コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

新東京物語

原節子と笠智衆が主役で戦後公開された小津監督の映画「東京物語」は心に残る。そのリメイク版で、何年か前に橋爪功と吉行和子で山田洋次監督作品の映画があって、それも見たがよかった。尾道から東京にいる三人の娘息子たちの顔を見に、遊びにきた両親の苦難を描いた作品だ。親子の関係図は、現代でもどこにもある話だが、自分のことになろうとは思いもしなかった。いつの間にか、気が付いたら、その両親役をしている自分がいた。夫婦ではないが、相方もそうで、まだそんなばあさんではないが、子供に持て余され、一緒に暮らすのを拒否し続けられている。わたしの場合も似たような状況にはある。ずっと息子二人が住む東京で暮らしていても、泊まりに行くこともなければ遊びに行くこともない。親子関係はすっかりと疎遠になっていた。事の始まりは、青森にいたときからだ。
 一年に何度かわたしは上京していた。大人の休日倶楽部の東日本フリー切符を手に、あちこち出かけた。そのときに一日は息子のところに世話になろうと、寄ったのだが、息子二人とも仕事が忙しく、家にも帰っていないので、嫁さんと孫娘よりいない。それで、嫁に電話したら、パパに聴いてみますと、いないときが多いので宿泊は断られた。それで、そんなことが多くあるので、上京したらホテルを予約してそっちに泊まったのだ。孫の顔でも見たいと思っても、風邪で寝ているとか、手口足なんとかになったので、移すといけないと断られたりで、次第に足が遠のく。孫たちも小さいうちはじじと来て、ディズニーランドに連れて行ったりしたが、みんな中学・高校と大きくなればじじとは遊ばない。嫁さんたちも共稼ぎと働くようになると、マンションは昼は誰もいないのだ。
 そうして、孫の顔を見ないでもう6年にもなる。小学生や幼稚園の子供らも大きくなったろうが、顔も写真も見ていない。だんだんとどうでもよくなる。そのうち、わたしのほうが出稼ぎで東京で暮らすようになり、いまは千葉に来ているが6年が経っていた。毎年一回くらいは息子たちの会社に訪ねてゆくことはあるが、息子と会うのも一年に一度あるかないか。それも、賃貸を借りたときの保証人になってもらうためにハンコをもらいに行ったり、仕事が変わり再就職したときの書類にハンコとか、連帯保証人のために行くようなもので、普段は電話もなければメールも来ない。冷たい関係になってしまう。
 長男から電話が珍しくくると、わたしが生きているかどうかの確認みたいなもので、わたしに、お父さんがボケたら、施設に入れるからねと、いまからそう言われている。わたし施設なんか入りたくないから、その辺に捨ててくれと頼む。野生化してのら老人で認知ホームレスでいたほうがいい。
 わたしもずっと前から、息子三人に、おまえたちの世話にはならんからなと言ってある。ぎりぎり自分で自立できるなら、這ってでも一人で暮らしていると。息子たちの家庭の負担になりたくないし、面倒も可哀想だ。息子たちの仕事はいまはいいが、一時は赤字で大変なときもあった。経済的にも負担はかけさせたくない。


 そんなだから、なんとなく、東京物語や東京家族の映画を見ても、身につまされる。今回の相方のことでも、それを思った。相方の場合は精神的病という特殊な事情はあるにせよ、娘の態度が悪すぎる。シングルマザーで、働いて娘一人を小さいときから一人で育ててきたのに、病が面倒くさくなると、母親を捨てて、別のワンルームに引っ越して病気の母を一人にさせた。そのときにわたしと出会ったのだ。家族がみんな逃げてしまい、置き去りにされていたのが可哀想だと、それからずっと相方の生活面をサポートしてきたが、娘は冷たくあまり行き来はなく、うちの息子たちと同じでメールも電話も少ない。親のほうからよく連絡はしていた。今回のことではわたしはさすがに怒って、娘を怒鳴った。叱られてわたしを恐れるようになると、相方に「ママ、あの人は何をするか判らないから危険よ」と電話で言ったらしい。それまでは娘とわたしと連絡しあい、相談していたのだが、何せ動かない娘にやきもきした。母親のことで保健所に二人で相談に行ったときも、今夜のコンパの幹事をしているので、予約しないとと、ネットで探してばかり。真剣に親のことを考えろよと冷酷な娘に腹が立った。


 どこの家族にもあることだ。老いたり病に罹った親が負担になり、鬱陶しい。親の面倒は誰が見るのかとたらいまわし。映画はまさにそれが滑稽でもあり、悲哀もあって、昔も今もどこにでもある話なのだが、日本の大家族が崩壊してからは、ますます親は子から遠くなる。
 わたしは娘と息子たちの生活はそのまま大事にしてやりたい。老人は老人同士が仲良く助け合えばいいと、これも映画で見たが、村田喜代子原作の『蕨野行』という、姥捨て山のように子供らから捨てられた老親たちが、老人たちだけで蕨のなるような野に邑を作ってそこで共同生活をしている。老老介護もある。みんな村人で昔から知っている仲だ。そのラストシーンが悲惨だった。全員が雪降る厳寒の中で、凍死してしまうのだ。最後は涙なくしては見られなかった。
 娘にはメールできっぱりと言った。わたしが責任をもってこれからもママの面倒は見るから、と。

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