コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

ハンモックの懐郷

 先日、久しぶりにスーパー銭湯のテラスでハンモックに揺られた。わたしはハンモックに特別な感情を持っている。何か郷愁を感ずるのだ。
 古本屋時代に、本と一緒に宅買いに行ったとき、めぼしい家財で売り物になるものも買ってきたが、その中にハンモックがあった。古本倉庫にハンモックを張って、昼寝でもしようかと、持ち帰ったが、それを見つけたお客が欲しいというので、使わないうちに売ってしまった。
 海外でも、ハンモックでよく寝た。シンガポールのセントーサ島で、タイのサムイ島で、ビーチサイドの椰子の木に張られたハンモックでゆっくりとした。眠っている自分は幼少のころに引き戻される感覚にいた。
 ハンモックのことは、おふくろから聴いた。わたしが赤ん坊のときに、親父がハンモックを作り、店の奥に吊って、商売をしながら、子供に手がかからないようにわたしを寝せていたというのだ。津軽ではエンツコという赤ん坊を入れておく藁を編んだ丸い保育器があった。そこに赤ん坊を寒くないように着ぐるみして入れておくのだ。農作業の外でも、傍に置いておいたら安心だ。南部ではエジコと言う。東北一帯で見られるようだ。揺籃もそれに似たものだが、わたしの場合は、最初はりんごの木箱をエンツコ代わりにして、それに入れられていたという。それが、おとなしく入っているわたしではなく、むずがってすぐ泣くので、揺籃の代わりに親父がハンモックを作って、それにわたしを入れて、あやしていたという。おふくろが言うには、親父は本を読みながら、わたしのハンモックを足で揺らしていたというから、本好きの親父もわたしと同じだったなと、おふくろから聞いて笑う。
 幼児の記憶はまるでないが、ハンモックに揺られる感覚がどこかに残っていて、懐かしく思うのだ。
 どうして、赤ん坊は揺らすと安心するのだろうか。わたしは孫たちが赤ん坊のときは、あやすのがうまいと、嫁たちに誉められた。おじいちゃんに抱かれると、すやすやと泣き止んで、どの孫も眠ってしまう。嫁たちが、いくらあやしても泣きやまないものが、ぴたりとやむので、上手と言われた。体が大きいから、赤ん坊もすっぽりと入るからか。小さい孫たちは、わたしのことをトトロと言ったり、熊さんと言ったりしていた。いまは熊に抱かれると、恐怖しかないが、トトロと言われて、そうか、じじはトロロが好きだからなと、トトロとトロロの区別がつかない。
 泣いている姪の子も抱いてやり、左右に揺らすと、ぴたりと泣き止んですやすやと寝る。だけど、そっとベッドに寝かせると、起きてまた泣く。困った。ずっと子守をしなければいけなくなった。こっちは忙しいのに。そういうときもあった。
 最近はしばらく赤ん坊を抱くという機会はなくなった。孫たちは大きくなり、上は大学生だし、下はまだ1歳少しのがいるが、三男とは疎遠になって久しく、生まれた孫の顔も見たいが見れない。一時は連れ子二人も結婚して子供が三人になるところだったから、あのまま連れ子たちと別れなければ、孫は9人になっていた。じじは忙しいに違いない。息子たちは、孫のお守りに祖父母をあてにする。わたしは嫌いではないから、きっと、背中におんぶして、駅まで行くと、電車に乗せて、ひと駅走り、また戻ってくるという、わたしが祖父にされたことを毎日するのだろう。その子はその電車に乗ったことを覚えていて、やがて、大きくなって旅好きになる。普通の家族はもそういう三世代で暮らして、じじと孫という関係が意外とうまくゆく。親たちから逃れる避難場所が祖父母なのだ。それが、いまはわたしにはないのが寂しい。しばらく顔も見ていない。みんな大きくなったろうなと、想像するだけだ。

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