コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

乗客の研究

今朝は運がよかった。稲毛駅からずっと総武線快速に座ってこれた。曜日も関係はありそうだ。月曜日はどうしても混む。最近では水曜日の勤務が午前中とか、働き方改革で、減らしているので、午後は空くとか、曜日と時間帯で電車の込み具合は変わってくる。
 わたしの通勤ルートは、稲毛から快速で、稲毛→津田沼→船橋→市川→新小岩→錦糸町→馬喰町→新日本橋→東京駅。それから地下鉄丸ノ内線に乗り換えて、赤坂見附で銀座線に乗り換え、表参道で降りる。それが一番いろんなルートの中で早い。乗り換えが短く、あまり歩かないほうがいい。東京駅から丸ノ内線も近いし、丸ノ内線の赤坂見附駅の同じホームに銀座線が入るので、乗り換えはすぐ向かいなのだ。帰りはどうでもいい。寄り道して帰るので、真っ直ぐ千葉まで帰りたくない天気のいいときなんか、どこへ行こうかと、グーグルマップを眺めたりしている。


 快速電車で稲毛駅から東京駅までは38分で行く。普段は、その間、ずっと立ってゆくときもあるが、今日のように運がよければ、最初から座ってゆける。それは、乗る車両を変えたからだった。いつもの車両の位置で待つと、座れない確率が高くなるので、毎日、ドアの位置も変えてみる。隣の車両はどうかと移動して並んでみる。どちらかというと、先頭車両、東京側の車両が比較的空いている。通路に立つ人の数で、どこの車両が混んでいるのか、一目で判る。電車にもよるが、わたしの利用する総武線快速は千葉から来るが、すでに座席の空きがない。両端が空いていて、真ん中に行くほど混んでくるのは、ホームから階段やエスカレーターで降りるときに、真ん中に近いところにそれらがあるからだ。
 通勤で暇なときは、乗客の研究をする。それも毎日利用していれば、次第に法則みたいなのが見えてくる。わたしはドアの辺りには立たない。立つのは中ほどまで行って、誰の前に立つかという、早く降りそうな人の前に立つ。まるで競馬の単勝狙いで当てるようなものだ。座席一列9人がいる。その中で、まず、東京駅まで行くのは背広とネクタイのサラリーマン氏だ。そういう人の前には立たない。次に、寝ている人、それもきっとすぐには降りないで、東京まで行ってしまうか、それとも品川、川崎、横浜まで行くか、先が長いから安心して寝ている。越境して、都心までは行かないだろうと思うのが女子高生だ。大学生はダメだが、よほどでないと、高校生は遠くまでは行かない。それで、そういう高校生の前に立つ。それかおばさん。服装が割合と軽い人は、おめかししていないと、すぐ近くの駅で降りる人と判断する。立ち位置も、一人の前に立つのではなく、二人の間に立つのだ。どちらかが降りたらしめたもの。競馬なら枠連だ。座りたい乗客がわたしの両側にいる。虎視眈々と狙っている。が、先を越されないよう、席の取り方もある。ドアに近い側に立ってゆくので、座っていた人が立ったとき、ドア側でないほうに体の向きを交わしてやる。そうすれば、わたしのドア側に立つ人は降りる人のために座れないのだ。そこまで見ている。如何に暇なのか。
 それでも予想が外れたときはみじめだった。立った前の一列9人のうちわたしの前の人だけが東京駅まで下りなかった。他の座っている客はすべてが途中で降りて、後から乗ってきた隣に立った客が座る。みんな左右が座ったのに、わたしだけが残されて最後まで立っていた。その敗北感ったらない。
 寺田虎彦のエッセイを読んだら、そういうわたしの観察と同じことが書かれていて笑った。彼は科学者の目で観察して研究しているのだ。ホームのどこに立ったらいいか、ホームにずっと立っていて、乗客の乗り降りを見ていた。
 いまは、親切に、駅でも真ん中あたりは混むので、と、端のほうへと移動するよう誘導している。このあたりが一番混むとか、そういう表示をして、客をならしている。わざわざぎゅうぎゅう詰めの車両には乗りたくない。
 それでも、テレワークなどで通勤客が減ったのか、フレックスタイムで、通勤時間を変えたのか、コロナのおかげで、前よりは通勤ラッシュではなくなったような気がする。
 あるとき、わたしは一電車遅れたときがあった。それで10分は遅れるが、遅刻にはならない。30分前に仕事場に入るようにしているから、余裕はあった。だけど、たった10分、一電車遅れただけで、その混みようったらない。時間は稲毛発がいつもは7時22扮の快速が、32分になると、ぎゅうぎゅうになる。その前なら逆に空いていていいのだが、学校に早く着きすぎて、お喋りのための時間になるだけだ。
 本を読んでゆくのと、背中のビジネスバッグが重いので、できれば座ってゆきたい。そのためにはどうするか、つまらないことでも見極める目は大事なのだ。


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