コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

おさむ叔父のこと

最近は死んだ人の夢を見たりするせいか、身内だけでなく、周囲の亡くなった人のことをふと思い出したりする。それは呼んでいるということだろうか。それで、おさむ叔父のことを思い出して書いてみることにした。おさむさんは、おふくろの弟で、8年くらい前に亡くなった。年末年始にはよく家に来た。挨拶ということで、いつも少ない年金の中から奮発して、蟹や銀鱈の大きな一本を手にしてくる。おかげで、わたしらは年越しはそれだけでも豪勢にできた。銀鱈は東京では知らない人がいるだろうが、脂がのってすこぶる美味しい。ちなみに、青森の居酒屋で頼めば、一切れで1200円取られたりする。年末に夫婦で来ると五時間ぐらいずっと積もる話をする。おふくろ一人しかいないので、お喋りの相手になる。親父が死んで、わたしは古本屋、帰りは晩いから、お喋りなおふくろとうるさいくらいの会話だろう。
 そのおさむさんは、戦前は航海士であった。函館の商船学校に入り、卒業してからは大手の船会社に就職し、外国航路の大きな貨物船に乗っていた。海が好きでしかたがない人だった。戦争には年齢的に引っかからず、ゆかなかったが、戦後は、闇で儲けようと、仲間と一緒にりんごを都会に運んだりして、親父が言うには、りんごの木箱に札が入っていたというくらい儲かったようだ。だけど、戦後インフレで、金の価値はどんどんと変わる。ぐずぐすしていたら紙屑になる。少し安定してきたとき、漁船にも乗った。遠洋漁業は実入りがいい。サラリーマンなんかしていられないくらいで、三か月海に出たら、一年分は稼いだ。あるとき、岸壁で酔っていたのか、海に落ちて、死ぬところだったのが奇跡的に助かったという経験をしてから、急に海が怖くなり、岡に上がった。そのころ、うちの親父がケーキ屋を始めたので、もともと手先が器用で、何をやらせても手早く、もの覚えがいい叔父は、工場に入って、ケーキの職人になる。
 面白い人で、本人は真面目に話しているつもりだが、その話がおかしいと、みんな笑う。別に笑わせるつもりで話しているのではないが、多少、どもりながらの早口で、聴いたり見たりした話をそのまま伝えているのが、すっかりと漫才だった。叔父がいる場はいつも笑いが絶えない。みんな次は何を話すかと待っている。
 人気のある人であった。それでもケーキ屋は長くは勤まらなかった。どうしてか、工場を辞めると、また自分で今度はラーメン屋を始めた。いまの青森市の中央一丁目の旧線路通りに店を出した。何をやらせてもすぐにプロになれる才能のある人で、ラーメンはよく出前してもらって食べたが、美味しかった。結婚していて、息子一人娘二人があったが、うちの祖父がおさむさんを嫌って、家には遠慮してあまり来なかったこともあり、従弟妹たちとは、わたしもあまりつきあいがなかった。母方の親戚とつきあいがないというのは、祖父のせいだと思う。どうしてか、おふくろの妹と兄と弟といたが、その子供らとは顔も合わせず、名前も知らないという従兄たちがいっぱいいた。いまでもそうなのだ。おかしいことに、わたしの仲間たちが行きつけのスナックに、わたしの従妹という人が勤めていたと言われて、連れて行ってもらったが、そのときは、もう盛岡に嫁に行ったとかで、いなかったが、それこそ名前も顔も知らない。ママからはわたしのことを聴いていたと言われた。
 そのおさむ叔父の趣味は船を作ることだった。模型の船なのだが、鋼鉄製で、しかもその辺に落ちていたブリキや鉄くずを拾ってきては、加工して、長さ60cmくらいの客船や貨物船を器用に作るのだ。ドアもちゃんと開くし、船室も丸窓から見えた。救命ボートもあって、クレーンで吊り下げられた。あちこちが可動式で、子供のときはすごいと、わたしも模型は好きで作ったが、それはキットを買ってきて組み立てただけなのだが、叔父は何もないところから廃材を拾ってきて、本格的な重量感のある船を作るので感心して見ていた。幾艘も作って、うちの会社の事務室にも置いていたり、わが家の玄関にも一時飾ってあったが、あれはみんなどこに行ってしまったのだろうか。
 そのおさむさんが死んだとき、わたしとおふくろは葬式に参列した。納棺のときに、航海士時代の制服と制帽を棺に入れて、自分が乗った商船のモノクロの写真も一緒に入れてやった。きっと三途の川を船で渡るのだろう。寺の和尚が戒名をつけたが、慧海という名前が入っていた。わたしはピンと来た。河口慧海というチベット旅行記を書いた坊さんで探検家、その本もわたしは読んだが、いい戒名をつけてくれた。
 おばさんは元気でいまも暮らしている。年末になると、おふくろのところに見舞いに行くのだろうか。だけど、施設は面会はいまも10分以内と制限付きだから、顔を見て終わりだ。お歳暮も年賀状もすべて来なくなる。家がないし、長男のわたしが千葉にいて、親戚にも住所と電話番号を教えていない。親戚づきあいもなくなる。何か寂しい年の瀬だ。

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