コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

吉行淳之介の『原色の街』へ

 勤務明けは毎度、寄り道してゆく。街ぶらという小さな旅をする。この日はどこに行こうかと、いつもスマホでグーグルマップを開いて、都内の地図を眺める。通勤で使っている地下鉄や電車の途中下車か沿線で考える。すると、曳舟が浮かんだ。去年の3月まで隅田のオフィスビルとタワーマンションの警備をしていたとき、曳舟から会社までシャトルバスが出ていて、それで通勤していた。そこからすぐに鳩の街というのがある。吉行淳之介の初期の小説『原色の街』の舞台となった、赤線の街なのだが、むろん、いまはそういういかがわしいものはひとつもない。昔の話なのだ。西岸良平のマンガ『三丁目の夕日』の舞台にもなった、隅田川の左岸、東向島界隈は、戦時の空襲でぺろりと焼けてしまったが、古い家はなくても、下町として戦後建てられたままの木造の古い建物ばかりが軒を連ねる。都会の開発の手がいまだに入っていない珍しい街区なのだ。少し北に行くと、東武線の東向島の駅があるが、シャトルバスのない日曜出勤のときは、わたしはそこの駅まで行って、仕事場まで歩いた。その駅は以前は玉ノ井駅と言った。それも娼婦の街というイメージが悪いというので、駅名をいまの東向島に変えたのだ。永井荷風の『墨東綺譚』の舞台となったところだ。そこはよく歩いたが、いまは静かな商店街が続いて、昔の吉原のような娼館は残っていない。
 曳舟病院も懐かしい。曳舟駅に隣接している大きな新しい病院だ。二年前に、そこで右足を診察してもらって、股関節がすり減っていたことを告げられた。病気でもなんでも大きな病院に診てもらうに限る。知らないで神経痛とばかり自己判断で信じていた。整形外科でレントゲンを撮ってもらうと、よく我慢したねと、このままではもうじき歩けなくなるよと医者に言われた。それで手術をそこで勧められたのだ。
 曳舟駅の西口から街に出る。住宅街で、とりわけて何もないが、鳩の街という細い路地のような商店街みたいな通りに迷い込む。やっている店は半分もない。とうに閉めたような廃墟の店ばかりだ。建物の横に人が通れる小路があり、それが生活感があっていい。洗濯物が干してある。家々も懐かしいわたしの子供のときにあった二階建て。庭も玄関に少しあり、蔦が絡まり、花木が鬱蒼としている。どこかしこ絵になりスマホで写真を撮りまくる。わたしは、そういう都心にあって見捨てられたような暗い町が好きなのだ。いまは下町ブームで、わたしが暮らした小石川近辺も、谷中・千駄木辺りも、マップを手にした下町探検隊のご一行様がぞろぞろと歩いている。やはり、小路や路地が面白い。そこに思わぬ古民家カフェがあったり、スイーツの小さな店があったりするが、ここ鳩の街はそういう町おこしはしていないで、長くそのまま眠っていたようだ。
 吉行淳之介は、そこに赤線があったとき、利用したことはないという。隅田川を渡れば、吉原も近い。その並びに山谷がある。いわば、一帯が昔から貧しく体を売る女の街であったのだ。その暗く悪いイメージを払拭しようとはしない。そのまま都会の片隅に捨てられたままなのだ。何か惜しい。そういう歴史も含めて、何かできそうだが、山谷の商店街も全滅で、入口に建っているあしたのジョーの銅像も泣いている。
 わたしは、吉行淳之介の小説はいろいろと読んだが、初期の娼婦ものが好きだ。作家も初期の作品に感ずるものがある。そういえば、宮城まり子も亡くなった。吉行は生前、彼女を応援していた一人だった。
 歩いていると、井戸がある。いまでも手動の井戸ポンプがあちこちにあって、使ってはいないようだが、水は出るのだろうか。それも写真に撮る。娼館はないが、それらしき二階の窓が格子になっている家を見つけて写真。わたしは、すっかりと変わってゆく都会に古い遺跡を探している。永井荷風が、東京に江戸や明治の姿を探すように、日和下駄で散歩したい。東京は関東大震災で江戸がなくなり、昭和20年3月10日の大空襲で、明治大正がなくなる。いまは、古い建物は貴重なのだ。


 若いとき東京で四年暮らしたが、そのときは、この辺りに足を踏み入れたことはなかった。隅田ではないが、隅田川の対岸の山谷というだけで何か労務者の街で、怖いイメージがあったが、フォークブームのときで、岡林信康の山谷ブルースは流行ってよく聴いた。社会に出てからは、吉原のトルコ風呂にも友人たちと連れ立って行ったことはあるが、この玉ノ井と鳩の街には入ったことがない。半世紀も前なら、まだ残っていたろうに、惜しいことをした。
 スーパーの小さい店が客もいないで暇そうにしていたので、何か買って行こうと入ったが、店主もやる気がない。大通りに出たら、なんだ、わたしの働いてていた大きなビルがすぐに見えた。こんなに近いのに、来たことがないなんて。シャトルバスは白髭神社の脇を走って、地蔵坂通り商店街を抜けて曳舟駅まで一時間に何本も走っていた。いまは、みんどうしているかなと、仲間の顔を思い出している。
 引き返したら大きなスーパーを見つけて入る。午前なのでじじばばよりいないが、鳩の街は高齢化が進んで、原住民は高齢者ばかりなのではないのか。
 この辺りは地震で火事が出ると危険地帯で、隅田川が氾濫しても水没する。都心のハザードマップでは墨田区は赤い色で塗られている。鳩の街から古い家屋越しにスカイツリーがそそり立っているのが見えた。


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