コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

シチューにカツを求める

 食欲がないとは言っていられない。栄養が足りなくなるし、カロリーも必要だ。体重は少しずつ減ってきてはいるが、働いてもいるから体力もいる。何かふらふらと具合が悪い。体のどこかが、いかれてきたような。コロナの時代にそれでは病気にも負ける。精神的に弱っているのが免疫力を低下させるのだ。このままでは本当に倒れて孤独死でもおかしくない年齢だ。いかんいかん、と、死中に活を求めるために、スーパーに買い物に行くと、豚バラを買ってきて、じゃがいもも買う。冷蔵庫にニンジンと玉ねぎは買い置きがあるから、寒くなってきたので、久しぶりにシチューを作ろう。それと、年取っても肉食でなければいけない。揚げ物禁止と、大好きなトンカツとコロッケは我慢してきたが、豚ロースも買ってきた。高校の大先輩である三浦雄一郎氏も、80歳をとうに過ぎても肉は食べないといけないと、ガツガツと食べている。そんな老人みたいに、ふにゃふにゃではいけない。サラダばかり食べているからこうなる。野菜中心の食事もいいが、馬力がつかない。肉だ、肉だ、トンカツだ。とばかり、この日の晩飯はクリームシチューにトンカツだ。
 このギャグは前にもどこかで書いたような気がするが、まあいいか。
 前から、食欲のないときの献立を考えて、そういう弱っている人にはスープがいいと、いのちのスープを実践している女性の書いた本を読んだことがある。スープは体を温める。手っ取り早く栄養がとれる。具だくさんのスープは中身が勝負だ。冷蔵庫の中で出番のないふて腐った野菜や、冷凍庫で余っているハムやソーセージ、挽肉などの整理処分になる。ごちゃごちゃと、いろいろと入れてスープにすると、それはそれで、食材の無駄をなくするし、冷蔵庫の中がすっきりとするのだ。
 前に、青森にいたときは、両親の介護もしていたが、よく、老父母のために野菜や肉のごちゃ混ぜスープを食べさせた。具材は細かくカットするので、喉に詰まることもない。歯の悪い老人たちには、柔らかく煮た栄養満点のスープがいい。味付けはブイヨンと塩コショウでもいいが、いまちょっとハーブに凝っていて、オールスパイスや、クレージーソルトなど買ってきて味見している。ブロッコリーも栄養があってヘタレ寸前が大きな袋で百円で売っていたので、そのまま湯がいてマヨネーズで食べてもいいが、スープに入れて食す。
 ここのところは自分でいのちのスープだと、あるものだけで作って朝晩食べていた。それなら食欲がなくても腹には入るし、野菜だけでなく、豆やトマトなどでさらに栄養を摂るようにしている。トマトも高いから、缶詰のホールなら百円以下で売っているので、それを使う。
 今回は寒くなってきたので、いよいよ鍋やシチューの季節だ。それだけでもいいのだが、いろいろと工夫はしてみたい。ビーフシチュー、カレーシチューと市販のルーを使うと失敗はないが、面白くないと、昔、パン屋で働いていたときに、デミグラスソースやベシャメールソースを牛乳と生クリームに玉ねぎ刻んで入れて、赤鍋で焦がさないように時間をかけて作ったことを思い出した。いまのようになんでも原料を売っているときではなかったので、一からみんな作っていた。銅の鍋は焦げやすい。大量のソースを焦がして捨てて怒られたこともあった。パン屋だけど、本格的なドンクの工場だから、いい勉強にはなった。


 老後に、そういう若いときに工場や厨房に入ったことが役に立つとは思わなかった。ただ、一人分が問題だ。シチューにしてもカツにしても、たった一枚、一人分なら作る量が少なすぎる。二日分作って、冷凍しておいたりしたが、先日、相方が遊びに来たので、みんな持たせてやった。冷蔵庫も冷凍庫もがらがらになって、整理ができた。
 シチューとカツで久しぶりに食べたという感じがした。それが力になればいい。食欲がないと言っているからますます弱るのだ。自分に喝も入れる。気合だ気合だと、一人、気を吐いて食べている。

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