コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

腎臓が悪いから再検査だって

 会社の健康診断で引っかかる。要再検査と結果が来る。血液検査の数値だけ見ても、なんのことか判らないが、二つの項目が、どうやら腎臓が悪いらしい。いままでそんなことを言われたことはなかった。そのまま放置している人も多いが、うちの学校では、逃がさない。ちゃんと本人宛に会社から手紙が来て、再検査に行って、医師からその後の経過報告を書いて提出してくださいと、病院に書いてもらう書類まで自宅に来た。それも無視して、自分の体なのだが、知らんふりして、病院で再検査をしないと、手遅れということになる。
 わたしの場合は、主治医というべき、九段の病院の内科の先生から、健康診断のことを聴いて、結果を次回持ってきてくださいと言われていたので、素直に持参した。手紙も一緒に持ってゆく。血液検査と尿検査を先に行う。二か月に一度の検診だ。
 先生は、検査結果で、わたしに「疲れているね」と、聴いた。「何か過激な運動をしたか」とも。確かに、ここ数日はすごく疲れていた。フィットネスクラブに先週から通い始めたことを話した。それ以外にと聴くので、学校の清掃がきついのでと、それで一昨日はへとへとになったことを話した。いまは、キャンパスはどこも落ち葉がすごい。12月までは、木々の落ち葉掃きで大変なのだ。ゴミ袋いっぱいになり、それがいくつもぱんぱんになる。箒という原始的な道具をなんとかしろと、わたしはいつも腹が立っていた。木の葉一枚が地面にへばりついて剥がれないのを、何度も掃く。その無駄な労力ったらない。たかが、葉っぱ一枚ごときに大の大人が愚弄されている。ヘアドライヤーの大きなので、吹き付けて寄せるのもあるが、それも何か意味がなさそうだ。やはり、大きな掃除機で、吸い取るのがいい。風も強かったので、掃いても掃いても、吹き飛ばされて、塵取りから舞い上がる。この野郎と、葉っぱと格闘してストレスも溜まる。もっと科学的にできないのかと、江戸時代以前からの箒で掃くという進歩のないやり方に批判的なのだ。それがいい運動にはなるが、運動を通り越して、疲労になる。
 先生が指摘したのは、血液検査の数値で、血清CKというクレアチンキナーゼという筋肉や心筋に多く含まれる酵素が高いと、極度の運動をしたということになる。基準値が300以下なのに、わたしはのはそのときは3500もあった。異常なのだ。ジムに行って運動するぐらいではなく高くなっていて、先生は何かあったなと聴いたのだ。心筋梗塞にも気をつけないとと言われた。確かに仕事で頑張りすぎると、息切れもするし、年だから動脈硬化もしている。いつバタリと倒れるか。
 そのことで、職場のの同僚たちと話していて、学校で一人夜いるが、倒れても判らないよなと。実際、警備員でも高齢者が多いが、わたしが前にいた会社の横浜のほうの事業所で、仮眠室のベッドで警備員が病死していたという事案もあった。人は生身だから、いつどうなるか判らない。昼間の先生たちがいる時間帯では、倒れても誰かが見つけて救急車を呼ぶだろうし、保健室の先生もいるから、AEDをすぐに持ってきて応急措置をしてくれる。みんな帰った夜中が怖い。
 医師は、ヘモグロビンA1cは下がったので、ちゃんとやっていると安心していた。体重も3キロ減った。糖尿病確定になるといけないので、その数値を見ているのだ。わたしに運動しろと言っているから、ジムにも通っているかと、医者の言うことを聴く素直な患者なのだ。


 いま、テレビの特番でもやっているが、シニアが働いている職種が増えていて、高齢者の職場の健康管理が問題になっている。無理はさせられない。突然死ぬようなじじいばかりを雇用していると、事故物件ならぬ事故会社になる。仮眠室で死後三日して発見されたとなると、みんな気持ち悪い。孤独死もアパートも困るが、会社の宿直室で死なれても困る。それで、そういう仕事に就く人は年に二回の健康診断をしなければならない義務があり、わたしは去年は転職もあったが、年に四回も健康診断をさせられた。その費用は会社持ちだから、こっちもいつも見守られているようで悪くはない。
 腎臓は結局、医師の所見では一時的な運動の疲労によるものと診断された。今回の検査では腎臓に異常は見られず、二か月に一度の検査でも異常は見られなかった。たまたま、そのときの体調もある。
 それでも心筋梗塞は困る。逝くなら、強くいって、安楽死させてくれ。知り合いは軽くいって、それから何年かしてから亡くなったが、軽くはよくない。どっと一気にやってくれ。そのほうが、本人も家族も助かるのだ。癌よりは心臓や脳溢血でも強くいったら楽だろうなと、最近は病死の仕方にも注文をつけるようになった。

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