コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

精神病患者たちの楽園の島

 かつてらい病患者たちの隔離政策を戦前の政府はとった。戦後もしばらく続いて、ようやく裁判で和解する。それは医学が進歩する前の迷信や誤った考えで、遺伝だとか天刑病だとかと言われていた時代だったからだ。
 現代でも、ある精神病はそうした無知な人たちによって迫害され、社会から隔離されている。社会的入院はできないといっても、精神病の重い患者たちは、鉄格子のある病棟で、死ぬまで入れられている人もいる。治療を受けても治らない。社会に出しても生きるすべがない。家族も見放して、後見人がいない。とみに、コロナでも増え続けている精神病者たち。うつ病初め、どんどんと増えていって、それによる自殺者が後を絶たない。コロナうつと呼ばれるものは、心の風邪だと、軽いうちは治るのだろうが、それが次第に籠ることでひどくなり、風邪では済まされなくなる。
 イタリアでは、精神病棟は全廃し、社会が寛大な心でそうした病気の人たちを受け入れるよう世界でも珍しい国策をとった。キリスト教の精神によるものだろうか。どんな病気の人でも、仕事ができるものは与え、容認する会社では適材適所で働いてもらう。作業療法というのが、実社会で行われる。
 うちの従兄は千葉の市川で、SPO法人を作って、代表になり、一度遊びに行ったが、作業所も建てて、そこに20人くらいの精神障がい者や知恵遅れの人たちを預かり、簡単な仕事をさせている。銀行やデパートなどで配る粗品の袋詰め作業をさせていた。ひとつ入れると何十銭くれるのか、それでも遊びに行ったときは、みんな作業台について、袋詰めをわいわいとしていた。従兄はわたしをみんなに紹介して、旅好きのおじさんと言っていた。ボランティアの職員さんも五人くらいいて、パソコンで事務作業をしていた。従兄は母親が亡くなると遺産相続でかなり入ったが、それを注ぎ込んで困っている人たちのために老後を捧げようとしているのは頭が下がる。リサイクルショップの店も併設していて、不用品を寄付してもらい、仕事は従兄らが街に出て探してくるのだ。それでいくらかの給与にはなる。それと、会社で受け入れてくれまいかと、就職先も当たる。本来なら50人の社員がいれば2人は雇わないといけないのだが、いまはコロナでリストラもしているご時世でそれどころではないだろう。


 わたしもそういう精神病者とかかわって、古本屋でも手伝ってもらった経緯があるので、真剣にいつも病気の人たちのことを考えている。それで隔離政策はよくないが、無人島があれば、そういう島に施設を作って、楽園のような生涯住めるところを考えたことがある。らい病も島が多かった。それは隔離するのにちょうどいい、逃げられない監獄島のようなものだった。そのイメージではよくない。自然が綺麗なずっと住んでみたい楽園でなければいけない。社会に出ても、迫害され、差別され、追い出される日本の現在では、病気だからと白眼視して、一人の人間として見てくれない。わたしの身内でもそうなのだ。親姉妹息子と全員がそうだから、きっと、世の中の多くは精神病者には冷たい目しか向けないのだ。
 確かに普通でないから疲れる。我慢の限界もある。なんとかしてやりたいとは思う。そこで考えたのが、全国の過疎になってゆく島の復興も含めて、そこに大きな工場を建設し、様々な作業をさせて、運営資金を得るという構想だ。刑務所でもいろんな作業をさせて、その即売会が全国で行われ、わたしも北の丸公園でバザーを見て、安いといろいろいと買ってきた。農産物も安い。家具やアクセサリー、文具、袋物、手編みの洋服からなんでも売っていた。障がい者によっては、才能がある人もいて、わたしの知り合いの娘さんは生まれつきのものもあって、仕事にはつけず、二十歳を過ぎて親が面倒を見ていた。彼女の描く絵を拝見して驚いた。それはそのまま作品としてでもいいが、インテリアとしては抽象画だが、壁に飾ればいまの家ならマッチするのではないのか。そうした子供たちが描いた作品展も都内で何度か見に行ったことがある。それはそれで感覚的にすごいものが潜在している。色使いがいい。画集も出していて、それを施設では売っていた。
 音楽的才能のある人、手先が器用で、細工物にすぐれている人、詩も書かせたらいい詩が出る。島では、そういう才能を引き出して、即売できるようネットで紹介もする。いまはどこにいてもネット通販ができる。部屋に引きこもって、誰とも接触せずにずっと孤独でいるよりは、似たもの同士で楽しく過ごせたら理解しあえるのではないか。そういう島の運営には資金がいる。クラウドファンディングで、資金集めをし、NPO法人で国からも年間決められた運営費をいただく。これは事業ではなく、病院や施設でもない。共同体としてイスラエルのキブツのように社会では暮らせない人たちと生活を共にすることだ。動物たちもいっぱいいたらいい。放し飼いの動物園に自然を生かした植物園。農場に漁業と、働く場はいくらでもある。コミュニティを作れないかと、いつもそんな夢のような島を想像するのだ。そういう島ができたら、わたしも行って手伝いたい。体が動けるうちは、そこで役に立ちたい。悲惨な事件が起こるたびに家族を非難できないと、そんなことを考えるのだ。

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