コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

子供のころの感染症

 わたしの子供のころは、伝染病は随分と普通に周囲にあって、マスクもしないで、手洗いなんかもした記憶がなかった。現代のほうが、その意味では神経質で、コロナでも完璧な対応をしている。
 わたしの子供のときだから、60年くらい前には、結核もその辺にいくらでもあった。予防注射は、学校に上がるときに、疱瘡の種痘の予防接種をされた。その跡が腕にずっとついていた。天然痘も撲滅されて、その必要性がなくなる。学校ではツベルクリンもやった。毎年、春に全校生徒が、体育館に並んで注射された。その反応が、赤く出るのだが、直径1センチ以上になると、結核になる怖れがあるのか、BCGという痛い注射を肩にうつ。それが嫌で、いつも赤くなるのを広がるなと心配そうにみんなして見ていた。
 結核も少なくなった。昔の家では一人くらいは罹っても隔離しなかったので、家族が次々と結核に感染する。わたしの友人がそうだった。それも現代でのことで、奥さんと子供と次々に罹った。結核は一時、少なくなり、また形を変えて、広がった時期があった。いまも怖い病気には違いないが、薬があるからいい。戦前には、うちの叔父たちが罹り、それで亡くなったのが二人いた。子供のころに死んだので、叔父とは言っても、過去帳に載ってるだけだ。割合とポピュラーな病気で、文学でもそれがテーマになる小説はたくさんある。堀辰雄の軽井沢のサナトリウムが出てくる小説もそうだが、全国の結核療養所は、いまならリゾートで、保養にはいい観光地にあった。
 腸チフスとパラチフスも腸パラと言って、わたしの子供のころはよく予防注射をした。サルモネラ菌による下痢などの症状が起こる感染症で、いまは日本には例を見ないが、発展途上国にはある。昔、といっても戦後の日本はまだ不潔で、不衛生であったのだろう、そういう病気も結構蔓延していた。
 汚いといえば、姉がようやく学校に上がったとき、わたしはまだ幼稚園であったが、シラミが髪にたかっていた。覚えているのは、祖母が新聞紙を敷いて、そこに姉が頭をつけて、紙の丸いケースに入った白い粉をパコパコとかけていた。あれはDDTであったものか。噴霧器で消毒していた液体のDDTは知っているが、それもその後使用禁止になって久しいが、当時は体に悪いものでもいまだ証明されずに人体に使っていた。白い粉を髪にかけると、ぱらぱらと小さな虫が落ちてくる。新聞紙がいっぱいになるほどシラミが出てきたのを小さいながら驚いて見ていた。どこかで移されてくるのだ。犬とか猫なんかも持っていた。じゃれあって、移されてくる。最近になってもシラミの話を聴くので驚いたが、うちの孫娘が保育園で移されたという話を聴いたとき、まさかもこの現代でかと、信じなかった。全国的にあるらしい。どこからシラミが出てきているのか。
 毛ジラミというと、聴いただけで痒くなるが、うちのおふくろがそれにかかった。産婦人科に行ったら、医者から、旦那さんに、変なところで遊ばないようにと言ってくれといわれ、戦前戦後だから、赤線もあったし、そういう娼館に親父が通って毛ジラミを移されてきて、それがおふくろにもうつる。そんな卑猥な話も息子にするから、そのほうが驚くが、うちの姉妹は、そんな話は聞きたくないと拒絶する。そうかそうかとわたしも大人になっておふくろから聴いた話だ。
 シラミも蚤も蚊もそうだが、病原菌を媒介する。それで不潔にしないよう、手洗い慣行と、学校でもようやくうるさく指導するようになる。
 小児麻痺のポリオが流行ったときも、わたしの世代だ。その映画も学校で連れて行って見せたが、後遺症もひどく、歩けない子供らが、そのまま大人になり、現在も苦しんでいる人たちが大勢いる。当時の親たちは戦々恐々としていたことだろう。その後、いい薬ができてワクチンをさせられた。あれは注射ではなく、甘いどろりとした飲み薬のようであったな。


 眼病というのも、インドやアフリカの奥地といった、医療の手の届かない貧しい土地にはいまも多く、それで目が潰れたり失明したりと、医者と薬のない、衛生状態の悪いところではそれに人々が苦しんでいる。子供のときの日本もそうだった。小学校の保健室には、大きな写真や図解が飾ってあり、トラコーマとかトラホームとか、そういう眼病の不気味なぶつぶつの症状がいまも判然と焼き付いている。眼科検査も児童たちは集団でやられていた。それが嫌なのは、目をくるりとひっくり返して裏を見ることだった。すぐ終わるのと痛いことはないのだが、気持ちが悪い。クラスでそれができる子がいた。目をひっくり返して、うふふふふと、不気味に笑って見せる。汚い手で目をこする。結膜炎もそうだが、家族で同じタオルを使って移される。わたしは、別に不潔にはしていないが、古本屋時代に、古本を触った手で目をぬぐったりしてよく結膜炎になり、眼科に行った。年に一度はそれにかかった。


 わたしと仲のよかった友達は貧しい家の子だったが、家が近所なのでよく遊びに行った。その子がなんという伝染病か、感染したというので、学級閉鎖になり、学校には保健所の人たちが消毒に入った。わたしがよく仲良く遊んでいたというので、後で担任の先生に呼ばれた。だけど、うちが菓子屋なので、商売にも差しさわりがあれば困ると、子供心に心配して、遊ばなかったと嘘を言った。
 はしかもやったかどうか疑わしい。親が知っているはずなのだが、全国的に流行したとき、マスコミで大人も怖いと、やったかやらなかったかでは免疫があるかどうかと大騒ぎしたとき、おふくろの記憶も怪しく、わたしがやったかどうか分からないというのも、商売が忙しく、子供のことは祖父母任せであったからだ。
 コロナという新しいウイルスにこんなに悩ませられたこともない。戦後の70年くらいの歴史でも、こんなに感染症があったなと思い返すが、コロナほどではなかった。人類は病気と共に成長してきた。これが人々の生活と健康にプラスになり、新しい治療と医療設備などの開発で、進歩に結びついたらと思うのだ。

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