コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

赤と緑

 クリスマスが近くなったという感じがしないのは、コロナのせいだろうか。正月も同じで、何か、自粛せよとニュースで報じて、年末年始の行事もしらけた格好だ。それでも街中では、クリスマスのイルミネーションは規模を縮小してあちこちで行われていた。感染者は記録更新して、東京で600人を越えて、全国でも3千人を越えた。このまま年末に突入する。都心で働き千葉に住むわたしとしては、別にそんなにコロナは恐れていない。マスクはしているし、消毒もしている。密は通勤では無理だが、検温は学校で常にしているし、先日から、社員や職員、先生たち全員が、行動記録表をつけるようにと紙が配られた。コロナに感染したとき、保健所に提出する記録簿になる。接触アプリもスマホにいれてあり、いつも見ているが、先日から、そのアプリが複雑に変えられた。厚生労働省のホームページになり、いつもの接触者がいたかどうかと即座に出る画面がどこに行ったのか。そのことで、急に見られなくなったこと、シンプルでよかったのに、複雑にして、盛りだくさんはいいが、焦点がぼけていると、厚生省に意見メールを出したら、自動的に返信があっただけ。
 マスクなんかは使い捨てはやめて、三枚で400円布製マスクにして、いまはその一枚をずっとひと月半も使っている。30回くらいは洗濯ができるというから、二日に一度は除菌洗剤で洗って、漂白剤にも漬けておく。だから、すり切れるまで使える。何も使い捨てで資源の無駄とゴミを増やさなくてもいい。それと、春に買ったネックウォーマーもそろそろ出番で、ニットだから、洗えるし温かい。それは、首を温めるだけでなく、口を覆うとマスクにもなる。帽子にもなるし、耳を覆えば温かいから、首から上に使えるすぐれもの。
 クリスマスが近くなると、真中は緑と赤の2色が目立つようになる。学校でも、ポインセチアの花を花壇に植木屋が植えて、鉢を玄関などにも置いた。11月下旬に毎年のように業者に依頼して、大きなもみの木も礼拝堂と正面玄関に置かれた。植木屋さんは、われわれ宿直の人にもと、小さなポインセチアの鉢をくれた。部屋にはポトスも二つあるが、その水やりがわたしの役目なのだ。仲間の先輩は、面倒だから捨てようというのだが、ダメ、緑は目にいいし、わたしが育てているんだからと、いまは3つの鉢が宿直室の受付窓口にある。
 学校で花壇の手入れと水撒きをするようになってから、わたしはガーディニングは嫌いなのが、好きになってきた。毎日の水やりが仕事だから、芝生にもやるし、落ち葉も掃いてと、緑があることは子供たちにもいいことだと思うようになる。
 今年も、年末に青森の施設にいるおふくろに正月の花をネットで頼んで送らせるようにした。アレンジメントフラワーというやつで、松と竹と梅をあしらい、小さなブーケみたいにしたものだが、それが親父の遺影と並んで棚の上にあれば、雰囲気だけでも正月になる。千両という赤い実の成る正月用の植物も緑に赤だが、クリスマスも緑に赤だ。外国でも日本でもよく似ている色の組み合わせ。それがめでたいのか。赤は縁起もので、おせち料理にも欠かせない食材として、青森ではきんきんという赤い魚を使うし、酢蛸も赤いので、わが家ではおせちの定番になる。そういえば、台湾に行ったとき、赤いパンツに福と書かれたのが旧正月には売られていた。下着も赤は縁起もの。わたしの同級生たちで還暦のお祝をしたときに、赤いちゃんちゃんこはないから、赤いボクサーズパンツを奥さんたちが買って贈った。
 そんなに赤はいいものなのに、戦前はアカは非合法と取り締まられた。戦後もマッカーシズムでレッドパージ。労働組合の旗は赤。経営も黒はいいが、赤字はよくない。赤がいつから悪になったのか。
 それと緑はよく似合う。街中でその配色を目にすれば、クリスマスが来たか、正月が来たかと、何か気持ちはそわそわと。
 今年はコロナでどうなのか。街中ではクリスマスも遠慮がち。初詣も分散と、自粛もお願いすれば、オンライン参拝と、神社は賽銭はどうなるのか。うちの学校もミッションスクールだが、例年のクリスマス礼拝はテレビ礼拝で、キャンドルサービスもやらないとか。聖歌隊は練習しているが、それもオンライン配信だ。何か気が抜ける。後少しでクリスマス。イルミネーションもやる気がない。
 ホテルもクリスマスは暇だろう。家でやるホームパーティも盛り上がらない。わたしは今年はクリボッチ。一人盛り上がってみようか。


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