コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

若年性痴ほう症で亡くなった従弟

 相方の脳内検査はどうなったか心配だ。そのことで、死んだ従弟のことを思い出した。末の叔父の次男だった。東京で学生生活を送り、コンピュータの会社に就職した。わたしとは小さいときによく遊んだが、年は5歳離れているので、そんなに仲良く遊んだ記憶はない。どちらかというと、彼の兄とは3歳違いなので、親しかった。彼が学生時代は、わたしは東京にはいなかった。大阪に就職して、青森に帰ってきてからは、親の事業を手伝っていた。そんなときに、学生の彼は、帰省すると、うちの会社に顔を出した。わたしを訪ねてきたのは、相談があるからだ。何かと相談に乗ったのは、兄がいるが、兄弟というのは相談相手にはならないで、わたしのような離れた従兄のほうが気軽に話せたようだ。
 久しぶりに見た彼は、二十歳過ぎで、従兄弟の中では一番美男子であつたかもしれない。俳優の松田優作の若いときとそっくりだった。もう少し甘いマスクをしていたろうか。彼が本社に来て、わたしを訪ねてきたとき、女子事務員たちは浮足立っていたのが判る。お茶を運んできたが、手が震えているのだ。それほど、いい男になっていた。彼は就職のことで相談してきた。高校生のときは、ヴァイオリンを習いたいと、親に反対された。音楽の道に男が歩むのを反対されたのだ。彼女がやっているからと、自分もと動機が悪かった。わたしも社会人としてはまだ若いほうであったが、いろんな仕事をしてきていた。アドバイスくらいはできる。現実的な話をしたように思う。
 彼が帰ったら、女子社員たちが集まってきて、あの人は誰かと目がハートになって聴くのだ。同族会社であったので、叔父は部長をしていたが、部長の息子だというと、大騒ぎになる。
 そんないい男が、東京の会社に就職して何年もしないうちに、帰されてきた。親が迎えに行ったのは、どうも様子がおかしいということで、仕事ができないのと、危険を感じたから、会社の上司が連絡をしてきた。どうおかしいのか、ただめそめそと泣いたり、情緒不安定になっていて、精神的におかしいというのだ。彼に何が起こったのか。ともかく、叔父はまだ25歳の彼を東京から青森の実家に連れてきたが、病院に連れて行って、調べてもらっても、原因と病名が判らない。明らかに言動がおかしいのは、見ていて誰の目にも明らかだった。成人男性のような振る舞いができないのだ。まるで、幼児のように退行現象が起きていた。語彙も少なくなり、泣いたり怒ったり、まるで赤ん坊のようになる。一人で家に置いておけないので、叔父と叔母は、そのころは独立してケーキ屋を青森市内でやっていたが、その店に一日座らせておくことにした。ただ座らせておくのもおかしいだろうと、ケーキ屋だから、白衣を着せていたが、手伝いもできずに、ぼんやりと変わっているだけだった。わたしが様子を見に行ったときは、おばさんと話していたら、じっと睨んで怒っているのだ。おばさんは、わたしの名前を教えて、忘れたの?と言っていたが、まるで、母親を取られた赤子のように、わたしに敵意をむき出しにしていた。両親も疲れた。一体、どうなってしまったのか、医者が匙を投げたから、原因不明というのが不安でたまらない。
 そのうち、どんどんと赤ん坊になってきて、立つことも歩くこともできずに、自分のことができなくなる。脳のレントゲン写真を撮ると、全体が小さく委縮している。奇病だった。それがとうとう寝たきりになってしまうと、意識もなくなり、植物人間になってしまった。胃瘻で管から栄養を与え、精神病院に何年も入院することになった。その間、おばさんは、家事も仕事もできないで、息子につきっきりで看護していた。わたしは何度か見舞いに行ったが、意識はなく、鼾だけかいて眠っていた。髭も生えるので、おばさんが髭を剃ってやったり、褥瘡ができないように、いつも体を動かしてやっていた。それは大変な苦労だったろう。
 病名がようやくついた。若年性痴ほう症という。それで一級の身障者扱いになり、ようやく医療費が免除になり、家計も助かることになる。叔父夫婦もその五年間は生活も大変であった。
 発病して五年が経過していた。亡くなったと聞いたとき、わたしは、ずっと植物人間のままではないのだと知った。脳の病気だから、体がいうことをきかなくなり、生きているが、助かることはないのだ。葬式に参列したが、寂しいものがあった。両親とも諦めの気持ちはあったにせよ、何が原因でこんな病気になったのか、現代医学で解明できないのが悔しいという気持ちであったろう。特効薬もなし、次第に弱って死に向かうという難病に罹るというのは、家族にとっての負担は底知れない。
 前にこのブログでも書いた、わたしのまた従兄は、ALSで亡くなったが、親戚に二人も難病がいるというのは、確率からして高いかもしれない。そういう遺伝子がわたしにもあるかもしれないという恐怖感にも囚われる。
 周囲を見ても、そういう現代医学では治せない不治の病で亡くなった知人友人の奥様もいた。判らない、治療法がない、手術したり投薬で治せるものなら治したいが、世の中には、判らない病気というのがまだある。人間の体の不思議を同時に思うのだ。相方のはそれでなければいいと思っている。だんだんと退行していって、最後は受精卵にまで還って死ぬ、逆回しの人生なんか見たくはない。

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