コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

引っ越し完了

 どうなるかと心配していた千代田区のマンションだが、相方の娘をどついて、動いてもらったら、やはり早いが、なんら連絡がない。そこが若いということだ。こちらも予定で動いている。そっちの状況も随時メールで教えてくれないと、齟齬がある。わたしは娘に予定を教えた。30日に管理会社の引き渡し立ち合いがあるから、それまで部屋の荷物は空にすること。ただし、洗濯機と炬燵はわたしの住まいに運ぶから残してくれと。みんな家財はわたしが買ったものばかりだ。使うものは千葉に運びたい。そのためにあらかじめレンタカーを借りて運び出そうと、ハイエースを予約していた。それも前日の29日にした。ところが、娘からレンタカーは借りる必要がなくなりましたと奇妙なメールが来る。荷物が少ないと、宅配便でも送れるか。だけど、大きさと重さの制限がある。コンビニに持ち込んで断られたら困る。縦横高さの合計の長さがあるから炬燵も怪しい。それで軽のバンに変えてもらい、30日の引っ越しにした。鍵は郵便受けに入れたようなメールだ。それっきり、娘からどうしたのか説明もない。ママはどこで暮らしているのか。上野公園でダンボール生活ではあるまい。娘も観念して、母子で暮らすのか。本当はそれが一番いい。
 掃除もしていないかもしれないと、紙製の床拭きとゴミ袋などを持ってゆく。マンションに着くと、郵便受けはすでにガムテープが貼ってあり、封鎖していた。それが開かない。管理人もいなかった。入口にカードをかざさないと開かないから、エレベーターにも乗れない。それで管理会社に電話したら、3時の約束だが、1時前に来るという。管理人もどこに行っていたのかぼさっと帰ってくる。郵便受けを開けてもらったが、鍵は入っていない。どこに入れたのかと、相方に電話をしたが電源が入っていないと、切られている。娘にメールした。ママのしたことで知らないという。昨日のうちに荷物は出して、洗濯機ほか、スマホも借りたのを置いてあるというだけ。困った。時間潰しのために、近くのコンビニのイートインでプロティインというまずいドリンクで読書タイム。じっと待っていてもイライラするばかりだ。ここのイートインも前にはよく使った。相方に内緒でブログを書いていたのは、ここに来て密かに書いていたのだ。
 待ち合わせの時刻にマンションに行くと立ち合いの管理会社の社員が来ていた。ようやく部屋に入れた。なんと、鍵は新聞受けに入れていた。バカやろうが、部屋の中にどうやって入れるんだ。扇風機に小さなテレビ、キッチンワゴンにオーブンレンジ、電気釜と陶器の傘立てまで置いてゆきやがって。それは使えるだろう。まだ四年より使っていない。粗大ゴミまでベランダに置いていって、掃除もしていない。まあ、掃除代はどうせ取られるから、やっても意味はないが。それらを全部廊下に出すと、中の確認だ。コンセントのケースがない。おや?というから、盗聴器が仕掛けられているのではと相方が外したことは言えない。それは一か所3000円工賃でかかると言われる。絨毯もかなり汚れているから、取り換えで5万いくらと、結果、敷金は返ってこないどころか何万か追いをうたなければならない。それを支払うと、これで完了と領収書をもらう。わたしが一年半、あいつが二年暮らした千代田区番町のワンルームマンションだが、いい思い出はなかった。


 レンタカーの会社には12時に借りる予定が延びて2時にしてもらう。飯田橋だから、歩いても知れている。法政大学の向こうにある営業所に行って、軽のバンを借りてくる。車に乗るのは2年ぶり。目黒から番町に引っ越したときにレンタカーに乗ったとき以来だ。そんなときでないと、車なんか使わない。周辺の道路はやたらとバリケードを組んで、警官が立ってるのは、靖国神社周辺の警固なのだ。そこを通してもらい、マンションの前に付けると、玄関前に出しておいた荷物を積む。それからナビで目的地を設定して出発だ。
 神田から首都高に入り、ナビ嬢の案内のまま、京葉道路に入る。渋滞もなくスイスイと1時間で千葉の幕張で降りてわが家の前へ。12時間で借りて損をした。わずか1時間で来る。快速電車より早いのか。三階まで一人で運びあげるのも一苦労。今日は汗を覚悟してきた。セルフのガソリンスタンドで満タンにして稲毛の営業所に車を返した。おかしいことに、後でレシートを見たら、満タンで10円とある。まさか、1リッターどころかほとんど使っていないのか。ありえない。
 やれやれ疲れたと、コンビニで酒を珍しく買ってゆく。帰ったらあいつから完全に別れられる祝杯だとばかり、ほっとしていた。長かった。これで縁が切れて、もう会うこともないだろう。問題のスマホも返してもらったし、貸借関係だけは残るが、それも銀行に振り込んでもらえばいい。
 部屋でさっそく洗濯をする。小型だが全自動洗濯機だ。炬燵も置いたら広い部屋も少し狭くなる。と、相方から電話だ。いまごろどうした。何度電話しても出ないし、鍵がないと入れないだろう。すると泣きながら、もう一度一緒に暮らそうという。千葉でわたしと暮らしたいと泣くのだ。ええ? また振り出しか、元の木阿弥。どうしてかと聞いたら、娘が手配した住まいは、区役所で仕事のない人のために都内のアパートを無料で提供する制度を利用したらしい。いま、どこにいるんだと聞いたら、一之江という。江戸川区の端だ。川を越えたら千葉県だ。そこの安いアパートは家具家電付で、三か月だけいられるというのに押し込められていた。皇居の傍から、一気に江戸川区の安アパートへか。それは泣くだろうな。転落の落差が大きい。わたしなら只なら喜んで入るが。気位の高い相方は我慢がならず、それとまた荷物が盗られたと、さっそく被害妄想で、麹町警察署に電話をしたという。一人でおいておくとますます悪化する。娘は同居を拒んで、母親をそういう福祉課の勧める生活保護の人たちが入るところに押し込めたのだ。急にまた可哀想になり、仕事明けに迎えに行くことにした。せっかく切れたと祝杯を上げたばかりに、また始まる悪夢。ただ、それも何か月でもないから緊急避難としては我慢しようか。荷物は江戸川区。本人は旅行気分できっとスーツケースを引いて千葉へ来るのだろう。もうどうでもいい。投げやりな気持ちで思わぬ展開を受け止める。

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