コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

急転直下

 「Tちゃんと一緒におる」と、関西弁で電話が来る。子供のようなそのひと言で、わたしの気持ちは揺らいだ。相方からはよく電話が来るのは、千代田区のマンションから引っ越してからだが、いま、どこにいるのかわたしには教えない。電話で、どこで暮らしているの? 上野公園?」向こうは笑う。「ダンボール生活をしているのか」居場所がなくてホームレスになったと思っていた。それとも娘のところに身を寄せているのか。娘とはLINEでやりとりしていた。最後のメールが、近いうちに東大付属病院の精神科を受診させるに連れてゆくことと、千代田区区役所に生活保護の申請をしに行ったこと。それっきり、どうなったのか判らない。
 相方から仕事場に電話がきて、勤務明けに様子を見に行くことにした。すると、どこで待ち合わせするのかと聞いたら、都内の某地下鉄駅という。そんなところで暮らしていたのか。てっきり娘に話していたトランクルームに荷物を運んだのかと思ったら、そうではなかった。居場所は教えてはいけないと言われていると言う。どういうことなのか。ストーカー被害に遭っているから、住まいの住所は誰にも教えてはならないと、区役所から言われていた。現実のストーカーではないのだが、そういう話を持っていったらしい。そこで区役所が都内に用意した社会福祉事務所が管理するワンルームマンションに荷物と相方を運んだらしい。ようやく状況が見えてきた。
 翌朝、睡眠不足なのだが、指定の地下鉄駅で降りた。千葉寄りなので、途中下車みたいなものだ。少し遅れてゆくと電話をしたら、駅前のマックで待ち合わせる。朝のコーヒーを飲みたい。マックに入ると少しして相方が出てきた。入口の席をとったら、コーヒーを二つ頼んだが、全然口もつけない。様子がおかしい。そのうち声を上げて泣き始める。おいおい、こんな店内で泣くなよ、恥ずかしいだろう。周囲の視線も気になるので、出ようと手を引いたが、動かない。どうやら立てないし歩けないくらい神経衰弱しているようだ。かなりおかしいので、救急車を呼んだ。初めてだった。よしんば、そのまま病院に入院させることも考えた。店頭で待っていたら、救急車が来て隊員三人が担架を持ってくる。すると、相方が店から出てきた。わたしに向かって、「これで終わりね」と、怖い顔の別人になる。と、また変わって、おいおいと泣く。隊員が血圧を測る。わたしも精神的病のことを言ったが、歩けなくなったから呼んだというが、歩いている。相方に名前などを聴いていたが、すらすらと答える。問題はないと、引き揚げていった。いのちに別条のない人は急患扱いにもならない。
 店は出たが、どうするか相方を持て余していた。すると、泣きながら、「絶望しかない。もう死ぬ」と、自殺をほのめかす。いままでこんなことを相方の口から聴いたことはなかった。それほど憔悴しきって、追い詰められ、本当に絶望しているのだ。娘は同居を拒絶し、わたしからも断られ、生活保護の人が入る東京都で用意したマンションに入れられた。生活費はない。この先、生きていても仕方がない。それで死ぬよりないと言った。どうしたらいいのか。駅前の花壇の縁に二人して座り、日曜の昼前の通行人を眺め、いい天気で陽射しもいいのに、暗い顔の二人は対照的だったろう。いのちの電話も考えた。コロナで混んでいるとはいう。相方はそれはいらないと断る。このままにして帰ろうかとも思ったが、本当に近くの川に身投げしそうだ。原因が判った。一昨日、ここのマンションに荷物を運んだ都で用意した運送屋が、靴や食器の入った箱が入らないという理由で、盗ったというのだ。また始まった被害妄想だ。それで、子供のように震えて、怖い、怖いと小声で怯えているのだ。何度も怖い、怖いと一人で座り込んでいる。わたしはため息より出ない。どうしても妄想の世界から出てこれないから苦しんでいるのだ。
 よし、こうなったらとことんつきあってやると、自分しか救える人がいないのだと、判った、また以前のように一緒に暮らそうと、なだめる。これからどうする?と聞いたら、マンションに帰るというので、わたしもどんなところか見に行こうと思った。本当は帰りたくない。帰るのが怖いという。それでも荷物がある。どっちの方角かと聞いても定かではない。朝に出てきた自分のマンションが判らなくなっていた。途中にケーキ屋があったので、ケーキでも慰めるつもりで二つ買った。それと昼飯を部屋で食べようと、コンビニでサンドイッチとドリンクも買う。ぐるぐるとわたしも来たことのない江戸川区の地下鉄駅周辺を歩いたが、どこか判らなくなっていた。まだ越してきて二日目で、街が判らないのだ。タクシーで駅まで来たのだという。タクシーで行きましょうと相方は言うが、住所も知らないし、建物の名称も判らないで、どこに行けとタクシーに言うのか。役所からもらった紙があるだろうと、バッグの中をわたしも探したが、ない。帰れない。何か目印が近くになかったか? スーパーがあった。そこのレシートを持っていたので、そこの電話番号に電話して場所を聴いた。少し遠いのでタクシーを拾って、目的のスーパーを告げたら、1メーターで行ってくれた。歩いても10分くらいか。スーパーで降りたら、目の前のマンションですぐ判った。新しい三階建で、千葉のうちより立派だ。エレベーターもついている。その上の階に行った。中にはまだ運んだままの荷物が積まれている。四畳半に台所、バストイレに家具家電がみんな新品でついている。布団だけがないのだ。そこには三か月だけ期間限定で住めるのだとか。住所があれば就職ができる。金が入ればどこかのアパートでも借りられる。ホームレスもここに一時入るのだろうか。それでも綺麗な部屋で申し分ない。今夜は千葉に行くという。それで、貴重品の入ったバッグだけ持って、二人で千葉までは乗り換えてそんなに時間はかからない。本八幡のスーパーでよくわたしも途中下車して買い物する店で晩飯の材料を買う。鮭のちゃんちゃん焼きでもしようか。
 相方は初めてわたしのマンションにやってきた。まだ食欲がないようで、鍋はしないで、漬物だけで酒を呑む。ようやく落ち着いてきて、怖いとは言わなくなった。顔つきもいいし、元通りの相方の顔になる。その夜はうちに泊まった。


 翌朝は、わたしは休みだった。朝飯のホットドックを作っても食べない。目玉焼きとヨーグルトとクリームチーズにベリーを乗せたデザートだけは美味しいと食べてくれた。元気づけのために、先日行った、ここから電車で五つ目の習志野にある谷津バラ園に連れてゆこうと、相方と出た。ようやくすがらなくても歩けるようになったが、不安なのだろう、手は離さない。近くの京成電車で津田沼で降りると、次の駅が谷津だから近いだろうと歩いたら遠かった。それでも歩くことで嫌なことは忘れるだろう。ようやくバラ園に着いた。途中のコンビニで買ったドリンクをベンチに座って飲む。バラは満開だ。平日でも大勢の人が来ている。天気もよく、明るい秋日。しばらく花を見ていた。相方は、無断外泊したので、いまごろ探しているかもしれないと、役所とマンションに電話を入れていた。娘に電話をしても出ないが、わたしのほうにメールが来ている。母をどうしたいのですか?と冷たい言い方。前にわたしが怒ったことで、態度を硬化させていた。娘が自分でよかれと母を生活保護者にさせようとしていた。それでもいいが、本人が働くというから、わたしとしては働かせて、社会に出ていたほうが、リハビリにもなるし、作業療法にもなる、友達もできて孤独から救われるので、仕事はさせたほうがいいと思う。若い娘はどんどんと役所に申請して、東大付属病院にも母親を連れてゆくようだが、どこか冷血だった。思いやりと情がない。メールでは事務的な話しぶりで、温かみのひとつもなかった。うちの息子たちもそうだが、親に対しては邪魔者扱いで、それがいまは普通なのだろう。
 少し機嫌がよくなったところで、相方はやはりこの日はマンションに帰らないといけないと言い出す。それでわたしがついてゆくことにした。
 いったんわたしのところに戻る。昼飯も口をつけなかったが、ちょっと図書館と歯医者に行ってくるから、夕方に一緒に新居に行ってみようと、わたしだけ出かけた。用事を済ませて戻ったら、昼飯のピラフも食べてくれた。食欲が出てきている。よかった。
 夕方、また電車と地下鉄乗り換えで、江戸川区のマンションに行った。途中のスーパーで晩飯の弁当なども買う。福祉事務所の職員さんたちが5時まで一階の受付にいるから、帰るのがそのころだからと、相方は気にしていた。わたしは、何か待っているような気がした。言われたら、送ってきたと答えたらいい。こういうところは管理が厳重で、誰でも入れないようになっている。この夜は泊まるつもりで来たが、果たしていいものか。相方は裏口があるからと、柵を潜って入っていった。おいおい、それはまずいだろう。すると、上の階から女の人が下を覗いていた。見つかった。受付の前をわたしだけ通ると、職員のおばさんが二人走ってきて、どこに行くんですか? と問い詰める。やはり、ちゃんとしている。予想通りだった。わたしは捕まって、いろいろと聞かれたが、本当のことを話した。一人にさせられない。自殺するかもしれない。いままで5年半も生活の面倒を見てきた内縁関係であることなどを話した。すると相方が降りてきた。わたしはいままで言ったことは内緒だと指を口にあてた。相方は、この人はストーカーではないと擁護する。それで信用してくれた。勝手に外泊はできない。毎朝10時までポストに安否確認カードを入れておかないと大問題になる。連れ去られたかと思うのだ。そういう弱い立場の人たちの駆け込み寺なのだ。いいところだし、安全安心ではないかと思うのだが、一人で知らないところにいるのが不安で怖いのだ。相方は、ここを出て、千葉に行って一緒に暮らすと話していた。引っ越してきてまだ三日目だ。私物を引っ越し業者に盗られたこともまた言っていた。役所にも電話で同じことを話していたが、それが被害妄想だとはすぐ判る。職員さんは、事情が分かったので、今夜泊まるなら、宿泊カードに書いてくださいと、そんなのがちゃんと用意してある。泊まらずに帰る人には面会カードがある。
 晩飯は部屋で食べた。相方はすっかりと元気になっていた。わたしは明日はここから仕事に出る。明日は一人でいてもいいのか。下の職員さんたちも心配して、一人で一晩だけ大丈夫ですかと相方に聴いていた。荷物の整理をして、三日後のわたしの休みにここの荷物を千葉に運ぼう。レンタカーは稲毛で予約した。今度は近いからいいだろう。ただ、手続きが残っている。相方のことで役所では会議にかけているが、取り下げることの決定が出ないと出られない。それでも部屋を綺麗にして、外泊届けを出したらいいのだ。来週には下るだろう。わたしも手続きが先だと相方に言っておいた。その間でも一人では置いておかれない。
 急転直下で二日でこれからの状況が変わっていた。いい方向なのか悪い方向なのか。


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