コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

風の詩

青森の文学仲間の女史から電話をいただく。いきなりでも、のんびりとした口調で誰かすぐわかる。彼女もあちこち首を突っ込んで顔が広い。それで、ある方からわたしに頼みたいことがあるというのだ。そのある方というのが、わたしの中学の国語の先生であった長谷川太先生の息子さんという。いまごろ何かあったのかと、彼がわたしにコンタクトをとりたいと言っているらしいので、電話番号を教えていいかということなので、快諾した。すると、まもなく彼から電話がくる。内容としては、先生の死後何十年かして、仏壇を整理していたら、封筒に分けて入れてあった詩の原稿が出てきたということだ。どこかに出す予定であったものか、仕分けしてあった多くの詩が、見つかって、どうしよかとさらにそれから何十年は置いておいたが、息子さんが定年退職してから、何年か経って、父親の遺稿詩集を出してやろうと思いついた。それで、地元の新聞社にかけあったが、新聞社では、新聞に連載したものでなければ出版はしないと断られたという。先生が亡くなられたのは確か昭和48年のことだった。まだ45歳という若さで癌闘病一年で逝った。そのとき枕元にも詩の草稿があったが、遺族が『風の詩』という詩集にして青森の北の街社からハードカバーの詩集を出したのが、うちの古本屋にもよく入ってきて、北海道の姉が読みたいというので送ってやったことがある。うちの姉妹と四人が、中学で長谷川先生に習った。
 今回ずっと置いておいた詩の草稿をようやく第二詩集として出版しようとしたが、北の街でもよかったのに、看板を下ろしたと思い、弘前の某出版社に原稿を持ち込んだ。そうしたら、出版社の人が、わたしのブログを探してくれて、それも2009年に書いたものだが、わたしの恩師みたいな変わった先生たちのことを紹介した文を見つけて、息子さんに教えたのだそうだ。それに長谷川先生のことが書かれていて、その一文を来年出版する詩集のあとがきにでも載せていいかという相談の電話なのだ。どんどん使ってくださいと、わたしも嬉しく思った。先生のまだ目にしていない原稿があったこと、それが本になり、日の目を見ることが、楽しみでもあった。


 長谷川太先生は確かに風貌も変わった、芸術家でもあった。ベートーヴェンのような髪型をかき分ける仕草がいまも思い出す。国語の先生なのに、授業中にアコーディオンを持ってきて、島崎藤村の作詞になる『惜別の歌』や、与謝野鉄幹の作詞の『人を恋うる歌』など、現代の中学生は絶対に知らない、学校でも教えない歌をみんなで合唱させた。♪ 遠き別れにたえかねて ♪ 妻をめとらば才たけて と、戦前の一高生が歌うような歌だったが、それを中学二年生に教えたのだ。それだけでなく、武者小路実篤の『友情』や『愛と死』の本人が泣きながら朗読したレコードを聞かせてくれた。しんみりと聞いていた。そのレコードをまた聴きたいと、東京に出てきて、相方と都心の文学散歩をしていたとき、京王線の仙川駅からすぐの温泉に入りに行ったとき、そこから近くに武者小路実篤記念館があると知って、行ってみた。そこに本と一緒にレコードも置いてあった。訪問した方に何か描いてくれというコーナーがあったので、絵筆で南瓜を描いて、仲良きことはと讃も真似して書いたことがある。広い池のある住宅跡を保存公開していた。
 そのときも、長谷川先生のことを思い出してだった。後日、わたしは図書館で武者小路全集を借りてきて、再読してみた。若いときに感動した話も、年取ってからはあまりないというのは、感受性がなくなったからだろうか。


 その長谷川先生が国語の時間に、みんなに俳句を書かせ、詩を書かせた。わたしの書いたのが一席に選ばれて、黒板に大きく書いたので、恥ずかしかったが、才能があると言われて、のぼせ上って、以来、あれから55年も詩を書いてきた。先生のおかげで、人生の暇つぶしができた。中学生も誉めれば豚でないが、木に登る。わたしなんか、それからずっと大学ノートに詩を書いて、いまだに毎日書いている。先生は青森県の詩祭の第二回目の賞をいただいたが、わたしも40歳過ぎてその賞をもらった。地元の新聞に載り、盾もいただいた。それっきり鳴かず飛ばずでも、好きでいまも書いているから、別に言葉遊びという金のかからない趣味としてはよかったと思う。


 わたしの書いた詩の原稿はいまはすべて写真に撮ったり、スキャンしたりして、マイクロSDカードに保存したが、果たして、わたしが死んだ後は、うちの息子たちは、見もしないで、捨てるのだろうか。それとも、これは使えると、中身を消去して、自分たちのマンガの保存に使うとか。先生はいい息子さんをもった。いまは詩なんか売れないだろうし、読んでくれる人も関係者しかいないかもしれない。それでも先生の人柄を忍んで、教え子たちもいい年になり、いまも先生の未発表の詩に触れることを待ち望んでいるのがいるだろう。わたしもその中の一人として、早く見たいと思うのだ。


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