コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

世田谷に紅葉スポットを探して

 仕事明けにまたふらふらとどこへ行こうかと、徘徊老人になり、都内散策。都心の紅葉スポットとスマホで調べてみたら、いろいろとあるが、行ったところばかり。それでは近場で行っていないところはと、見たら、世田谷の等々力渓谷と九品仏が出てきた。そこは一度行ってみたかった。職場の学校の正門を出ると、青山通りを渋谷まで歩く。ヒカリエまで7分で着く。前に相方と歩いて、近いと思ったが、方向が帰りとは逆なので、渋谷も半年以上行っていない。そこから東横線で自由が丘まで。東急線に乗るのも久しぶりだったし、自由が丘も久しぶり。そこから大井町線に乗り換えて、次が九品仏だ。前に相方と買い物がてら目黒で暮らしていたときは、自転車で、この駅までは来ていた。なのに、九品仏の寺には寄っていなかった。大きな寺で本堂がどれなのか、同じように大きなお堂がいくつもある。残念ながら紅葉はまだ早い。ここ数日は気温も25度とか高かったし、今年は温かいせいか、全然だ。小学生たちが野外授業で来ていたり、歴史散策の年寄りたちがガイドについて勉強会と来ている。いい寺だ。丸太を半分にした長いベンチで休みながら、境内の落ち着く風景に瞑想していた。
 駅前の小さなスーパーに寄って、パンとコーヒーを買う。それが次に行く渓谷でお昼の弁当になる。また電車に乗って、いくつかの駅で降りる。等々力というと、わたしが50年前に通った短大のあった住所で、2年間、昼夜と二重学籍で二つの大学に通っていたとき、自由が丘駅で降りて、通学していた。等々力渓谷も知らず、来たこともない。それほど、若いときは、神社仏閣にも自然にも興味がなかったのか。四年間も東京で暮らして、学校との往復だけで、どこも知らなかった。いまのわたしのほうが、はるかに東京を歩いている。行動範囲が狭いのは残念なことをした。もっといろいろと歩いて見て、知ることも必要だった。
 駅近くにまた新鮮市場のスーパーがあって、ふらりと入る。どうもスーパー荒らしが趣味になった。柿が六個で300円は安い。昔は柿は安かったのに、随分と高くなった。
 人に聞いて、等々力渓谷の入口を見つけ、そこから階段を降りたら、もう別世界だ。都会の底に突如、自然のままの渓谷が現れる。それは意外だった。多くの人たちが平日なのに散歩に来ている。紅葉はそこもまだ早かった。がっかりだった。ケヤキの葉だかけが、吹雪のように舞っている。渓流は流れていない。よくよく見たら、少しは流れているのか、落ち葉で水面がコラージュされて絵になっているので分からない。
 昼でも鬱蒼としていて、森の中という感じで真夏は涼しいだろう。遊歩道脇の両岸の大きな石に座って、昼飯を食べていた。吟行ではないが、どこでも行った先で、詩を考える。わたしの暇つぶしのひとつだ。ここで一句ではなく、一詩なのだ。
 橋の上を見上げたら、環八が通っていて、車が走っているのが見えなかったら、ここは山深い渓谷と思うだろう。神社があったり、横穴という古代人の墓があったりと、見所はいっぱいある。古墳もあって、公園になっていると行ってみたら、工事中で入れない。完成が三年先とある。それも残念。わたしは古いものが好きで、古墳と聞くと興奮する。


 どうも疲れていた。それはそうだろう。仕事帰りで寝不足。その続きで散策しているのだから。休憩しながらゆっくりと帰ろう。東急電車でなければポイントをチャージに回せない。目黒で暮らしていたときに作った東急カードもだいぶポイントが貯まっている。PASMOとしてクレジットカードを使うたびにポイントが貯まる。駅でそれを電車で使えるようにチャージしたら7000ポイントもあった。電車で渋谷に戻る。いま、渋谷はがんがんと新しく改造している。それで迷う。他の通行人たちも、いまの渋谷は判らないわと、話していた。疲れたので、見つけたマックで休憩。そこでもポイントで冷たいものを頼む。ポイントさまさまだ。
 宮下公園が新しく生まれ変わったとテレビでやっていたので、見てみたかった。かつての宮下公園は、失業者たちが座って、ボランティアの人たちが給食をふるまったりしていた。いまは、下がショッピングタウンになって、テラス席もあり、屋上が宮下公園になった。モダンなデザインで、自由空間。みんな休んでいる。都会にはこうした空間が必要だ。その一階は日本全国の暖簾を下げた居酒屋が並び、屋台村のように外に椅子席が並ぶ様は、アジア各地の夜市のようだ。そこで昼飯を喰えばよかったと悔やまれる。夜は呑兵衛たちですごいだろうな。
 東京は猫の目のように変わる。しばらく来ていないと、どこがどこか判らなくなる。さて、そこから地下鉄乗り継いで千葉まで帰ろうか。疲れはピークに達していた。


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