コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

備蓄本 非常本

 緊急事態宣言が神奈川県も8月いっぱいなると、東京のように図書館も閉めるのだろうか。千葉にいたときは、去年は図書館も閉鎖して困った。古本屋もやり玉に挙げられて、新刊書店は開けていたが、古本がどうしてダメなんだと、その閉める業種選択をしていた人たちに聴きたかった。古本屋なんか絶対に密にはならない。普段でも覗いてみたら、可哀想なくらい客がいない。いつもそうだから、別に開けていても閉めたもあまり変わらないと言えば失礼な話だが、元よりそんながらがらなのが古本屋の実態なのだ。それを閉めろというのは、きっとブックオフなどの大型店を見ているからだろう。
 国会図書館も閉めていた。開いていたときも、入場制限をしていて、事前に申込が必要で、それは抽選で決めるのか。メールでお知らせがきて、「おめでとうございます。あなたが国会図書館への入場権を手にしました」と、言うのだろうか。別に嬉しくともなんともないが、用事があって月に一度は行きたいのは、青森県内の新聞をまとめて閲覧に行くのだ。
 それで、図書館が閉鎖となれば、行くところがなくなる。スーパー銭湯も去年は閉めていた。普通の銭湯は開けていていいのに、スーパー銭湯がダメというので、それはおかしいと、スーパー銭湯愛好家のわたしは抗議したいところだった。線引きがおかしい。そんなに密になるくらい入らない。サウナも閉めていたが、サウナこそ、コロナのウイルスは死滅するからいいのではないのか。
 図書館が閉めるかもしれないと、危機感を持って、いま、わたしがしているのは、図書館の入口に置いてある、リユース本をせっせと自宅にもらってくることだった。図書館も市民から寄贈を受け付けているが、同じ本ばかりが溜まる。だいたいがベストセラーものが多いだろう。それらは古本屋も余して買わないから、図書館にでもと持ち込むが、図書館としてもまた来たかとうんざり。2冊ぐらいあればいい本が10冊もあれば、処分しないと図書館のキャパがあるから入らなくなる。どこかで整理処分して棚を開けないと、限りある器だから大変なのだ。
 最近は行く日にもよるが、いいときに当たれば、ずらりといい単行本がリサイクルの棚で、ご自由にお持ち帰りくださいの棚に並ぶ。わたしがいい本と思うのは、普通の人はいらない本が多く、残っているのが欲しい読みたい本ばかり。しめたと、わたしは背中のリュックにエコバッグにまでぎっしりと詰めて持ち帰る。いま、そういう本がいよいよ、わたしの部屋を占領しつつある。蔵書は持たないと決めたのに、こういう緊急事態には仕方がない。いつでも図書館閉鎖になってもいいように、まるで、地震や台風が来たときに食品を買い溜めするように、本を部屋に積み上げておく。備蓄本、あるいは非常食ならぬ非常本があれば、なんとかなる。8月いっぱい持ちこたえられる量があれば、知識も餓死しないだろう。
 後はネットで無料で読める青空文庫を読むよりない。あまりスマホの小さな画面では読みたくないのは、速読の場合はかったるいのだ。タブレットぐらいならいいのだが、それもフリーワイファイに繋げておかないと、ギガが使いすぎる。
 この夏はどうなるのだろうか。旅行にも行くな、温泉もダメ、海では泳ぐな、飲食店も8時まで、酒は家で飲め、できるだけ電車に乗るな、美術館も休みならカラオケも映画館も休みで、プールもやっていない。行楽地も閉鎖では、家で何をすればいい。子供たちは夏休みの宿題で、絵日記をつけるのに、「今日も一日部屋でした」と、書くこともない。
 感染者はどんどんと増える一方。その割に死者が少ない。外国みたいに多くなると、みんな焦るのだろうか。普通のインフルエンザと死者数だけを見たら、そんな驚く数字ではないのだが、海外は別だ。そうなりたくないから、慎重になる。
 花火大会もお祭りも中止で、この際、政府は夏を閉鎖しますと宣言したらいい。


×

非ログインユーザーとして返信する