コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

離婚10周年

 結婚10周年は錫婚式というのだそうだ。何かあまりありがたくない名前だ。銀婚式とか金婚式なら判るが、錫とはな。うちの両親も祖父母も金婚式は過ぎていた。よくぞ50年も連れ添ったものだと、その我慢に拍手ではなく、お祝いをしようとする気持ちは判る。わたしのような根気のない者にとって、夫婦が50年も添い遂げること自体がどんな関係なのか、よく理解ができない。よく空気みたいなものだとか、いなくてはいけない存在だとか、そういう言い方は聴く。わたしと同じ年でご夫婦でおられるのは多い。それが普通なのだろう。青森の商店街で、友人が奥さんと仲良く買い物で歩いているところに出会うと、羨ましいと思う。糟糠の妻で共白髪、おまえ百までわしゃ九十九までと、いつまでもご夫婦で幸せに。
 うちの両親も祖父母も最後まで添い遂げた。共に骨を拾うまでとなれば、それまでいろいろと遭ったろうが、いいものだなと子供として孫として見ていた。
 最近、昔の日記やブログを読み返してみて、二番目の妻と別れたのが10年前だと気が付いた。もうそんなに経ったか。別に未練はない。いまは、どこで何をしているのか知りたいとも思わないが、憎んで別れたのではなかった。相手の浮気も見て見ぬふりをしてきて、やきもちも妬かなかった。愛は冷めたとか、そんなものではなく、仕事と子育て、介護が忙しく、そんな夫婦のいざこざなど考えている暇もない。気が付いたらいなくなっていた。わたしとしては、離婚して、相手と再婚したら、赤塚不二夫のように、仲人をかつて出たい気持ちもあった。それぐらい痛手でもなんでもなかった。いま、またどこかで会えば、普通に、どうしている? とお茶ぐらいは飲むだろう。
 別れた後も元妻の自動車保険がわたしの支払いになっていることで、保険屋がわたしの友人の奥さんであったが、向こうの口座から引き落としにしてほしいと頼んだ。奥さんが古本屋に来て、元妻がどこにいるのか知りたいですかと、聴いてきた。別にいいよと、聴かなかったが、そのとき、なんでも千葉県にいるらしい。連絡をとって保険のことで本人と話して、住所変更をしたらしい。いま、そのことを思い出して、同じ千葉県のどこかにいるのかと、青森にはいないで、浮気相手を追いかけて、こっちに来たのだなと推察した。それも続いているのか判らない。相手も子供が二人いる妻子ある男性で、大学の研究者であちこちの研究所に行って忙しい人だ。と、もう過ぎたことをふと思ったりするが、もうどうでもいいことだ。
 あのときは、古本屋という貧しい職業では、生活苦もあったし、稼ぎの悪いわたしの責任だった。それにしても、つきあった人と元奥さんもそうだが、いままで、10指に余る相手にふられ、逃げられ、最後はわたしは一人になった。そんな昔の恋愛や交際をこのブログで書いて、慰めているが、結果はすべて、みじめなもので、相手はみんな上を目指し、わたしはいつも置いておかれた。無様とは思わないが、それもこれもわたしが不甲斐なさからの自己責任だ。因果応報というべきか。


 10年前には連れ子の娘の離婚騒動と、同じ息子の離婚騒動が重なって、精神的にあいつはパニックになっていた。わたしはそれどころではなく、老父母の面倒を見て、浅虫温泉の家を売り、借金をすべて返して、古本屋の商売もよくはなかった。東京から後継ぎで息子が戻り、二人分の給与も売上から捻出しなければならず、一人でも大変なときに、放蕩息子まで面倒を見なければならなかった。思えば、あの10年前が一番気が狂いそうなときであった。一時にみんな来た。文学仲間の女史が市会議員に立候補するというので、引き受ける余裕もないときに、事務局長を引き受けて、毎日選挙事務所に四か月も夜中まで詰めることになる。翌年は、親父が亡くなり、直後に3.11の大震災があった。通販で古本を売っていたが、ひと月は売上ゼロで、発送もできない。本当に離婚どころではないときに、一気にいろんなことを処理した。それだから、離婚ということが、深刻に考えている暇もなく、毎日の仕事に追われ、資金繰りに追われ、真剣に向き合えなかったということもあった。そんな中でも、毎日本は読み、ブログは書いて、小説も書いたりと、趣味に逃げていた。元妻としては、あなたはそんな人なのよと、諦めもあったろう。
 夫婦の会話がないと、よく言われた。それを言われたら、わたしは、聴いてあげるよと、傍にぴったりとついて座る。すると、元妻は、「何よ、その手に持っている本は」と、本を読みながら、相手をしていることに怒るのだ。それは怒るだろうな。
 元妻は、あんなに愛し合っていたのにねと、ひと言いった。10数年の二人の生活は、愛だ恋だとか、そんな浮いた言葉を吐けないくらい多忙を極めた。40代というのが一番忙しい。子育てと介護と仕事と借金。一日何時間寝ていたのか。それでもつきあいはあって、週2で仲間からのお誘いで飲みに行った。飲めば、古本屋の本棚の隅に空気ベッドを敷いて寝たりした。あなただけ好き勝手に飲んでいいわねと言うから、家に帰ってからも夜中まで夫婦で飲んだが、翌朝は6時に起きて掃除と朝ご飯と子供らの弁当だ。
 めちゃくちゃな生活であったが、それでも楽しかった。生き甲斐はあった。すべて終わると、気が付いたら、老後。千葉にひとり暮らし。静かでいいのだが、あの波乱万丈もよかったなと、いまは思い返している。

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