らないうちに、青森の妹や北海道の姉、東京の息子たちに電話をしていた。青森のペンの仲間にも電話していまいか。それが判ったのは、相方から、電話で、あなたを信用できないと言ってきたとき、姉さんに手紙で、わたしが精神病だと書いたでしょう。と、知るはずのないことを言ったので、これは姉と話したなと直感した。それから昨日のことだ。施設にいるおふくろから電話がきて、わたしの妹にも電話をしたらしい。わたしとは別れるからと。妹は気持ち悪がり、もう電話には出たくないと怖がる。おふくろも、早く離れるんだよと、いつまでも面倒をみることはないと、暗にそうわたしに忠告した。身内はすべて、相方を拒絶する。それはそうだ、わたしも厄介とは思っている。だけど、可哀想という気持ちで切れないでいるのだ。そのとき、ゆうべ、相方が娘と会って話したときに、またわたしの世話になればいいということを言っていたというので、とうとう、わたしも激怒した。
 しばらくメールも返事もなく、相方に言わせたらノーテンキな娘だと、自分の好きなことばかりしている。それで、関西弁でどついたろかと、ショック療法、一撃を与えることにした。メールで、「スマホを貸したらわたしの身内に電話をしてみんな迷惑している。ママをこっちにばかり押し付けるな。母親だろう。みんな怒っている。あまりにも無責任だ」と書いて送信したが、それでも無視されたか返事がない。そこで、LINEではなくメッセンジャーで、今度は語気を荒げて「返事ぐらいしろ。29日にマンションの引き渡しだ。荷物はトランクルームに入れろ。赤帽を頼んで運搬させろ。年金と収入の少ないじじいに世話させるな。おまえのほうが給料はいいのに」と、そこまで書いた。いままでの不満が爆発していた。そうしたらその日は学校で泊まりなのだが、夜に何度も相方から電話の着信があったが、うるさいので拒否して出なかった。きっと娘から電話が行って、母子で話し合いをしたのだろう。娘は都内で働いて、うちの息子よりは年下だが、近くのマンションに一人暮らしをしていた。近いから自転車で相方は会いに行っている。母親が生活に困って、通信費も払えず止められているとき、金を貸してというので、こっちもそんなに余裕はないが、何度か貸してやった。本来なら、娘が貸せばいいことだ。他人のわたしがどうしていつも何かと用立てないといけないのか。むらむらと怒りがこみあげてきた。娘は、いままではわたしが好きで母親の面倒を見ていたと思っていたのが、突然、怒声で娘に対して豹変したので、本人はびっくりしたようだ。電話が来た。泣き声で何を言っているのか判らない。ごめんなさいと謝っている。そこで、さらに現状認識をしてもらうために、ひどい言葉を投げた。追い詰められて、こっちが気がおかしくなりそうだと。このままだとママを殺すかもしれない。刑務所に入ったほうが楽だろう。そこまでわざと脅かしついでに言ったら、かなりのショックを覚えたようで、ますます泣きじゃくる。これぐらいしないと、若い人は判らない。
 二人で、保健所に相談に行ったのが2月の末だった。それからコロナになって、半年中断していた。強制入院させる話も途絶えて、わたしも別居していたから、急ぐこともなかった。ところが、いまのマンションの契約更新になり、退去することになると、またわたしのほうへと疫病神が越してくる。同じ繰り返しになるのかと、このチャンスになんとしても入院させないと。それであれこれと案を出してみた。
 最初は、どうにも入院できなかったら、ともかく、部屋は明け渡さないといけないので、近くのトランクルームに荷物を赤帽さんに頼んで運ぶか、いまはキュラーズというワゴン車で取りにきて運んでくれるトランクルームもある。畳一枚分だが、上まで衣装ケースを積めばひと月10000円の使用料で済む。それを娘の契約でさせる。それから相方の住むところがなければ、当分はビジネスホテル住まいをさせる。3千円で泊まれる。いまはGo Toキャンペーンで、アパホテルは一泊2250円と宣伝している。ひと月泊まってもいまのマンションの家賃より安い。そこから働きに通えばいい。そうしたら、完全に縁は切れるのだ。
 それか、入院させるに、抵抗されるだろうが、病院を予約したその日に、それとなくランチでも食べようと誘い出し、わたしも同席して、娘と二人で両側を抱えるようにしてタクシーで病院に連れてゆく。民間の救急搬送はあるが、そこは最低で10万とか高いと50万くらいかかるらしい。精神病患者や引きこもりの人たちを家から病院に連れてゆくときに使う手段だ。抵抗されたら布のガムテープでぐるぐる巻きにしよう。口もガムテープで塞ぎ、マスクとコートを羽織れば判らない。そうして入院させたら、診断書をもらい、障がい者年金の申請をする。一年半経たないともらえないが、遡ってくれるので、それで何十年も出られなくても医療費は只だろうし、娘の負担にはならない。前に娘と千代田区の保健所相談日に同席して実情を訴えたら、精神科の保健婦さんが、長くなりますと、若い統合失調症患者なら治りも早いが、20年以上放置していて、年齢が過ぎた人はなかなか治らないと言われた。一生入っている人もいる。相方も出られないかもしれない。せめて病識があり、治療をさせるのなら、社会でいままで通りの仕事と生活ができるのだ。鉄格子の病棟に隔離されるのはかわいそうだが本人も被害妄想で苦しんでいるから、社会から隔絶した世界のほうが幸せかもしれない。
 これから始まる修羅場だ。どういうふうになってゆくか、月末まで十日よりない。そういうことを考えていたら、飯も喉を通らず、また夜も眠れない。娘に発破をかけたら、ようやく始動してくれた。唯一の肉親だろうと、おまえが動かないと、第三者のわたしでは何もできないのだと、怒ったことが効果覿面だった。相方と娘と話し合いしたら、受診はするという。その代わり、都立松沢病院ではなく、東大病院なら診てもらうと承諾したという。東大病院の事務を相方は7年前までしていた。知っているところなら安心するのだ。帰るところがないと、諦めて入院するよりない。娘も母親の病気で居ずらくなって出たのだ。わたしはよく5年半も面倒を見たものだ。月末までのシナリオは書いた。どうなるかは、判らない。うまくゆくことを祈るだけだ。

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