コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

年賀状が1分でできる

 年賀状は出さないことにしていたが、何枚か送られてくるのには返信の形で送っている。青森にいたときは、何百枚と書いていた年賀状も、東京に出てきてからは、誰にも住所を教えていなかったので、来なくなる。青森の古本屋には届いているようだ。毎年、欠かさず書いてくる人がいる。その方が亡くなったのをわたしは知らないでいた。欠礼のハガキも来ていたのだろうが、青森との関係が途絶してからは、連絡がとれない状態になっていた。息子のところにおそらく遺族の息子さんから電話がいって、わたしのところを教えたか、メールが来ていて、父上が亡くなられたことを知って、香典を包んで世田谷の自宅まで線香を上げに伺ったことがある。ずっと何十年も年賀状のやりとりをしていた人に、突然、何も挨拶もなく、行方不明になるというのは失礼なことだ。引っ越しても住所が変わりましたと、お知らせするべきであった。ところが、あのときは、わたしは一年で三回も引っ越した。そのたびに、住所が変わりましたと、転居のお知らせを全員に送るのも面倒だった。それで、雲隠れしたのだ。


 古本屋も倒産し、去年の三月に、青森に二人で荷物を引き取りに帰ったとき、ビルのシャターに挟まっていた年賀状があった。二か月半も雨や雪に濡れて、よれよれのハガキが何枚かあって、わたしは、それらを大事にしまうと、帰ってから、返事をみんなに書いた。死んだと思われているかもしれないし、寝たきりか、痴呆になったか、日本にいないかと、みんなが案ずることもありうる。それで、ひとりひとりに丁重に返事を書いた。
そんなことがあってから、これからは、ずっと続いている人たちには、年賀状も書かないといけないなと、自戒して、書くことにしたのだが、いざ、書こうと思ったら、なんとも面倒くさい。何か簡単な方法がないかと、ネットで調べていたら、コンビニでできるとあった。いまは何でもコンビニだ。もともと便利ストアだから、便利で当然なのだが、なんと、すぐにできて安いというので、やってみた。まずは、家の近くにセブンイレブンがあるので、そこの年賀状サイトにアクセスする。それから、図柄がかなりあるので、その中から選ぶ。それにスマホの中に今年一年で撮った画像がアルバムの中にいっぱいあるので、旅行に行った写真を6点貼り付けてみた。あけましておめでとうの文字から、コメントも入れた。その間、たったの1分だ。それで、保存すると、向こうから、番号が送られてくる。その予約番号をメモして、コンビニにまで歩いて4分。店内のマルチコピー機の機械のプリントを選んで、予約番号を入力すると、わたしの送った年賀状が出てくる。1枚80円だという。少ない枚数ならお得だ。とりあえず、6枚はいるだろうから、それをプリントすると、ハガキに印刷されて出てきた。思い立ってからコンビニまで来て10分とかからず、年賀状ができていた。
 自分でプリンターでやってもいいのだが、インクがもう使えなくなっているだろう。一年以上使っていなかった。会社のプリンターばかり使っていて、自分のを使う機会がなかったから、インクが出ない。それをまた黒とカラーを買えば、インク代だけで5千円はかかるだろう。しかも、また使う頻度がないから、インクは乾いてしまうのだ。もったいない。それで、コンビニでやれたので助かる。


 便りのないのはいい便りというが、それにしても、ズボラになった。年賀状だけでなく、親戚づきあいのお中元とお歳暮のやりとりもしなくなって久しい。そういうまめなつきあいもしていたのに、東京に出てきてからは、いっさいやめたのだ。そのひとつに、少ない年金ということがあった。誰か死んでも香典も持ってゆけない。法事に呼ばれたら困る。あのときは月に4万も年金がなかった。法事と香典で半分以上持ってゆかれると、その後の生活は悲惨なものになる。死んだ人より生きている自分のほうが大事だと、つきあいをすべてやめて、単身出稼ぎにきた。孫たちの顔も見ていない。会えば、金がかかる。誕生日だ、クリスマスだ正月だと、昔の子供なら千円やれば済むものを、いまどきはゲームだ。ショッピングセンターに連れて行って、玩具売り場で、何が欲しいのかな、おじいちゃんがプレゼントしようと、買わせられたのが4万近くするゲーム機。がーんとわたしの生活費のひと月分がそこで消えた。
 いまは、みんな大きくなって、上は大学生だ。この前、孫娘が某大学の経済学部に推薦入学が決まったと、息子からメールが来たので、何かお祝いを送ろうと思うが、何かいいのかと聞いてくれと、返信した。図書券くらいならかわいいものだが、じじには、プラダのバックねと、ブランドものの10万円となれば、おや、あなたは誰でしたかと、認知老人に成りすますよりない。


 それに比べたら、年賀状なんか安いものだ。

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