コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

青地巡礼 3 京都洛北

 大阪から京都へ逃げる。京阪の快速で40分くらいで、祇園四条に着いた。19歳のときに、下賀茂のユースに泊まり、三日で京都の主だった寺は歩いた。その2年前には高校の修学旅行で来ている。19歳の12月に同じように来ていた。あのときは、文学散策が目的で、京都が舞台の名作を読んで、カラーブックスのやはり京都文学散歩という本を片手に歩いていた。大佛次郎の『帰郷』や、川端康成の『日も月も』など小説の場面を思い出しながら、歩いていた。その後にやはり冬の京都に来ていた。21歳のときだった。高野悦子が自殺してまもなく、彼女の日記がベストセラーになる。『二十歳の原点』を読んで、ジャズ喫茶のしぁんくれーるに入って、3時間もいた。3時間経つと、追加のオーダーを取りにくる。長居はできないのだ。そのように伝票に書いている。高野悦子は死ぬ前に、しぁんくれーるにいたことが日記に書かれていた。もう一度行ってみようかとネットで調べたら、平成に入って閉店したとある。建物も残っていないようだ。あのときは、倉橋由美子の『暗い旅』も読んでゆく。出がけに読んできた小説だった。
 大阪に就職してからは、ちょくちょく京都に来ていた。休みの日にぶらりと一人でも来たし、職場の仲間たちと一緒に何度も来ている。それをまた辿る旅もいい。
 鴨川に突然出る。四条の橋を渡り、木屋町に入る。そこに昭和初期からやられている喫茶店のフランソワがいまだある。独身のときに職場の仲間で京都に詳しいのが連れてきた。男三人と女二人。コーヒーを飲んだら、筋向いの珍竹林というおばんざいも出す小料理屋で飲んで食べた。あれは祇園祭の宵山の夜だった。男一人が余る。それぞれが対になり、わたし一人があぶれて、少し離れて歩いた。そのときのことを10枚小説の『宵山』に書いた。青森の地元の新聞で入選し一面に小説が載ったのは、わたしの30歳のときだった。どちらの店も看板があるが、朝はやっていないようで、パスすることにした。
 四条通りを東に歩けば八坂神社に円山公園。京都は地図を見なくても歩ける。碁盤の目のようだから、迷わない。知恩院から南禅寺に至る。そこも何度も来ている。仲間たちと湯豆腐コースを食べにきた。山門から入ると紅葉はそこも終わり。広い境内を少し歩いたら、インクラインがある。蹴上も見たが、昔は琵琶湖疎水の舟運ルートとしてスエズ運河みたいに使われていた。青蓮院の門跡の前に、蓮如上人生誕地と書かれている。歩かなければ判らない案内板も読んでゆく。その先が哲学の道で、19歳のわたしが歩いた。そっちに向かわないで、永観堂に入る。数日前にテレビで、永観堂の紅葉が素晴らしいと番組で放映していたのを見て、前に見たが、もう一度と、入ってみたら、結構な人がいた。残念ながら、紅葉もそろそろ終わりかけ。テレビ番組ほどでもなかった。
 そこから、いま大河ドラマでやっている明智光秀の首塚があるというので行ってみた。小さなお堂で、別のところから移して、そこに安置されたとある。普通の住宅の玄関前なので、案内板がなければ気がつかない。坂本龍馬が結婚式を挙げたというところも通る。京都は歩いて回らないと、小さな名所を見落とす。
 さて、そこからが今回の目的の大原三千院だ。どうやってゆくのかと、白川通りに出たので、そこのバス停でバスを待つ。北へ向かえば近くなるかと、適当なバスに飛び乗り、宝ヶ池で下車。その降りたバス停を見たら、一時間に二本よりないが、大原行のバスがある。三千院もこれで三度目だが、46年ぶりだ。12月の初めに来ていた。池に写る木立と水面に浮かぶ紅葉が、しんとした寒さの中で息を呑む美しさで、いままでこんな紅葉は見たことがなかった。そのことをずっと覚えていて、いつか12月の初冬の三千院に行ってみようと、思い続けてきたのがようやく実現した。あの日は、同じニチイのサービスコーナーにいたN子というひとつ年下の女性とデートに来ていた。好きとかそんな感情ではなく、なんとなく大人の女性というはんなりとした面立ちと声に惹かれて、その翌月に嫁に行くため退職するというので、その前に一度だけでいいからデートしてくれと、申し入れて京都に連れてきた。別に手を握るとか、嫁入り前の娘に手を出すということではなく、なんとなく誘ってみたかった。三千院の門前で湯豆腐をいただいた。あまり観光客もなく、すでに紅葉の過ぎた京都は閑散としていた。いまも同じで、コロナで特に寂しく、訪れる人は少ない。昼飯に茶店に入り、湯葉のとろとろ丼というのをいただく。売店で昆布茶を試飲させていた女性と話す。ここに来た理由を言うと、その方と一緒になればよろしかったのにと言うから、おれみたいなのと一緒になったら不幸になるわと、くだけた会話をした。
 三千院から大原の郷を歩いて寂光院まで行く。セットになってみんな訪れる。古い家は合掌造りのような屋根をしているが、茅葺ではなく、瓦なのだ。コスモス畑が目に眩しい。
 そこまで来ても、まだ午後2時で、どれ、どこに行こうかと、バス停で時刻表を見たら、市街に戻るバスだけでなく、貴船口まで行くバスが後少しで来る。そこから鞍馬寺へと行ってみようか。予定にはないが、時間潰しに行ったことのない、前から一度訪問してみたいと、機会を窺っていた寺がひとつだけあった。それが鞍馬寺だ。25分で貴船口、バスは乗り換えて鞍馬へ。ケーブルカーで500mもないが、鞍馬山へと登る。4時過ぎで暗くなるから、ケーブルカーも終わりとある。上まで行ったら、寺の建物は新しい。火事で焼けて、近年再建されたと書かれていた。奥の院まではとても歩く時間もなかった。天狗と牛若丸。土産に牛若餅もあったが、食べている時間もない。先日小沢昭一の本を読んだら、江戸時代に願人坊主という乞食僧が横行していたとある。大道芸人のはしりで、われは鞍馬で修行してと、本当かどうか、そういう口上を述べたという。そのことを思い出して、そうか、ここかと、たまたま読んだ本の場所に来ている奇縁を思う。
 バスで市街へと戻る。地下鉄駅が終点で、そこからは地下鉄。今夜のホテルは二条城の近くだった。烏丸御池で降りたら、グーグルマップにイノダコーヒーが載っていた。一度本店でコーヒーを飲みたかった。青森ペンクラブの会長をされた三上先生が、いつもわたしにイノダコーヒーはいいと、京都に行ったら寄るのだという話をされて、そこのドリップコーヒーをいただいた。支店もあるが、本店の雰囲気と器がいいと絶賛するので、暗くなった街中を歩いてイノダの看板を見つけた。6時で終わりですと、入口で告げられる。どこもここもコロナで店仕舞いも早い。店内は思ったより広い。旧館にしてもらう。コーヒーとくるみの自家製タルトを頼んだ。雰囲気は悪くないが、テーブルクロスがいまいち。どうしてチェック柄の安易なものにしたのだろうと、細かい部分までチェックする。ケーキとコーヒーは美味しかった。
 ホテルにチェックイン。そこも客が少ない。ウエルカムドリンクでコーヒーは自由にと、カレーライスまで勧める。せっかくだから晩飯にいただく。近くの三条の商店街で下着も買いたい。ボロを着てきてどんどん捨ててきたら、靴下も足りなくなる。商店街は悲惨だった。半分近くが閉めている。売り店舗の札も貼って、厳しい現実を見せつけられる。大阪も大変だが、京都もだ。いや、この半年で、松山にも行ったし、伊豆や南房総、鬼怒川温泉などにも行って、如何にコロナで観光地が疲弊しているか、まざまざと見せつけられて、これはなんとかしないと、日本は大変なことになると、わがことのように焦らせられた。


×

非ログインユーザーとして返信する