コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

閉塞してゆく旅路 2

 朝風呂も誰もいない。外人さんたちはみんなカラスの行水なのだ。湯舟に入る楽しみを知らない。布団を畳み、ホステルではお馴染みのスリーピングシーツもたたむ。朝飯はリビングで昨日買ったロールパンを焼いて、冷蔵庫の中のいろんなジャムをつけていただく。コーヒーはデカンタに温めていた。そういうところが気楽でホステルのいいところ。
 雨は上がっていた。曇りで、やはり涼しい。夏はもう行ってしまったか。海水パンツの出番も水中メガネも用はない。ビーチに出てみたら、波は荒い。歩いたら波に足がさらわれそうだ。
 ビーチの近くに古い戦前の商家があった。屋号は米惣とある。米屋であったらしい。そこが詩人の木下杢太郎の生家で記念館になっている。ここで生まれたのだ。じっくりと見学した。ガラスケースに昭和5年に出した詩集が展示してあった。わたしにとっては懐かしく忌まわしい詩集。いまから30年以上も前だが、うちの古本屋の一番上の手が届かない棚にその詩集を飾っていた。ペン書きの署名入りの限定本だ。10万円の値をつけていた。わたしは子供らを連れて合気道の道場に行っていた。バイトの女子高生に店番を頼んでいた。戻ったら、詩集が抜き取られていた。聞いたら、よく見ていなかったという。全然留守番になっていない。そんな恨みのある詩集と再会した。
 杢太郎は小石川と千石にも住んだ。わたしも6年前にそこで暮らした。また、ハンセン病の研究もしていたとある。そこのところが興味があって時間をかけて見ていた。裏の部屋も見たが、そのまま保存されている。


 いいものを見た。ビデオも見たが、杢太郎の文学碑が駅裏の伊東公園にあるというので、行ってみた。誰もいない。ふうふうと息を切らせる。坂道のある町には住めない。そこから駅と市街が眺望できた。街中を昨日も歩いて、不動産屋の店頭に貼られた賃貸物件も眺めたが、ここには一年でも暮らせないと思った。街の暗さはコロナのせいとは思うが、どうも住みたいとは思わない。
 電車が来た。翌日は熱川温泉に泊まるのだが、その途中にある城ケ崎海岸駅で降りて、景勝地も見たい。駅から歩いて25分とあった。駅でうろうろしていたおばさんがいた。同じ城ケ崎に行くようだ。わたしに声を掛けてきて、同じ方向だからと、一緒に歩いた。奈良から来ていると関西弁。いつも一人旅なのだという。人と話すのも苦手とよく喋る。わたしも一人旅が好きで、ツアーに参加しないと話を合わせる。海は相模湾だから荒くはないでしょうとおばさんが聴く。湾は熱海のほうで、ここは太平洋ですと、湾も太平洋なのに、よく解っておられないようだ。どこかで売店はないかと探した。何もない。昼飯はどうするのか。観光地はこれだから、弁当とドリンク持参でないといけない。別荘地のようで、その別荘を利用して、カフェやイタリアンレストランをしたりしている。普通の自宅でやっている。玄関も家の玄関なので入りにくい。陶芸や焼き立てパンなど、どこもみな同じ。辟易する。そういうところは覗いてみたいとも思わない。おばさんは、わたしが歩くのが早いと誉める。これでも右足に人工関節を入れた話もする。それまでは歩くのもしんどかったのが、いまはスタスタだ。
 穴口という、上から見たら、岩に穴が開いていて、上から眺められるところで、おばさんと別行動。わたしにはついてゆけないようだ。吊り橋と灯台のある観光スポットに行く。みんな車で来ているので、駐車場はいっぱいで、人もいっぱい。荒々しい岸壁に岩が頭を出している沖合。海岸美もいい。売店があった。よかった。自販機でコーヒーなど買って、何か腹の足しと、ひまわりの種と蜆の干したのをつまむ。オルニチンで健康にいいとか。
 灯台はコロナで登らせていない。岩の上にみんな登っている。ものすごい怒涛で、へたすれば濡れるほどだ。
 また駅まで歩いて戻った。いい運動になる。駅に着いたら、電車待ち。待合室にも中国人の若い旅行者たちがいた。なにやら食べていた。腹が減る。スナックをぽりぽりかりかりと美味しそうな音はやめてくれ。待合室になんとか文庫という寄贈された本と本棚があり、見たら文庫本が多いが、ヘツセもある。一冊抜き取って、昔読んだことがある横光利一の『紋章』を再読する。
 やがて電車が入線する。今度は熱川まで行く。車窓のどこかに海がある。明るいはずが曇りで暗い。気持ちも暗く、暗い旅、という倉橋由美子の小説があったな。
 熱川温泉に着いた。駅前からして足湯と湯けむり。あちこち湯けむりが上がって温泉街という感じだが、平地がない。地形はどうなっているのだ。斜面に町がある。それも勾配がきつい。車はよく登ってくるものだ。下が海と解るので、地図がなくても歩けるほど、町は小さい。坂を下りてゆく途中にラーメンの旗。そんなところで妥協して食べるときに食べないと、伊東温泉のように探さないといけないと、見つけた綺麗でもない食堂に入る。地元民が家族で入っていて、昼から酒盛りをしていた。考えてみたら日曜日だった。こんなところしか食べるところがないのか。コンビニはどうやら町中にはなさそうだ。その家族が、コンビニの話をしていた。国道のずっと離れたところまで歩きたくないと言っていた。これは今夜の弁当なんかも、どこか見つけたら買っておいたほうがよさそうだ。きっと郊外には車で行けるスーパーなんかはあるのだ。ふらりと電車で来た観光客は昼飯を食うのも大変だ。ラーメン定食にした。おかずが別に3品ついていた。久しぶりのラーメンだ。こんなところまで来てラーメンだ。他にはイタリアンや洋食のレストランは見かけるが、それでも温泉場に来てまで食べるものじゃない。
 観光案内所から地図をもらってきたので、それでウォーキングコースとやらを歩いてみる。海岸線を歩いて、目印になる餃子店から山に向かう。その坂道がきつい。地元の人たちはよくこれを毎日登ったり降りたりしているものだ。高低差200mとある。いい運動だが、生活をしていたら、老人なんかはどうするのだろうか。車椅子では通れない。ようやく、上の国道に出た。足がかくかくとなる。そこから歩いたら、片瀬温泉に出た。その先には白田温泉と看板がある。温泉だらけなのだ。と、スーパーとセブンの看板が見えた。よかった、あったと、まるで砂漠でオアシスを見つけたように、喜んで入る。モノはあまりない地元のスーパーだが、晩飯がホテルではつかないので、ドリンクと酒とまたスイーツと弁当など買えるものは買った。静岡だから、名産はあるのだろうが、わたしは刺身は嫌いだし、キンメダイもいらない。
 そこから海に出たら、はりつけの松というのがあった。明治のころに身分の差で一緒になれない恋人同士が寺を焼いた。そこには宗門改帳があり、いまの戸籍謄本のようなもので、それを焼いたら一緒になれると、火付けの重罪ではりつけ火あぶりになったのか。どこまで本当の話か。
 ずっと海岸線を歩いた。潰れているホテルが多い。やっているホテルも外壁が剥がれ、崩れて、これでは泊まりに来た客はみじめな思いをするだろう。わざわざ来て、高い宿泊料金を払って、わが家よりボロだなんてと。どこもそうだった。もうリフォームをする資金もない。したところで集客が増えるわけでもない。これはコロナ以前の問題で、温泉地はすでに疲弊しているのだ。
 湯波さんぽ道という海沿いを歩いて、ようやく今夜泊まるホテルに来た。太田道灌の銅像がある。高磯の湯という海辺の露天風呂に入りたかったが、閉めていた。まだ4時ころで早いのだが、ホテルにチェックインすることにした。もう見るところがない。だんだんとふてくさってきた。どうでもいい。


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