コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

親切も徒になる

 よく尽くして文句を言われる。これほど割に合わないことはない。何も期待して親切にしたわけではないのだが、困った人を見たら助けてあげたくなる性分だ。いままでもいろいろとあった。前の奥さんのときは、青森の新幹線駅近くに昔の実家を持っていたペンの友人がいたので、奥さんが駅の近くの病院でヘルパーとして働いていたので、それならと、一軒家を借りてやることにした。たまたま埼玉の病院で看護師をしていた娘も赤ん坊を連れて旦那と離婚して帰ってきた。四男もそのころできちゃった婚で、市内の彼女と結婚すると言ってきたので、みんなまとめて面倒みようと、家賃2万円の借家を家族でみんなが一緒に住めるようにしてあげようとした。古い二階建ての木造だが、それまで住んでいたのが同じペンの仲間だが、ひどい暮らしをしていた。廊下と階段に蜘蛛の巣。ネズミとゴキブリの巣。とても人間の暮らしていたところとは思えない。それで仕事を休んで、わたし一人で3日間、掃除をした。上にはリビングルームが広くとってあり、別に日本間が二つ。下は台所と食堂と、こちらにも広いリビングがあり、洋室が3間ある。7間もあれば三家族が暮らせる。それで家賃は2万円という。新幹線の駅は目の前だし、スーパーも裏にはある。国道もすぐだ。庭も荒れていたところを大工を入れて、車3台止められるようにした。娘と息子と嫁と車は3台あった。風呂も旧式だが、ボイラーも直してもらう。トイレもどっぽん式の和式であったが、洋式の便器を買ってきて備え付けた。絨毯を敷いて、部屋の消毒もした。前に住んだ独身の友人は、人間とは思えない生活をしていたものだ。いろいろと金もかけたが、外装はモルタルで古く暗いので、そのうち吹き付けしたりサイディングを張ったりと、適当に改装してもいいと大家の友人が言うので、それは息子が稼いで自分の家のようにリフォームすればいいと、話してやる。さて、その家を三人が見にきた。中に少し入ったが、外回りだけで恐れおののいて、逃げ帰った。古い家だが、わたしなら懐かしくいい家とは思うが、若い人たちには住めるところではないと思ったのだろう。それっきり、市内のマンションを借りたり、どこかに行って、なんら連絡もないから、わたしは怒った。金がないというから、親子と孫と五人で暮らせるようにしてやったのに、なんと贅沢な。そのすぐ後に、四男は離婚。生まれたばかりの赤ん坊はどうするのだ。奥さんも雲隠れして、離婚届けをわたしに郵送してきた。みんな、何を考えているのだ。親切心で、親として当然なのだが、リフォームすればよくなるものを、断りもなく、どこかにみんないなくなる。古本屋の三男も怒って、もういいだろうと、わたしのお節介を止めた。友人には説明して、家賃も無駄になったが、逆に掃除して風呂とトイレも綺麗にしてと彼の奥様が古本屋にお詫びのお菓子を持って謝りに来た。家を見たから、それが原因で離婚したと誤解していた。そうではないことを話し、反対にわたしのほうから詫びた。


 今回の相方とのこともそんなどさくさに似たところがあった。出会った6年前のことをいまでもよく口にする。わたしが結婚したいと言っていたと。一度もそんなことを言った覚えはない。自分はあなたとは結婚はしないわと、突き放した言い方をたまにする。家と家が大事になるからと。簡単なものではないと、どこか高貴な家柄なのかと、その言い方に笑う。所詮、わたしとは違うとよくそんな言い方もした。うちはサラリーマン家庭、あなたは自営業。会社なのだが、中小企業には違いない。それを自営業、商売人の家と卑下するような言い方をした。この人、アナクロなことを言ってと、何か現代において、どこの国から来たお姫様かと思った。それは、お嬢様暮らしで、いまでもたまに自慢して言うが、庭石と松の木のすばらしさはみんな褒めてゆくのだとか。その広い大阪の家も売った。グランドピアノがあって、愛犬がいて新車に乗っていた人が、医者と結婚して離婚し、シングルマザーで娘を育て、きれいな人であったから、ストーカー被害に何度かあって、それがPTSDとなって精神病発症、いまに至る。家と車とピアノと辻が花の着物もすべて売り払い、一文無しになっても、どこかお嬢様だけが残る。そんなときにわたしと出会い、食えない生活をしていたのを助けたが、本人は助けられたとは思っていない。話を聞いてみると、ロマノフ王朝の最後のお妃さまのような態度で、明日は餓死するか殺されるか分からない生活まで零落しているのに、気位だけは高い。頭がよく、日経を読んだり、時事にも詳しいが、常識的などこか欠落している。それを指摘すれば、猛烈に怒る。プライドが高いから、知らないことを突かれるとかちんと来るらしい。新しいことも取り入れるが、思考は過去の一時点で停止したままだ。いつも過去に戻ると、その呪縛のために第二人格の横暴な攻撃的な別人に変身する。
 わたしなんか、一緒に暮らしていたときでも、ボロくそ呼ばわりで、腹も立てない。慣れてしまい、それは病気、病気と口で唱えて相手にしないようにしている。まともに怒ることはない。
 いま、自分が置かれている状況を理解していないので、いつも口癖のように、お金なんかどうにでもなるものよ、ついてくるものと、楽観的なのだが、どうにもならない。明日食う米がなくても何をしたらいいのか行動に移せない。誰かが何かをしてくれると待っているのでもないが、引っ越しのたびに、明日トラックを持ってくると言っても、荷物の整理に手をつけず、何をしていいのか分からない。わたしがこうやるんだと、率先して荷造りをし始めて、初めて手伝うように動く。
 お嬢様が落ちぶれて、明日からホームレスになるというときに、その落差があまりにも可哀想で、頼まれると、またかと、気持ちが折れるのだ。今回はそうはゆかない。落ちるところまで落ちたらいい。それでも気が付かない病気なのだ。もう帰るところはない。入院病棟より居場所はない。それでも頑固に拒否して、寒い上野公園に座っているのだろうか。

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