コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

健康スムージー

 親父の一番下の弟、わたしの叔父なのだが、兄弟で唯一、残っている。9人兄弟もみんな他界していた。叔父も昭和6年の生まれで、90歳くらいだろうか。育ち盛りに戦争で、食料もなく、昭和ひと桁世代はどこか病気がち。戦後も仕事ができずに家で寝ていた。そういう生活を若者でするというのも、栄養不足もあったのだろう。肋膜を患い、肺が弱い。その肺病には、鶏糞がいいと聞かされて、それから養鶏をやりはじめる。親父が洋菓子店をやっていたときは、工場で卵も使うというので、戦後の物資不足のときで、叔父の仕事は自給自足で助かったろう。最盛期は二階建ての鶏小屋を三棟持っていた。その鶏小屋があったのが、青森市の線路の南側の大野で、後に旭町と言われるところだが、そこは八甲田山が見晴らせる田圃ばかりで、家は建っていなかったが、次第に周辺は家が建ち、住宅地になってしまう。後からみんな家を建てたくせに、鶏糞が臭いと住人が騒ぎ出し、叔父は養鶏をやめてしまう。それで、親父の仕事を手伝うように、工場に入ってパティシィエをするようになった。
 その叔父の家に、よく遊びに行った。学生時代も呼ばれて家に行った。すると、叔父は得体のしれない酒を飲ませてくれた。何が入っているのか。ボケの実を漬けた酒やカリン酒、梅酒などの他に、家の裏の畑で成った実でいろんな健康酒を造っては飲ませた。お茶も自家製の健康茶で、お茶の中身を見たら、みかんの皮が入っていたり、イチョウの葉が入っていたりと、ボケ防止になるとか、記憶力がよくなるとか、そう講釈しては様々なドリンクを飲ませてくれたのはいいが、悪酔いして、家に帰ってから吐いたことがある。気持ちが悪い。あまり美味しいものではないし、漢方みたいな不味い酒と茶だった。
 それは、若いときから虚弱で病気がちの叔父だから、年とともに健康オタクになってきたのだ。健康の月刊雑誌もとっていて、いろんな情報を入れて、なんでも試みていた。その中に、朝はこれだけと、スムージーを作って飲んでいた。それが、不気味な灰色で、どろりとしているが、中身はとても怖くて聞けなかった。飲むかと、勧められたが、断った。
 親戚でどこかへ日帰りドライブに行くときも、決まって叔父はボトルに詰めた得体の知れないドリンクを持参して、みんなに振舞っていた。それはみんなが知っていたので、みんな、パスとたらいまわしにされて、知らない従妹だけが騙されて飲んでいた。きっと体にはいいのだろうが、中身が解らないどろりしたスムージーみたいなのはみんな気持ち悪がる。
 叔父が長生きしているのは、その自家製の健康茶と酒とスムージーではないのかと思う。人一倍健康に気を遣い、病院の世話よりは、医食同源で、食べ物から治すというやり方だ。畑も老後は三か所に買って、そこでいろんな作物を付けて、収穫した野菜なんかよくうちに持ってきていた。わたしは畑仕事は好きではないが、死んだ祖父も親父も畑をしていた。それも本業ではなく、日曜百姓のような趣味事であったが、祖父は自分の畑に小屋まで建てて、別荘みたいにしていた。大工仕事も好きな人で、自宅も戦後は自分で建てた人だ。
 それを見てきたので、自分で植えて採った野菜や果実で作るスムージーなら無農薬で安全、美味しいのだろうとは思う。


 いま、思い返していたが、叔父と同じことをしている自分に笑う。わたしもネットやテレビや雑誌で見たスムージーを作って飲んでいるからだ。渋谷の宮下公園の下におしゃれなカフェがいろいろとあるが、その中で、スムージー屋があった。確かそこであったと思うが、黄な粉を使っていたり、酒粕を使っての健康スムージーで、御殿場のアウトレットパークに行ったときも、そんな店で変わったほうじ茶にいろいろと混ぜたスムージーを飲んだ。健康にはよさそうな材料は、家庭でも用意はできるものばかり。それに800円も出すなら、家でできるだろうと、さっそくやり始めたのだ。甘酒は自分で作るが、売っているものは高め。それに豆乳と黄な粉とすりゴマと蜂蜜を入れて、ハンドミキサーで攪拌するだけ。簡単でいい。いろいろと中身も変える。
 豆腐を豆乳と一緒にミキサーでホイップすればクリームになる。不思議な味になる。豆腐とは思えない。ハンドミキサーは去年買ったが大活躍だ。ジューサーやミキサーの専用のものなんか一人なのでいらない。ボールと安いハンドミキサーで十分だ。それらができたら、冷蔵庫で冷やしていた、保冷剤が入っているグラスも買ってあるので、それに入れて飲むと、氷もいらないでひんやりと冷たく飲める。
 誰か来たら飲ませようと思うのだが、きっと、みなさん、「何が入っているの?」と、疑心暗鬼になるかもしれない。怪しいものほど体にはいい。


×

非ログインユーザーとして返信する